「 小津専務 」 |
僕は、幼い頃から早期教育かぶれの母親の言うなりになって、 塾や英会話、ピアノに書道など、習い事をいくつも掛け持ちしてきた。 地域で一番成績のいい学習塾に20年近く通いつめ、 おかげで、偏差値は、常にトップで、 特に趣味も特技もないままに、 一部上場の企業に勤め、数年が過ぎた。 その会社には、 僕と同じ道のりで生きてきた人間が掃いて捨てるほどおり、 いつもどこででも一番だった僕は、 ここへきて初めて「一番下」となった。 僕は、誰より勉強ができるし、 ずっと継続してきた習い事のおかげで、 字もうまいし、計算も速いし、 音楽にも造詣が深い。当然、絶対音感もある。 もちろん、コンピュータにも通じているし、 文学や政治経済、歴史や科学なども、 人並み以上の教養を身に付けているつもりだ。 しかし、そういう人間ばかりが、 まるでロウトで集められたようなこの会社では、 僕は、あまりに無力で、無個性で、無能な人間であった。 「君には何ができるか? と問われ、 「一通り何でもできます」 と答えると、 「では、これといった何か、を持たないのだね?」 と言われ、 会社の総務部に回された。 そんなわけで、 毎日、「一流企業」の隅で、「事務の雑事」に追われている。 一体、僕は、誰のためにこんな毎日を過ごしているのだろう。 幼児の頃は、ただ、母の喜ぶ顔を見たいだけだったが、 小学校に入ると、次は、目標の中学に入るため、 それを達成し、中学に入れば、目標の高校に入るため、 そして、それも達成したら、目標の大学、 目標の企業に、と、 次々と自分に課せられた目標を達成してきたが、 僕の次の目標は何だろう? 同期入社の仲間たちは、 「同期の中で一番出世するのが目標だ」 などと笑い合っているが、 僕は、ここへきて急に今までの生き方に醒めてしまい、 次に向かうべき場所がわからなくなってしまった。 一番上とか、一番下とか、そんなの、どうでもいい。 僕は、一体、どうしたいんだ。 どうなりたいんだ。 毎朝デスクのパソコンに届く、 主管から全社員に一斉送信される「プレッシャーメール」が、 今朝も僕をあせらせ、イラつかせるのだ。 【業績が今期もノルマに達せず。心を入れ替えて真剣に業務に励むこと!】 【目標を達成出来ない者の名を、社員食堂の入り口に貼り出すので覚悟すること!】 【万一、ミスをする者がいたら、その管理責任者を処分する】 【業績を上げない者は、実質、会社への損害を生じさせたという罪で処分の対象になるので、 そのつもりでいること】 そのメールの差出人は、いつも【小津】という取締役だ。 「てめえらみんな価値の無い駒ばかりだ」 「俺の言うこと聞いてちゃんとやれよ馬鹿」 と、言わんばかりの通告を、 毎朝、全社員に一斉送信するその神経。 こんなことをして、会社の士気が上がるとでも思っているのだろうか? これが逆効果になっていることに気づかないとは、 この小津と言うヤツも、相当な馬鹿野郎だ。 いや、こんな専務をのさばらせておくこの会社自体がもう、 ダメなんじゃないだろうか。 社員は、みんな毎朝、 この小津というヤツのおかげで、 朝からいやな気分で仕事を始めるのだった。 しかし、幸い僕の直属の上司がとてもいい人で、 「まあ、小津専務は、いつも厳しいことをおっしゃるけれど、 我々は、我々のできるかぎりの仕事を一生懸命やろうじゃないか」 と、僕ら平社員たちに笑顔で語りかけるので、 みんな、「あなたについてゆきます」という気分になるのだった。 そんなわけで、僕は、 今日も、この情に厚い上司のおかげで こんなつまらない会社でも、 懸命に、一歯車として働いていられるのだった。 この上司の喜ぶ顔が見たくて、 この上司にほめられたくて、 みんな、キツイ仕事も頑張って乗り越えているというところさえある。 この信頼できる上司がいなかったら、 僕はとっくにこんな嫌味な小津の仕切る会社なんかやめていただろう。 小津が嫌味を言えば言うほど、 この上司の優しさ、包容力を身に沁みて感じることができ、 僕の毎日を、 いや、 この僕自身を、 かろうじて価値ある人間として感じることができるのだ。 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> 40年が、あっという間に過ぎていった。 僕は、この会社を定年退職するまで勤め上げてしまった。 今どき流行らない終身雇用と言うヤツを、やりのけてしまった。 あの、新入社員の頃に世話になった上司を目標に、 自らに課された仕事を着実にこなし、温かい目で社員を育て、 この会社を大きくし、卒業するに到った。 僕ら社員は、みな、直属の上司に恵まれていた。 あの、鼻持ちならない【小津専務】以外は、 みんな素晴らしい人たちだった。 その人柄が僕らをやる気にさせ、 僕らは、会社のために頑張れたのだ。 退職金が振り込まれたことを確認した後、 僕は、40年来胸に秘めていた企みを実行に移した。 小津専務の部屋に挨拶に行ったのだ。 40年もこの僕らに嫌がらせし続けた小津と言う万年専務とは、 一体どんなヤロウなのか? そのツラを一度拝んで、 嫌味のひとつも言ってやらなきゃ腹が収まらない。 こいつのあの手この手の嫌味攻勢で、 やめそうになる有能な社員たちを、 僕らは、どれだけ懸命に抱きしめ、受け止め、認め、 その力を発揮させるのに苦労したか。 ノックして、返事を待たずに入室すると、 そこは、真っ暗で、椅子ひとつ無く、 ポツンと一台のパソコンが置いてあるだけだった。 そのモニターの送信の記録を見ると、 僕らに毎日一斉送信し続けた嫌味メールの数々が、 延々と映し出されている。 (もしかして・・・・・・・小津専務っていうのは・・・・・・) オズ・・・専務・・・・・・ OZか! オズの魔法使いの! 小津専務なんて、そんな人間は最初からいなかったのだ。 社員の心をひとつにするために、 人の温かい心を育てるために、 この会社には、架空の専務【小津】がいたのだ。 僕は、静かに部屋を出て、 ひとり、うすら笑いを浮かべながら家路に着いた。 架空のOZにしてやられたが、 それも結構悪くなかった。 僕は、ドロシーだったのか? いや、意気地なしのライオンか、 それとも、 脳みそのないカカシか、心の無いブリキ男だったか。 いずれにしても、あの会社は、 ライオンから勇気を引き出し、 カカシの利口さを意識させ、 ブリキ男の心を育てたのだ。 ああ、そう考えれば、 悪くないサラリーマン人生だったな。 (了) |
(小さなお話)2009.6.2.あかじそ作 |