「 楽得主義 」

 こちらからどんどん話しかけて、
どんどん面白い話題を持ちかけて、
どんどんどんどん盛り上げていくタイプの私にとって、
誰かの話にじっくり耳を傾けたり、
じっくり愚痴につきあったり、
じっくりじっくり相手に寄り添うというようなことは、
実は、一番苦手なことだった。

 野球で言えば、ピッチャー、
サッカーで言えば、センターフォワードタイプの性格で、
どちらかというと、自分から攻めてゆくタイプだ。

 しかし、子育ての途中で、ふと気がついた。
 子供って……多かれ少なかれ、みな、
ピッチャーで、センターフォワードなのだ。

 ぐずったり、暴れたり、
漏らしたり、吐いたり、
熱出したり、喘息で死にそうになったり、
我がまま言いまくったり、泣き言を言い続けたり、
もう、もう、
どんどん休みなくキツイボールを投げつけてきて、
こちらの都合や体調など、一切おかまい無しだ。

 その分、存在そのものが
大人を充分幸せにしてくれるのだが、
それにしても、
この、連日連夜、
24時間365日、
10数年にわたる「攻められ続け」の毎日に、
すっかり「守り手」にさせられてしまった。

 まあ、今までの自分がわがままな子供だったから、
「子育てによって大人にさせてもらった」
という、それだけのことなのだろうが、
それにしても、
ピッチャーがキャッチャーをやり、
センターフォワードがゴールキーパーをやることの
「しっくり行かない感じ」は、
子育て17年目にしても、いまだ、ある。

 はっきり言って、
私は、子育てが下手だ。

 というか、
私自身が、子供だ。
 いつまでたっても。

 両親が、その上をいく「筋金入りの子供」で、
今まで身近に見本になるべき成熟した大人が一切いなかった、
というのも、いけなかった。

 私の周りには、
大きい子供や、年取った子供、
年季の入った偏屈な子供や、
柔軟性の無い傲慢な子供はたくさんいたが、
気を許せる、信頼に値する大人は、
まあ、見事なくらい、
本当にいなかったなあ、と思う。

 ずっと、大人の人を捜し求めてきたが、
ま〜〜〜ず、見当たらなかった。

 実生活では、本当に惨憺たる状況だったので、
一時期は、純文学の世界に身を沈め、
文学の中に人の心の成熟を求めたが、
これがまた、
ま〜〜〜ず、
意気地無しや甘ったればかりが闊歩している世界であった。

 なんなの? あんたら、一体全体。
 大人はどこ?

 どいつもこいつも、
自分に得になることばかりを追求し、
世のため人のためになすべきことを、
「自分にメリットが無い」と見たら、手を出さない。

 損得だけで動く人間の多さ!
 より楽な生き方を求める風潮!

 得で、楽で、
難なく生きていく人生!
 楽、得、楽、得、楽、得、楽、得。

 それ! 何が楽しい?! 

 種を植え、
双葉に水を遣り、
それが、茎を伸ばし、柔らかい若葉を広げ、花を付け、
実をなし、成熟してゆくのを見る喜びを、
震えながら感じる幸福。

 この幸福に、損も得も無い。

 この、やっと実をなした子供たちに、
やれ老後の自分の世話をせよだの、
自分の後を継げだのと、
勝手に見返りを求めるなんて、もってのほかだ。

 いや、待てよ。

 そういう見返りを求める姿勢は、
キャッチャーでもキーパーでもないぞ。
 親が主導権をいつまでも振りかざす、
ピッチャーやフォワードタイプの大人のセリフではないか?

 大人げゼロの、歳ばかりとった身勝手な「実質子供」、
私が長年、軽蔑し続けた人間たち、
それこそが、
私がそうありたいと願ったピッチャーやフォワードの姿だったのか?

 いや、違う。

 私は、やはり、
「成熟した人間になること」を人生の目標に挙げながら、
実は、その道のりの厳しさにネをあげて、
楽で得な、包容力ゼロの大人子供であり続けようとしていた。

 「人生楽しもうよ!」
の、言葉の裏に、
「(子供なんて差し置いて)自分を一番に可愛がろうよ!」
という、楽得主義があった。

 「子育ての楽しさ」
を訴えながら、
子育てのつらさをぐじぐじぐじぐじ嘆いてばかりいた。
 子育てが、楽でも得でも無いからだ。

 楽や得を求めるから、つらいのだ。

 子育てに、
そして、人生に、
楽や得を求めるから、つらくなるのだ。


 楽や得は、ただの「ズル」で、
ちっともいいことではなくて、
楽得ばかり追い求めて生きれば、
本当の、
深い意味での達成感や充実感を一生知らない、
ペラペラな、つまらない人生になるということに気付こう。

 子育てにも、人生にも、
「成熟を喜ぶ」という、
そのささやかで強い想いだけで臨めば、
そこには、複雑な悩みは起こらず、
ただ清々しい願いや喜びや悲しみだけが存在する毎日になるだろう。

 こんなに不自然に、頭と心をひねらなくても、
生きてゆけるだろう。

 人々が、こんなにイライラしなくて済むだろう。

 「明日も新しい花が咲くかしら」という小さな希望が、
毎日の疲れを吹き飛ばしてくれるだろうに。



  (了)

(子だくさん)2009.8.25.あかじそ作