子だくさん 「看護しまくり」
 
 


 午後、買い物から帰ると、
玄関先にマスクを掛けた次男がぼんやりと立っていた。
 聞くと、クラスで新型インフルエンザの子が続出して、
学級閉鎖になったという。
 で、次男自身も具合が悪いらしい。
 
 「何! ついに来たか!」
 
 ふらつく次男を、とりあえず「子供部屋1」に行くように指示し、
(我が家には学習机が何台も置いてある1階の「子供部屋1」と、
2段ベッドが2台置いてある2階の「子供部屋2」がある。
 築30年以上経つので、1階は地震でつぶれる可能性が高いので、
全員2階で寝るようにしているのだ)
2段ベッドの次男のところから布団一式を運び、
「子供部屋1」の連立する机と机の間に強引に敷いた。
 
 「ここで寝ていて。しばらくこの部屋を隔離部屋にするからね」
 
 子供部屋1は、
以前、自分でドアをカントリー調にリフォームしようとして、
既製のドアを思いっきりぶっ壊して外したものの、
力尽きてそのままになっていたので、
ドアがない。
 
 その部屋を隔離部屋にしようというのは、
いささか無理があるが、
この部屋には、うちで唯一、
最新鋭の空気清浄機能のついたエアコンがある。
 がんがんに空気清浄しながらやんわり暖房を入れれば、
何とか病人にもそのほかの家族にもいい環境が保てるだろう。
 というか、4DKに住む大家族の我が家にとって、
この勉強部屋が一番ひと気がないので、
ここしかないのだ。
 つまり、受験生を含む4人の学生がいるのに、
勉強するやつがひとりもいない、というわけだ!
 
 受験勉強をするために子供部屋にいいエアコンを入れたが、
一切勉強しないので、普段まったく起動することがなかったが、
ようやくその役割を果たせるというわけだ。
 
 ああ、いいのか、悪いのかわからない。
 
 ともかく、
「だるい、頭痛い、喉痛い、目ん玉の裏痛い」
という次男を布団に寝かせ、
熱を計ると、38、2℃だった。
 連日、来週の合唱祭に向けて練習をしているそうなのだが、
昨日、次男のとなりで一緒にテノールを歌っていた男子が
インフルエンザで休んだのをきっかけに、
次々に具合が悪くなる者が続出し、
とうとう、学級閉鎖にまでなってしまった。
 
 まあ、それも当然だろう。
 インフルエンザは主に飛沫感染をするというのに、
全員で思いっきり腹から声を出し、飛沫を飛ばしまくっているのだから、
感染しないわけがない。
 
 そんな調子で、どのクラスも合唱祭前に、
インフル祭になってしまい、
学年閉鎖にまでなったとのことだった。
 
 さて、我が子のことだが、
次男はもともと丈夫なので、
夕方になって39度の熱が出ても、
歩いて医者に行けるくらい頑丈だった。
 
 これが虚弱体質の長男や四男だったら、
この時点でもう、入院ものだっただろう。
 
 医者でインフルエンザの検査をしたものの、
発熱からまだ6時間経つか経たないかで、
数値として「陽性」とは言えないものだったが、
症状は明らかにインフルエンザで、
インフルエンザの子の横でずっと歌っていたなら、
まあ、インフルエンザに間違いなさそうだ、ということだが、
「お母さんどうします? 薬出します?」
と聞かれ、
「出してください、兄弟みんな喘息の持病があるので!」
と、強くお願いすると、
うちの事情を良く知るかかりつけの先生は、
しゃあねえな、と言った感じでリレンザを出してくれた。
 
 翌日、この医院は休みなのだ。
 急変して手遅れになるのだけは避けたかったのだ。
 
 こうして、リレンザを処方され、
咳と痰のくすりももらって、
次男は、ひたすら隔離部屋で寝起きすることになった。
 
 次男のいる部屋の入り口には、
気休め程度の長のれんが掛けられ、
【入室禁止 用事のある人はお母さんに言うこと】
という張り紙を張った。
 
 隔離部屋に入るのは私一人に限定し、
病弱な弟妹には移さないようにしたい。
 今までのように、
うつる病気でも何でも普通に居間に出入りして、
みんなで一緒に食事し、寝起きしていたら、
きっと、うちの中がパンデミックになる。
 みんなぶっ倒れて、誰も介抱できなくなり、
仕事も全員休むはめになり、
生活にも支障をきたすだろう。
 
