子だくさん 「お前なあ!」
 
 
 
 仕事の疲れがたまっていた。
 
 それならば、とっとと寝りゃあいいのだが、
連日、子供らが寝静まってから深夜番組を見て馬鹿笑いするのが
最近のストレス解消法になっていたので、
うつらうつらしながらも、毎晩夜更かししていた。
 
 そこに、次々と嵐のような事件が巻き起こった。
 
 「○○警察ですが、息子さんが深夜11時半にゲームセンターにいるところを補導しました」
 
 という電話が掛かってきたのは、
高2の長男が「バイト友達の家に泊まる」と言って出かけた翌日のことだった。
 
 「今回は、初めてだということで、学校には連絡しませんが、
お家の方でもよく注意してください」
と、若い声の警官に言われ、
「はい! すみませんでした。お世話お掛けしました。はい。すみません。はい。失礼します」
と、電話機に何度も何度も頭を下げた。
 
 その後、帰宅した長男を問いただすと、
「お母さん、本当にごめん! これから本当に気をつけるから! 
 自分が一番反省してるから。本当にごめんなさい!」
と、かなりしおらしい。
 
 「何で高校生が夜中の11時半にゲーセンにいるのよ!」
と聞くと、
「9時ごろまで5人ぐらいでゲーセンで遊んでいて、
その後大学生の先輩の家で寝ようとしたら、
そのうちのひとりが『財布をゲーセンに忘れてきた』って言うから、
みんなで探しにいったら、そこで警察につかまっちゃって・・・・・・」
と言う。
 
 「どんな理由があろうと、関係ないよ。
あんたの通う高校は、校則が厳しくて有名なんだよ。
補導されたなんて言ったら、即退学だよ! やばいじゃないの!」
 
 「わかってる。もうしない。ホント、ごめん・・・・・・」
 
 頭まで下げているので、これ以上責めるのはやめた。
 
 「まあ、前科一犯だな」
 
 半笑いで長男の肩をたたくと、もう一度
「お母さん、ごめんなさい」
と言った。
 
 はあ〜〜〜〜〜〜〜〜。
 
 高1の成績が赤点だらけで、
あわや退学(長男の高校は、留年=退学というシステムらしい)、
という危機をやっと抜け出して
やっとこさっとこ2年に進級できたというのに、
この始末!
 
 もう、いい加減にして・・・・・・
 
 深いため息をつくと、
何だか胸が苦しいような気がする。
 息をするたび気管支が痛む。
 
 微熱が出たり、引っ込んだり。
 
 医者に行ったら、
気管支炎を起こしかけていた。
 抗生物質をもらって、それから一週間飲み続けたが、
薬が切れたら、また症状が戻ってしまった。
 
 引き続き薬をもらいに行こうとしたら、
その日は、医者の定休日だった。
 次の日は、何だかんだと用事があって忙しく、
明日こそ行こう、明日こそ行こう、と思っているうちに、
今度は、舌の付け根の両側が、
物凄く腫れあがり、口内炎も出来てしまった。
 
 しゃべることも食べることもままならず、
あまりの痛さに憂鬱になるばかりだった。
 
 仕事も休めず、
前にもらった消炎鎮痛剤を飲んで配達を続けていたら、
薬の副作用でぼんやりしてしまったせいか、
配達中、自転車で思いきり電柱に激突してひっくり返ってしまった。
 
 少しスピードが出ていたせいか、
結構派手な転び方をしてしまい、
右ひじを大きく擦り剥き、右手の平が全体的にズル剥け、血が吹き出して止まらない。
 なぜか、左手の指の間に3ヶ所、鋭い傷が出来、
右手は、痛くて握れなくなっていた。
 
 絆創膏など持っていなかったので、
とりあえず唾をつけてティッシュで血を拭いたが、
真っ赤な血があちこちからダラダラ垂れてきて、止まらなかった。
 
 何とか残りの10通ほど配り終え、
家路に着いたが、
家には誰もいないので、
一人でトホホなどと言いながら消毒したり包帯を巻いたりした。
 
 その日は、年に一度の街のお祭りだったので、
小4の四男と3歳の長女は、私の両親と一緒に露店を見て回っていた。
 
 昼まで部活に行っていた中3の次男が家に戻ってきたので、
一緒に祭の一行と合流することにした。
 
 父の携帯電話に連絡し、
角の酒屋にいるということだったので、
歩いてそこまで行っておちあったのだが、
包帯だらけの私に、
「あ〜あ、またか」
という一同の反応。
 
 そうなのだ。
 私は、小さい頃からぼんやりしていて、
しょっちゅう怪我ばかりしていたのだ。
 
 みんなでぞろぞろと露店を見てまわり、
かなり歩き回ったところで、
ふと、私は、自分の状態を省みた。
 
 気管支が痛い。
 舌が痛くて動かない。ろれつが回らず、物が食べにくい。
 30箇所くらいの傷がうずく。
 右手がズキズキ痛くて握れない。
 右半身がねじれて痛い。
 
