「 野球少年文学少女 」

 子供の頃、基本的にチャンネル権は、父にあったが、
プロ野球のシーズンになると、それは、母に移った。

 この番組を見逃したら、
翌日絶対学校で話題についていけなくなる、
というとき、私と弟は、必死で懇願するのだが、
絶対に母は、野球以外の番組を見せてくれなかった。

 父も、夜9時から始まる洋画劇場をテレビで観るのを楽しみにしていたのだが、
野球が延長戦になると、母の野球のせいで、
出だしの大事なところを見ることができないのだった。

 この母の異常なまでの野球好き、巨人好きのおかげで、
父も私も弟も、
野球が大ッ嫌いになった。

 その上、巨人が負けでもしたら、
母の機嫌が恐ろしく悪くなり、
家の中に暗雲が漂ってしまうのが、本当に嫌だった。


 私が高校生の頃、
野球部の男子が中心になって、
下衆な男子軍団が、休み時間のたび、
クラスの女子のルックスを一人一人取り上げて悪評をし合い、
ゲラゲラクスクス笑っている時期があった。

 当時、大失恋したばかりで、毎日陰気な顔をしていた私は、
ヤツラの嘲笑の的として、ちょうどいい存在だったらしい。
 朝から晩まで、
「あれ見ろよ、今日も鼻ずるずるすすってるよ、キッタネエ」
「足太っ!」
「馬鹿、聞こえるぞ」
「聞こえたっていいよ、少し言ってやった方がいいんだよ」
「おいおい」
「何も感じちゃいねえよ、あのクソは」
などと、聞こえよがしに言われていたのだ。

 坊主頭のその男子は、
忘れもしない野球部のエースで、
クラスの人気者であった。

 小さな声で弱い者いじめをして、
大きな声で「みんな、クラスのために力を合わせよう!」などと言う、
本当に嫌なヤツだった。

 コイツのせいで、
私は、ますます野球が大嫌いになった。


 大学の頃、サークルの仲間と居酒屋に行けば、
大勢で座敷で騒いで店じゅうの人たちに迷惑をかけていたのも、
たいてい、草野球のチームの連中だったし、
通勤列車に乗っていて、頭の悪い馬鹿話を大声でしゃべっていたのも、
野球小僧の集団だった。

 概してヤツラは、
馬鹿で、思ったことをずけずけ言い、声が大きく、
ただでさえ迷惑なのに、決まって団体行動なのだ。


 結婚して、子供が生まれ、
古い一軒家を買うと、
隣の家のふたりの息子たちが、野球をやっていた。

 我が家の車に連日ボールをぶつけてボコボコにするくせに、
うちの子供がふわふわボールでサッカーをしてるだけで、
親子総出で飛び出してきて、
「うちの車が傷つく」「うちのガーデニングが乱れる」
と、年端も行かない子供たちに本気で怒鳴りつけるのだった。

 そうなのだ。

 野球をやってる本人よりも、
最近の私は、実は、その親たちが嫌いなのだ。

 休みごと、校庭や町のグラウンドで、
相手チームの子供を口汚くののしる大人の声を聞くと、
もう、本当に、殺意さえ湧いてくる。
 勝つとか負けるとか、
競争心ゼロの私にとって、無価値とも言えるようなものに、
なりふりかまわず一番の価値を置いている者どもめ。

 自分が一番になるのが、そんなに嬉しいか?
 人を押しのけて、相手にひどい言葉を浴びせて、
一等賞になったところで、
自己満足以外、何が残るというのか?

 「練習中は水飲むな!」
だと?

 アホか?
 脱水症状で死ぬわ!

 「へたくそ! テメーなんて消えちまえ!」
だと?

 大人が子供に、
そんなこと言っていいと思っているのか?

 休日、
少年野球チームのコーチをやっている男たちは、
平気で子供たちに罵詈雑言を浴びせているが、
そこで覚えた口汚い言葉を、
子供たちは、学校で、弱い者に向けて言い放っているんだぞ。

 日本の学校のいじめの一因は、
スポーツ少年団のコーチをやっている、
インチキ指導者たちの言動なんじゃないか?

 ああ、嫌い。

 野球を取り巻く大人が嫌い。

 子供は、ただ、
大人たちにいいようにされているだけ。

 野球少年は悪くない。
 野球少年の周りのガラの悪い大人たちが、大嫌い!!!