 これだけは避けたい。
 
 というか、持病持ちが掛かると危険な病気なのだから、
今回のことで、うちから死人を出したくない。
 
 もう、必死だ。
 
 今まで家族から
「買い込みすぎだよお母さん」
と言われるくらい大量に買い込んだ消毒スプレーや消毒ジェルを、
隔離部屋始め、洗面所・玄関・トイレ・台所等に配置し、
次男の部屋に出入りするたび、
次男がトイレに出入りするたび、
次男の食事や薬の世話をするたび、
毎回毎回しゅっしゅしゅっしゅやっていた。
 
 買いすぎだと思っていたが、
案外使い切りそうな勢いで減っていく。
 
 私の手の指先は、
あっという間に荒れてしまった。
 
 今現在、うちじゅうの取っ手やトイレは、
いまだかつてないほど滅菌されているだろう。
 
 
 そして、翌日。
 
 仕事の量が半端ではなかった。
 お歳暮の季節が始まって、
配達の仕事も繁忙期を迎えていた。
 
 「来週は忙しくなるわよ」
と、上司から聞かされていたので、
先週、買いすぎなくらいに食料を買い込んでいたのだが、
その買いだめが初めて本当に役立った。
 
 長男が学校を休んだので、
何とか3歳の末っ子も見てもらえてよかった。 
 長男の高校は、家族にインフルエンザの患者が出たら、
出席停止なので、元気な長男は、
私が仕事に言っている間、もっぱら末っ子の世話に明け暮れた。
 もしかしたら感染しているかもしれない娘を、
元気いっぱいだが一応高齢者のじじばばに預けるのは気が引けるので、
本当に助かった。
 
 さて、配達が終わり、
家族の食事と、食物アレルギーの末っ子用の食事、
熱があり、下痢を起こしている次男用のうどんなど、
数種類の食事を作っていると、 
三男の中学の担任から電話が掛かってきた。
 
 「お子さんが学校で怪我をして救急車で運ばれました」
 「えええええ?!」
 
 聞けば、
三男は、昼休みに友達数人と校庭でボール遊びをしていて、
ボールを取るためにフェンスを乗り越えたらしい。
 そして、フェンスから飛び降りたところに細い木の切り株があり、
それが左のふくらはぎに突き刺さったとのことだった。
 
 長男に末っ子を預け、
次男に「寝ていてね」と言い残して、
急いで指定された市内の救急病院に行くと、
救急処置室の前に保健の先生が座っていた。
 
 詳しい話を聞いてみると、
とにかく、靴や靴下が大量の血でダメになるほどで、
木や土が傷口に入り込んだということで、
破傷風の心配もあるので、
思いきって救急車を呼びました、とのことだった。
 
 この先生とは、ここのところ、しょっちゅう会っている。
 
 次男が先月、クラスメイトにふざけて殴られて、
目の上が腫れあがり、迎えに行ったとき。
 あの時は、STスキャンを撮ったり、
なんやかんやと大変だった。
 
 そのときの病院も、ここだった。
 
 この救急待合室も、そういえば、
ついこの間来たばかりだ。
 
 それ以外にも、夏休みに三男が部活中に指を骨折したときや、
学校で掛けている保険が降りるので、その手続きだとかで、
しょっちゅうお世話になっている。
 
 もう、常連だ。
 
 「怪我をさせてしまい、すみません」
などと頭をしきりに下げるので、
「こちらこそご迷惑をおかけしてすみません」
と、それ以上に頭を下げた。
 親の中には、
「うちの子に学校が怪我をさせた」
と怒り出す輩もいるのだろう。
 