 そして・・・・・・心身ともに、疲れきっている。
 
 
 家に帰り、ちゃぶ台に突っ伏して、
「もうダメだあ〜」
と、大きい声で言ってみる。
 
 が・・・・・・
 誰も聞いていない。
 
 ああ、ホントに今、私、かなりしんどいんだけど・・・・・・
 
 そこへ、長女が歩き疲れて擦り寄ってきた。
 「おかあしゃん、パイパイ」
 
 まただ。
 ま〜〜〜だ吸ってやがる。コヤツは!
 3歳半にもなるのに、ま〜〜〜だ私の乳から私の血をすすりまくっていやがる。
 
 だいたい、43歳を目前にして、
いつまでも血(乳)を吸われていることが、
私の万年貧血万年疲労の原因なのだ。
 もう、何度もやめさせようとしたが、
本当に長女は、頑固で、
食後の一服、疲れた時の一服、
寝る前の一服、寝起きの一服、と、
まるでヘビースモーカーがタバコを吸うように、
習慣としてパイパイを吸うのだった。
 
 その晩も、
あちこち体が痛くて思うように寝返りも打てないというのに、
長女は、添い寝する私のおっぱいを一晩中口に含んでいた。
 
 おかげで、朝起きたら、首が動かなくなっていた。
 
 そうなのだ。
 持病の頚椎椎間板ヘルニアの症状が出始めてしまったのだ。
 
 この症状がでると、
首から左肩がパンパンに張って痛み、
上を向けなくなる。
 左腕が痛くて動かせなくなり、左を向くと激痛が走る。
 
 今まで17年間、
ずっとアカンボを自分の右側に寝かせ、
あまり寝返りをしないように気をつけながら、
ず〜〜〜っと右を下にして寝ていたせいで、
ついに骨が変形して、首の神経に突き刺さってしまったのだった。
 
 場所が首ということで手術が難しいので、
シップをしたり、温めたり、
上半身の神経痛に効くという葛根湯を飲む、という、
対症療法で乗り切るしかないらしい。
 
 
 ああ、全身症状にまたひとつ追加だあ!
 
 気管支炎。
 舌のひどい口内炎。
 体じゅうの怪我。
 首と左腕の痛み。
 
 
 憂鬱・・・・・・
 
 これだけチビチビといろいろな不快症状がいっぺんに現れると、
本当に・・・・・・、
理屈抜きで、
ゆ・う・う・つ!
 
 というか、体を起こしているのがつらい・・・・・・
 
 
 
 そして、数日が過ぎ、ゴールデンウイークになった。
 
 久しぶりに夫が家族全員を食事に連れて行ってくれるというので、
珍しく揃った家族一同、やんややんやと食べに行ったが、
その翌日、長男が、また、
例のバイト友達と遊びに行くと言い出した。
 
 ダメと言っても行ってしまうので、
「せめて夜の10時までには家に戻りなさいよ」
と釘を刺したが、
当日、夕方になって、長男からメールが届いた。
 
 《今日、泊まっていい? ゲーセンには行かないから》
 
 何言ってやがんだ、この野郎!
 まだ懲りてないのか?!
 反省していると言っていたじゃないか?!
 
 ただでさえ具合が悪いのに、
今度は、血圧も上がってきたみたいだ。
 カッカカッカして、動悸が激しくなってきた。
 
 《ダメ! 最初の約束どおり、10時までに帰りなさいよ》
 
と返信したが、「相手が受信できない状態」とかで、
「蓄積」しておいた。
 何度もメールしたが、一向にメールが受信されることがない。
 
 おかしいな、と思い、
今度は、電話を掛けてみると、「留守番センターに伝言を」になった。
 
 どういうことなんだ?
 またゲーセンとかの電波の悪いところにたむろしているんじゃないか?
 
 イライラしながら電話を切ると、
すぐに長男から電話が掛かってきた。
 
 「電話掛かってきたけど、何?」
 「何じゃないでしょ。泊まりはダメだよ!」
 「あ・・・・・・はい・・・・・・わかった・・・・・・」
 
 やけに素直に言うことを聞いたが、
それからすぐにまた電話が掛かってきて、
「お母さん、やっぱり泊まらないと無理かも」
と言う。
 「無理ってなによ?」
と聞くと、
「だって、今、大学生の先輩の車で海に行くところだもん」
と言う。
 