 ヤツラの放言に傷つき、
文学にその救いを求めてきた私は、
「文学の宿敵は、野球だ!」
と確信していた。

 それくらい、もう、
取り返しのつかないほどに、
私は、野球が大嫌い、というより、
野球に対して、重症のアレルギーを持っていた。

 そう、私は、野球アレルギーなのだ。


  ああ、それなのに・・・・・・

 三男が、中学に入り、
なんと野球部に入ると言い出したのだ。

これは、私にとって、天変地異だった。

 上のふたりの息子は、私と同じ吹奏楽部に入り、
私も一生懸命応援していた。
 アドバイスもしたし、家で練習も見てやった。
 時には、厳しく、時には、大いにほめて、
彼らの技術を伸ばすのを楽しんだ。

 日に日に楽器が上手になっていき、
演奏会やコンクールで、
信じられないような素晴らしい演奏をする息子たちを、
ウルウルしながら見ていた。

 関東大会に進出したといえば、
お祝いに、家族揃ってご馳走を食べに出かけた。

 だが、そういえば、
三男は、ひとりだけ、
「ぼく、演奏会行かなくていい?」
と言って、リトルリーグをやっている友達数人と遊びに行くことが増えていた。

 「友達とキャッチボールしてくる」
と言って、毎日、出かけていた。

 「あれ?」と思って聞くと、
仲良くしている友達は、みな、
野球少年ばかりだった。

 三男ひとり、野球チームに入っていなかった。

 そういえば、三男が小学生の頃、
友達が、ひとり、またひとりと、
野球チームに入っていくのを見て、
「お母さん、僕も野球やっていい?」
と何回も聞かれた。

 私は、
「自分の人生で、野球に関わることなど一切無い」
と、確信していたので、
「喘息だから無理無理」
とか、
「下に小さい弟妹がいるから無理でしょ」
とか言って、適当にあしらってきた。

 三男が土日ごと
「暇だ暇だ」
「暇で死にそうだ」
「体動かしたい」
「野球したい」
と騒ぐのを、私は、
「わからないこと言ってんじゃないよ!」
と、一喝してきた。

 三男がシュンとしおれて、
四男を連れて公園でひょろひょろのキャッチボールをやっている時、
友達は、みな、汗水流して野球を本気で練習していたのだ。


 友人たちに誘われ、
三男は、野球部に入った。

 みんな小さい頃から野球のチームで鍛えてきた子ばかりで、
初心者で野球部に入るのは、うちの子くらいだった。

 親しいお母さんたちからは、
「親たちが、リトル時代からガッツリ仲間で、後から入るの無理じゃない?」
「練習きついらしいよ〜」
「土日も休み一切無いよ」
「遠征多いよ〜」
「お茶当番とか、親も大変だよ」
「試合ごとにレギュラーの親は付きっきりでついて行くんだって」
「道具揃えるのにお金相当掛かるよ」
「レギュラーでエラーとかすると、よその親とかも凄い野次飛ばすんだって」
「自主的に差し入れとかしないとKYって噂されちゃうんだって」
などと、悪い噂ばかり聞かされ、
私は、もう、うつ状態になるほど、打ちのめされてしまった。

 「本当に野球部入るの? この間まで陸上部がいいって言ってたのに」
と聞くと、
「うん・・・・・・」
と、三男は、怖い顔をして言う。

 「でも、お金かかっちゃうんだけど」
と遠慮がちに言うので、
「お金の問題じゃないよ。本当にやりたいことやれば、それでいいよ」
と答えたが、
三男も、母親の私が野球嫌いなのをよく知っているので、
相当悩んでいるようだ。

 「仲のいい子が野球部だから、とか、
友達に誘われたから、とかいう理由じゃ続かないよ。分かってる?」
と念を押すと、
「分かってるよ」
と、言う。

 「一生懸命やってるのに、ミスしたらみんなに怒鳴られるんだよ。
あんた、プライド高いのに、我慢できるの?」
 「できる」

 「3年生の先輩の中に、お兄ちゃんをいじめた子もいるんだよ。
弟だからって、訳も無くいじめられるかもしれないよ」
 「大丈夫」

 「一番へたっぴで、ずっとレギュラーになれなくてもいいの?」

 そう言うと、三男は、少し黙った後、こう言った。


 「3年間球ひろいでもいいんだ。
 友達がみんなレギュラーになって、ひとりでベンチにいてもいい。
 一生懸命、本気で応援するよ。
 ぼく、野球が好きなんだ。
 野球がやりたいんだよ!」


 私は、思い切り胸を殴られたような衝撃を受けた。
 コイツは、本気だ。

 ホントに野球が好きなんだ。
 ずっと野球が好きで、
友達がみんなやっているのを見て、
本当にずっと野球を我慢していたのだ。
 母親が野球を嫌っているから。
 母親を困らせないように、
グッと我慢し続けていたのだ。6年間も。

 でも、勇気を出して、やっと言えたのだ。
 「ぼくは、お母さんの大嫌いな野球が好きで、どうしてもやりたいんだ」
と。

 私が、大好きな母のために我慢して野球中継を見ていたように、
三男は、母親の私のために、野球を我慢していたのだ。

 ごめん。

 子供に無理な我慢をさせて、
のびのびと好きなことをすることを阻止していたのは、
「野球する子の周りの大人たち」ではなく、
私自身だったのだ。

 自分が大好きなことを、「お母さん」が嫌がっていたら、
悲しい気持ちになるだろう。
 友達はみんな、野球をするとほめられるのに、
自分は、叱られる。
 キャッチボールをすると言っても、バットで素振りをしたいと言っても、
「危ないからやめなさい」
と、心底嫌な顔をして言われる。

