「 只今三男ブレイク中 」 |
次男は、小学校低学年の頃、 クラスの子とよく喧嘩して、 しょっちゅう先生から電話が掛かってきていた。 喧嘩の相手が、当時の担任を「管理不行き届き」として、 あわや教育委員会に訴える寸前までいったが、 「うちの方がすべて悪うございました」 と、うちが菓子折を持って行き、頭を下げたとたん、 すっかり機嫌をよくして収まったのだった。 喧嘩内容は、 ずっと相手の子がうちの次男をからかい続けていて、 ついにぶちぎれた次男が、 相手の子の顔をひっかいた、というもので、 ベテラン教師の担任がすぐにうちにあやまらせなかったことが 騒ぎの原因だった。 結局、次男と私と夫が家まで行って、 子供と母親に頭を下げて収まったが、 その後何年も、次男がその子に殴られたり嫌がらせを言われていることは、 相手の親は知らない。 うちは、それを相手に訴えてどうこうするつもりはない。 そもそも、子供の喧嘩に親が異常なテンションで乗り込み、 法に訴えるだの、末代まで怨む的な騒ぎを起こすのが、 異常なことなのだ。 そんなことを乗り越え、 今は、何とか無事に過ごしてきていたのだが、 今度は、中一の三男がその渦中にいる。 「死ね」だの「キモい」だの「消えろ」だのという言葉を 日常的に吐いているクラスの野球部の子と一緒にいるため、 連日、暴言の中にさらされている中で、 感覚がマヒしてしまったようだ。 クラスメイトをからかうことが増え、 それがいじめということで問題になっていたのだった。 三男自身は、「死ね」「消えろ」などという言葉が嫌いで、 決して口にしたことはないらしいのだが、 どうやら、体型や髪形や顔つきなど、 生まれつきの体の特徴で直しようのないところを、 ふざけてからかうことが多いようだった。 それは、私が学生時代に散々いじめられてきたような内容だっただけに、 まさか、自分の子が、私を苦しめた、あの最悪な奴らと同じ事をするなんて、 と、本当に、身も心も裏返るような苦渋が全身に満ちてくるのだった。 新任の若い男の先生が、 言いにくそうに口ごもりながら 「また問題が起こりまして……」 と、しばしば電話してくる。 そのたび、 「何でしょうか? 誰に何をしたのか、具体的におっしゃってください」 とお願いするのだが、 先生は、いつも抽象的に 「友達の悪口を言うので、そこを少し直せればいいのですが」 と言い、 その裏で、「三男に言葉でいじめられた」と訴える子供がいるのだ。 聞けば、 野球部の他の子たちが、 誰かおとなしい子に対して、 何か傷つけるような言葉を発しているのだが、 そのそばにいつも三男がいるのだった。 実際に言っている子よりも、 いつもちょろちょろふざけている三男が目立つため、 常にいじめの加害者の矢面に立たされているのだが、 三男自身も、よく人をからかうことに違いはない。 いつもふざけているので、 毎日のように体育教師にブッ飛ばされているというし、 とにかく、三男の場合は、次男の逆パターンだ。 要領の良いいじめっこは、 こそこそ隠れて悪口や中傷を言うらしいが、 三男の場合、幼稚園児のように、 相手に向かって 「や〜いや〜い、短足〜!」 という調子で言うものだから、 完全に誰が何と言おうと、現行犯で、 証拠山盛りで、有罪なのだった。 悪口を言うこと自体、悪いのはもちろんだが、 そんな幼稚な三男が、 裏に潜んでいる悪質ないじめの罪をすべて肩代わりさせられている、 というのも事実だ。 三男の悪名はとどろき、 三年生の次男のところにまで、 「弟が悪いぞ。何とかさせろ」 という苦情が何件も寄せられている。 ここのところ、 わけも無く私の精神状態が不安定なのは、 そろそろ更年期ということもあるのだろうが、 それ以上に、三男に対する恨みつらみを持つ人たちの 生き霊の恨みからなんじゃないだろうか、 と思えるほどだ。 問題が起こるたびに、 私は方々に頭を下げ、 こちらが受けている被害の方は我慢して、ひたすら 「申し訳ありませんでした」 と謝る日々が続いている。 三男とは、 毎日のように話し合って、 「自分が暴言吐かれているからって、 人に暴言吐いていいというわけではないんだよ」 「言われて嫌なことは人には言わないのよ」 「面白いあだ名をつける事は、相手によっては、いじめになることもあるんだよ」 と、散々言い聞かせているのだが、 先生から相変わらずしょっちゅう電話が来るので、 実際どれほど身にしみているのかわからない。 