 「海〜〜〜〜〜?!」
 
 我が家は、埼玉。 
 思いっきり内陸である。
 
 ここから一番近い千葉の海に行くとなると、
早くても3時間は、かかるはずだ。
   
 「ちょっと待ってよ。海って何よ! しかも、これから行くって! もう夕方じゃないの!」
 
 「あ、でも、もうすぐ着くところだから」
 
 「だって、もう5時でしょ? これから海で遊んで、帰って来たら、深夜じゃないの?」
 
 「だから泊まる、って言ったんだけど」
 
 「自転車は、どこに置いてあるの?」
 
 「駅前の駐輪場」
 
 「駅から家に自転車で帰る途中で補導されちゃうじゃないの?!」
 
 「じゃあ、先輩に家の前まで車で送ってもらうから」
 
 「当たり前だよ! 高校生だよ! もう!」
 
 「わかった・・・・・・ちゃんと家に帰るから・・・・・・」
 
 
 電話は切ったが、切った後、急に別の心配が湧いてきた。
 
 大学生の先輩って、免許取ったばかりでしょ?
 長時間運転して、夜まで海で遊んで、疲れて事故るんじゃないの?
 若いから、すぐ眠くなって、
居眠り運転しちゃうんじゃないの?
 
 大体、高校生が、友達と車で海に行くって、
そんなのダメじゃん!!!
 
 それも、夜遊びして補導されたグループで・・・・・・
 
 嗚呼・・・・・・
 
 心配・・・・・・
 
 酒とか、タバコとか、
そういうのも心配だけど、
今は、もう、ただ、
命が心配・・・・・・
 
 体じゅう痛いやら重いやらで、
身も心もぐったりしていると、
今度は、携帯ではなく、家の電話が鳴った。
 
 「あ、お母さん?」
 
 長男だった。
  
 「携帯の電池が切れちゃって、今、友達の携帯借りてるんだけど、
今海に着いたから」
 
 「えええ〜〜〜! もう6時半じゃん! 海に入らないでしょうね!」
 「入らない、入らない」
 「ちょっと、もう、夜なのに、運転危ないじゃないの!」
 「ねえ、お母さん、やっぱり10時までにはどうしても間に合わないから、
先輩のうちに泊まっちゃだめ?」
 「先輩のうちって、どこよ!」
 「家から5分のところだよ」
 「それよりも、お母さんは、命が心配なんだよ。
慌てて帰って事故るくらいなら、ゆっくり無事に帰って欲しいんだよ!」
 「わかったよ! 運転してる大学生ふたりだから、順番で運転してるから大丈夫」
 「でも、本当に気をつけてよ! ほんとうに!!!」
 「わかった。本当にお母さん、ごめん。もうこんなことしないから」
 「もういいから。本当に気をつけて、ちゃんと生きて帰ってきてよ! 着いたら電話してよ!」
 「はい・・・・・・」
 
 
 嗚呼・・・・・・
 
 気が重い・・・・・・
 
 気が重いよぉ・・・・・・
 
 私は、急いで台所の換気扇を回し、
小さいろうそくに火を灯し、お線香を焚いた。
 
 「立川のおじいちゃん」
と言って線香に火を点け、一本立て、
「立川のおばあちゃん」
と言って、もう一本立て、
「ブカのおじちゃん」
と言ってもう一本、
「葛飾のじいちゃん」
と言って一本、
「葛飾のばあちゃん」
と言って一本、
「それから、私たちを守ってくれている人たち」
と言ってあと二本、線香を立てた。
 
 天国にいる、大好きな人たちに手を合わせ、
(どうか、あの子たちが無事に家に帰れるように守ってやって)
と、お願いした。
 
 
 もう・・・・・・
 
 私たち大人が想像する以上のことを、
どんどんやっていってしまうんだ、
あの年頃の子供たちは・・・・・・
 
 いや、もう、いい加減、
親の元を飛び出したくて、
無意識にそういうことばかりしているのもかもしれない。
 
 でも、あと2年。
 高校生の間は、もっとちゃんと学生していて欲しい・・・・・・
 大学生になれば、もっといろんな世界が広がるだろうから、
まだもうちょっと、親元で息苦しい生活を積み重ねておいた方が、
爆発的に楽しい大学生活になると思うけど・・・・・・
 
 はあ・・・・・・
 
 
 人見知りで、おとなしくて、
いじめられっ子で、泣き虫な長男が、
はじけ始めている・・・・・・
 
 はじけてもいいよ。百歩譲って。
 
 でも、死ぬんじゃないぞ。
 これからもっともっと楽しいことが山積みなんだから、
それを知らずに人生を終えるようなことはしないでよ。
 
 今晩は、寝ないで連絡待ってるから。
 具合悪いけど、
無事に帰ったという声を聞くまでは、
母は、寝ないからな!!!
 
 
 
       (了)
 
 
 
 
    (子だくさん)2009.5.5.あかじそ作