 三男の心の中には、
だから、いつも、
言葉にできない哀しい凶暴なエネルギーが渦巻いていたのだろう。

 時々、理由も無く大暴れして、
号泣しながら家の中の物を壊していたのも、
その後、私や兄たちに馬乗りになって押さえつけられて、
哀しそうに静かになってしまうのも、
そんな、言葉にできないフラストレーションが、
限界以上に溜まっていたからだったのか。

 私は、わからないことだらけだった三男のことが、
やっとわかってきた。

 一秒もじっとしていられない気質。
 休日も、一瞬だって座っていない落ち着きの無さ。
 そんなところを、私は、「障害」だと思っていた。

 いつも仲間とつるんで、
やったりやられたりしながら遊んでいるところ。
 それを私は、「しがらみ」だと思っていた。

 しかし、それは、違うんだ。

 土日も休み無く大好きな野球をしまくりたい。
 じっと座っている暇があったら、素振りのひとつもしたい。
 いつもいつも走っていたい。
 暇さえあれば、ボールを投げたり転がして遊んでいたい。

 それは、「野球部としての素質」だった。

 喧嘩しても、やってもやられても、
いつもの仲間とつるみたい。

 それもやはり、「野球部体質」だったのだ。

 12年間悩んだ三男の「障害児疑惑」。
 実は、これは、単なる「野球小僧の特性」だったのか。

 迷わず自分の価値観を基準にしていたから、
全然気づかなかった。

 普段から、
「みんながどんな悪い評価をしていても、私は、自分自身の評価を信じたい」
とか、
「知りもしないことを、遠くから見ているだけで、どうこう言うのは違うと思う」
とか、
「やったこともない事を批評してはいけない」
とか、豪語していたが、
自分が一番、食わず嫌いをしていたじゃないか。

 野球は、ダメだ、サイテーだ、と、
野球をする人間の気持ちも生活も知らずに、
思いっきり言い放ってしまっていた。

 私は、何も知らなかった。
 知ろうともしなかった。

 野球小僧たちが、
朝から晩までドロドロになって練習した後に、
家で、ひとりで素振りを何百回もしていること、
夜遅く、仕事で疲れたお父さんが、
キャッチボールに付き合ってくれていること、
毎日、グローブにオイルを塗って、きちんと道具をメンテナンスしてること、
バッティングの苦手な子、遠投の苦手な子に、
得意な子が手取り足取り、真剣にアドバイスしていること、
ひどいミスをして、みんなから怒号を浴びている背中を、
仲間が黙ってポンと優しく叩いて通り過ぎていくことを。


 部活の仮入部期間が終わり、
本入部の申し込みが始まるその日に、
三男は、誰よりも早く、頭を丸刈りにしていった。

 リトルリーグに入っていた子達は、
野球は好きでも、丸刈りには、みな抵抗があって、
誰かが坊主になってから髪を切ろうと、互いにけん制し合っていた中で、
初心者の三男が、みんなにからかわれるのを覚悟で、
一番に坊主頭にしてきたことで、
みな、目が醒めたように、一気に坊主にしてきたらしい。


 日に日に真っ黒になってゆく三男。
 水を得た魚のように、
キツイ練習も楽しくて仕方ない、と言う。

 長距離ランニングでは、
先輩を差し置いて3位になったこと、
素振りを先生にほめられたこと、
短距離走のタイムをコーチに言うと、
「いい選手が入った」と言われたことなど、
口下手な三男が、毎日とつとつと話す。


 ずっと禁止されてきた大好きなことを、
朝から晩まで思いきりできる幸せ、
自分の好きなことを、お母さんが好きになろうと努力していることなど、
そういう、こんがらがったものがほどけてゆくような気持ちよさに、
三男は、浸っているかのように見える。

 ありのままの自分が受け入れられた安堵感が、
身からにじみ出ていて、
見たこともないほど情緒が安定している。

 もう、決して家で悪態をつかない。
 それどころか、兄弟が親に反抗していても、
ひとりで黙って親の味方をして動いてくれる。


 野球少年と、文学少女。
 超体育会系と、純文化系。

 決して交われない平行線かと思っていたが、
根底に流れているものは、みな同じだ。


 ひと気のない廊下で、
ひとりで納得行くまでホルンのソロパートを
何度も何度も繰り返し練習していた高校2年の夏。

 あの頃の自分が乗り移ったように、
今、三男が、黙々とバットを振る。


 文化系の人間だったら、
「頑張りすぎないで。無理しないで、自分らしく♪」
と言う。

 しかし今、私は、
三男にあえてこう叫ぶ。


 「頑張れ!!!」

と。




        (了)


(子だくさん)2009.5.12.あかじそ作