「 がんばれ! タウンウォーカー 」 |
妊娠中、運動のため、 毎日1〜2時間散歩していたのだが、 平日の真昼間からぶらぶら街を歩いているのは、 たいてい、私のような散歩妊婦か、 乳幼児を連れた若いママ、 リタイア後のジイサン、中高年のおばちゃんたちだった。 中には、土日祝日が「カキイレドキ」で 平日にしか休みの取れない販売業の男性と、その家族が、 揃って買い物をしていたり、 ランチを楽しむ主婦の軍団も多数いた。 当時、妊婦の私が、 フーフー言いながら散歩していると、 はるか前方を、首からタオルを提げ、 片足を引きずりながら歩くジャージ姿のおじさんと、 その付き添いの奥さんらしき人が歩いていた。 おじさんは、脳梗塞か何かで倒れた後遺症で半身麻痺になったらしく、 力なく垂らした右手を奥さんに抱えられ、 力の入らぬ右足を引きずって、 非常にゆっくり、ゆっくりと、前へ進んでいた。 妊娠6ヶ月だった私は、 まだそれほどおなかも大きくなかったので、 あっという間に彼らを追い抜いてしまった。 真夏ということもあり、 おじさんは、頭のてっぺんから足の先まで、 水をかぶったように汗でずぶぬれになっており、 横で付き添う奥さんが、ペットボトルの水を飲むようにしきりにすすめていた。 脳疾患にとって、脱水は命取りなので、 奥さんはそれこそ必死に水をおじさんにすすめるのだが、 おじさんは、いうことを聞かない自分の足にイラついているのか、 ろれつの回らない舌で 「るるさい!」 と、奥さんを怒鳴っているのが後ろから聞こえた。 私の義母も脳出血で倒れ、 右半身と言語が不自由になってしまったが、 病院での定期的なリハビリは通っているものの、 それ以外は、一切外出しなくなってしまった。 今まで健康には人一倍自信が有り、 自分は誰よりもきちんとしている、という、 高いプライドを持って生きてきた人なので、 そんな自分が足を引きずって近所を歩きまわるなどと言う屈辱は、 彼女には、きっと耐えられないのだろう。 今は、すっかり引きこもりの状態で暮らしている。 私は、義母のそんな状況を思い出し、 このおじさんとおばさんの、 地道で、地べたを這いずるような、 低い低い位置での格闘に、心底感心した。 ああ、義母も、 変なプライドは捨てて表を出歩き、 楽しんで生きていって欲しいなあ、と思った。 しかし。 そんな悠長なことを言っていられたのは、ほんの数ヶ月のことだった。 私も妊娠9ヶ月にもなると、 いい加減体が重くて、あまり早く歩けなくなってきた。 おなかもひんぱんに張るので、 時々立ち止まっておなかをさすり、 キツイ張りが治まるのを待っていると、 ふいに、横を凄い勢いで抜き去る人がいた。 あのおじさんだ。 ここ数ヶ月の奮闘がここまで彼を回復させたのか? おじさんは、私を横目でチラリと見ると、 ニッコリほほ笑んで追い抜いて行ったのだった。 「なぬ?!」 これは油断をしていた。 私も、負けてはおれぬと、再び歩き出し、 抜きつ抜かれつしながら、同じ散歩コースを歩いた。 それからというもの、 毎日私とおじさんは、 街の遊歩道でデッドヒートを繰り返し、 完全に好敵手となった。 さすがに臨月の頃には、負け続きになったが、 それでも調子のいい日には、ニッコリ会釈しながら追い抜いてやった。 すると、後ろからおじさんのフーフー言う荒い息遣いが聞こえてきて、 ついに、信号待ちをしている私に追いつき、 信号が青になったとたんに、 すさまじいスタートダッシュで私を追い抜いて行くのだ。 「うぬぬぬぬ〜、明日こそは負けんぞ!」 と、トコについたその晩、 破水して出産となった。 それからというもの、 新生児と、新生児を囲む家族のくらしで夢中になり、 おじさんとのレースのことは、すっかり忘れていたのだが、 最近、配達の仕事を始めて、 思わぬ再会を果たした。 あれから4年。 見覚えのある、あのジャージ上下と、首に掛けたタオル。 間違いなく、あれは、あのおじさんだった。 奥さんの乗った車椅子を押しながら、 優しく何かを話しかけている。 時折、立ち止まり、 奥さんの顔の高さに合わせてかがみ、 何かを指差して、ふたりで笑い合っていた。 その横を、荷物満載の自転車で通り抜ける私に、 ふたりは、まるで気づいていないようだった。 (了) |
(こんなヤツがいた!)2009.6.9.あかじそ作 |