 いまどきの学校も大変だ。
 
 三男が処置をしているのを待っている間、
先生といろいろ話をしたのだが、
先生も3人の娘さんを持つお母さんということらしく、
母親目線で生徒たちをいろいろ世話をしてくれているようで、
本当にありがたかった。
 
 「救急車呼ぼう、と言ったら、号泣しだしまして」
と、先生は言う。
 「まあ、そうでしょうねえ。本人、自分が死ぬと思ったんでしょうねえ」
と私が言うと、
「そんな感じでしたね」
と笑う。
 
 実際、三男の口癖は、
「死んじゃう死んじゃう」だ。
 
 三男そっくりの母方のじいちゃんの口癖も、
「あぶねえあぶねえ、死んじまう死んじまう」
だったし、その娘である母も、年中、
「そんなことしたら死んじゃうよ」
「それじゃ死ぬよ」
と、日常会話に「死んじゃう」が頻繁に出てくる。
 
 と、いうことは……。
 よく考えてみると、私自身も、
何かと「死んじゃうよ!」「死にそう」と口にする。
 
 その割になかなか死なない。
 それが、この口癖を持つ人たちの特徴だ。
 
 そんなわけで、
先祖代々「死んじゃう死んじゃう」という
言葉のシャワーを浴びて育ってきている三男は、
「こんな血がいっぱい出たし、救急車だし、いよいよ本当に死んじゃうんだ!」
と、思ったのだろう。
 
 先生曰く、
「幼児のようにわんわん泣いてました」
とのこと。
 
 怖かったのだろう。
 死ぬのが。
 
 そんな話をのんきに先生と談笑しているうちに、
処置室からイケメンの若い先生が出てきて、
「こちらどうそ」
と呼ばれた。
 
 中では、処置用のベッドに横たわる三男と、
その横でニコニコしている、
これまた若くて可愛らしい女医さんが座っていた。
 
 「お母さん、この傷なんですけどね」
と、見てみると、
ふくらはぎに大きなYの字の傷があった。
 
 「この縦の傷は浅い切り傷ですが、
このVの字に裂けた傷は、筋肉組織の寸前までいっていて、
中もだいぶ縫いました。
で、傷口がギザギザだったので、
皮膚をまっすぐ切ってから伸ばしながら縫いました。
 少し傷口がうっ血してきているので、抗生物質も出しておきますね。
 去年小学校で破傷風の予防接種もしているので、
そちらは大丈夫かもしれないですが、
熱が多少出るかもしれません。
 何か心配なことがあったら、お電話くださいね」
 
 丁寧な説明を受けながら、
「こりゃあくっつきにくい傷だなあ」
と思った。
 わが「死んじゃう死んじゃう言いながらなかなか死なない族」は、
同時に「すぐ傷うんじゃう族」でもあり、
三男も傷の治りにくい体質だった。
 
 おまけに、今、季節がら、
三男は、喘息が出ており、
毎日喘息予防薬を常用している。
 その旨を先生に告げると、
その薬も飲み続けて大丈夫、とのことだった。
 
 こんなことがあったので、
喘息の発作も多少でるかもしれません、
とも言われた。
 
 ううむ、なんだか大変なことになった。
 
 次男は、インフルエンザ。
 三男は大怪我。
 
 同時に違うタイプの看病を私が担うわけだ。
 よりによって一番仕事の忙しい時期に。 
 
 それから、次男の隔離生活(病人食&消毒の繰り返し)と、
三男の送り迎えと通院、
その他の家族の食事や末っ子のトイレの世話、
あれもこれも精一杯やっていたら、
私自身が、ふらふらしてきた。
 
 次男には朝晩リレンザと咳の薬を、
三男には、抗生物質と鎮痛剤と喘息の薬を、
年がら年中隔離部屋に飲み物や氷枕やタオルの交換に入り、と、
もう、頭が混乱してきた。
 
 いかん、これでは、
子供たちに大事な薬を飲ませるのを忘れてしまうかもしれない、
と思い、カレンダーの裏に大きく「薬飲ませ表」を書き、
薬を飲ませるたびに丸をつけた。
 