先日、 また懲りずにクラスの子の悪口を言ったらしく、 その子に(先日大怪我した方の)足を蹴られて、ぶちぎれ、 顔をグーでガンガン殴ってしまい、 相手の子の頬に青あざを作ってしまった。 そのことで、相手のお母さんが猛烈に怒ってしまい、 私が電話で謝ったのだが、 「うちの子は怪我した足なんて蹴ってない」 「生まれつきの体の特徴をからかうのはひどい」 「私も殴ったことなんかないのにグーで顔を殴るなんて」 と、泣きながら怒ってきて、 許してもらうどころか、返ってもっと怒らせてしまった。 三男が、相手の子とそのお母さんに対して、 「もう二度としません。本当にすみませんでした」 と謝ると、少しわかってもらえたようで、 「これからは、仲良くしてくださいね」 と言ってもらえた。 それからしばらく、三男は、 食事もとれないほどに落ち込み、 ベッドにもぐりこんで出てこなくなってしまった。 喧嘩当日に担任に叱られたのだが、 翌日も学年主任に散々叱られ、 もう二度と人の悪口は言いません、と約束させられた、と言う。 またその翌日、 三男が廊下で友達とふざけていたところを学年主任が見つけ、 二人並べて叱ろうとしたところ、 三男が突然大号泣したらしい。 「ものすごく反省しているけれど、 謝っても謝っても、すごくつらい。 殴った子にも悪いし、 そのお母さんにも悪いし、 自分のお母さんが、自分のせいで、 相手のお母さんにものすごく叱られてしまったし、 もうどうしていいのか、わからない」 というようなことを言ったそうだ。 いつも厳しく、悪ガキには容赦なく殴る学年主任も、 さすがに何かを感じたらしく、 「これから仲良くできるか? 仲良くできるチャンスがあったら、 これを機会に前より仲良くなりな」 と、優しく諭してくれたという。 私も、 「今度何かやったら野球部やめさせるよ」 とか、 「それでも落ち着かなかったら、山村留学で修行させるよ」 などと厳しく言っていたのだが、 そんな脅迫のようなことよりも、 三男にとっては、効く薬があった。 自分のした間違いを間違いとして厳しく叱り、 「お前はもう駄目だな」と見捨てるのではなく、 「これからは、ちゃんと育っていくんだぞ」 と長い目で見守ってくれている、 周りの大人の理解と、自分への愛情が、 三男を素直にし、心底反省させていったようだった。 私は、今まで、 子供が学校で暴力を受けたり、 いじめられてきたと言えば、 先生に相談し、相手の子となるべく遠ざけてもらえないか、 とお願いしてきたが、 それは、間違っていたのかもしれない。 自分の子の、 今、この瞬間の「感受性」を守ることだけに必死で、 相手の子の「成長途上」など、知ったこっちゃない、 と思っていた。 いつまでも我が子の前に立ちふさがり、 「この子は、親の私が守る!」 と、大義名分を振りかざし、 子供が社会的成長の課題にぶつかるたびに、 親がそれを力技でねじ伏せて、 その成長のチャンスを奪ってしまっていた。 それは、「今現在の我が子」は、守るかもしれない。 今、自分が見ている我が子は、守れる。 しかし、自分が死んだ後、 その子が自分の力で社会の大きな波を乗り越える力がついているか、 そのことに関しては、責任をとっていない。 学童期や思春期に、 次々と巻き起こる小さなトラブルに対して、 何度も傷つきながら、 自分の力で問題を乗り越えてゆくことは、 社会を生きていくためには必要な練習なのだ。 その社会人として必要な練習を、 「こんなのこの子が可哀想!」 と、取り上げてしまい、 結局、なよなよと大人になった我が子を、 素っ裸で戦場に送り出すようなことをしているのだ。 いじめっ子の親になって初めて気づいた。 いじめっ子が、一番ダメ。 でも、親が子供を守りすぎるのも、やっぱりダメなのだ。 穴のあくほどへこんでいる三男の傍で、 これまた穴のあくほどへこんでいる親の私。 まだしばらくは、 数名の生き霊の恨みが背中に覆いかぶさっているかもしれないけれど、 子供たちをちゃんといい子に育て、 社会に巣立たせることで、 ちょっとづつ呪いをといていき、 いずれは、屈託のない明るい母ちゃんに戻りたいと思う。 それまでは、修行修行! 里の行! 我が子のあやまちには、 何度でも頭を下げる覚悟で臨もう。 親のそのみじめで愚直な背中を見て、 子供たちが心を入れ替え、真っ当な人間に育つように。 (了) |
(子だくさん)2009.11.2.あかじそ作 |