 そうやって必死にやっている横で、
夫が、いつも通り「ママのお手伝い」的な域を決して出ないので、
無性にイライラしてきた。
 
 朝、私に促されて、
子供たちに朝食の支度をしてくれたのだが、
隔離部屋の次男の存在はすっかり忘れているし、
ましてや薬のことなど一切眼中ないようだ。
 
 そこで、そのことを夫に指摘すると、
いつも以上にもっさりとした鈍い動きで、
薬表に丸を書き込もうとしながら、
「あ、この表、日にちが間違って書いてあるぅ!
これ、昨日のところにバツ付けてぇ、丸の上からまた丸つけてぇ……」
などと、モタクラモタクラしゃべくっているので、
私のイライラは限界に達し、何かが炸裂した。
 
 「テメエ、何もしないくせに人の間違いばかり偉そうに指摘して、
丸の上に丸付けるだバツ付けるだ、って紛らわしいことして、
薬飲ませ忘れて子供死んだらどんすんだコラ!
 この馬鹿が! てめ〜、どけよ、この間抜け、クソジジイ、
表を書き直すから、そこをどきやがれ!
ンガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 
 と、叫ぶと、
「そんな怒らなくても〜〜〜」
と、高木ブーのような口調で言うので、
更にイラついてきて、
「んんのやるぉおおおお、まだグジャグジャ言いやがるかクラァ!」
と、完全にチンピラ口調で怒鳴ってしまった。
 
 まったくいざとなると使えないとっちゃん坊やだ。
 異常な過保護で育ってきたので、
人の保護をするなどという行為はしたことがないのだ。
 
   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
 
 まあ、そんなこともあったが、
次男は、薬もよく効いて、熱はすぐ引き、
順調に回復していった。
 三男も、傷の痛みやひきつりはあるものの、
何とか学校へ復帰した。
 
 私は、インフルエンザに効くと言われている漢方薬を予防的に飲み、
ビタミンBやらCやらのサプリメントを飲み、
乳酸菌飲料をいつも以上に採りながら、
気を抜くとぶっ倒れそうになる自分を奮い立たせた。
 
 一方、夫は、
「言われたことしかできねえのか、脳がねえのか!」
と妻に怒鳴られたこともあり、
今まで見て見ぬふりをしていて、ほったらかしにしていた、
家の補修や電燈の買い替え、故障している水道の修理など、
必死でこなしていた。
 
 (コヤツ、脅かされないと家のことしないのか!)
と、がっかりしたが、脅せばやるのなら、それでもいいや、
年がら年じゅう脅して脅して脅し倒したる、
と恐ろしいことを考えたりもした。
 
 まあ、夫も脅される前に、
自らやるべきことを気づくようになれば、それでいいのだ。
 
 成長せよ、夫。
 
 
 かくして、我が家は、
インフルエンザの感染を阻止し、
怪我のおかげで、連日の野球部の異常な強制早起きから、
親は一時的に解放されている。
 
 もう、正直言って、
連日の3時4時起きは、
疲れきった私にとって、
冗談抜きで生命の危機だった。
 
 それに、病気と怪我と、出席停止で、
子供たちが全員、いつも家に居て、
仕事に出掛ける私を「いってらっしゃい」と送り出し、
「おかえり」と出迎えてくれ、
お土産を買ってくるのを楽しみに待ってくれている、
というのは、何とも久しぶりのシチュエーションだ。
 
 ここ数年、私は、
子供たちをひたすら見送り続け、
家に取り残されるばかりだった。
 
 振り向かれもしなかった。
 
 だから、今回のことで、
私が自他共に認める大事な使命を持って家族を支えたこと、
子供たちがみんな顔を揃えて家にいたことは、
案外悪くなかったかもしれない。
 
 ついでに夫も父親の仕事をしぶしぶながらもやったし。
 
 
 看護師しまくり週間、とりあえず、終わり。
 長かったぞ、この1週間は!!!
 長かったぞ!
 
 
   (了)
 
 
 
  (子だくさん)2009.10.27.あかじそ作