「 6畳一間収納無し 2 


 修学旅行から帰ってきた長男のかばんを開けて、
例の物が使用されたか否かを確認する勇気も無く、
数日が経過した。

 それよりも、
長男の留守中、
居間に置いてある私の小銭入れから、
100円、500円と、数回にわたって、
明らかに抜き取られた形跡があったことで、
私は、心中穏やかではなく、
我が子の誰かが盗みを働いていることに悩んでいたのだった。

 「誰か知らない? 怒らないから正直に言って」
と聞いても、みんな 
「絶対に僕じゃない!」
と言い張るし、これ以上しつこく疑うのも、
子供のためにも良くないと思い、
悶々としながら日々過ごしていたのだった。

 前にもこんなことがあったが、
犯人は一向に現れず、
私も、子供たちも、お互いを疑い合い、
家の中が殺伐としてしまった。

 特に、財布から5千円札を2回も抜き取られた長男は、
手がつけられないくらい大荒れで、
前に日光江戸村で買った木刀を振り回し、
タンスやちゃぶ台をボコボコにへこましたりしていたのだった。

 このときは、
「もう、家族でお互いを疑うのはやめよう。
今回は、お母さんが無くなった分を小遣いとして上げるから、
今度からは、ちゃんと管理しておいてね」
と長男に言い、やっと収まったのだった。

 「犯人捜しは、やめよう。本人が言いだすまで待とう」
と、心に決め、
気長に待つことにしたのだった。

 ところが、最近、
また小銭がボロボロなくなっていくようになり、
「やっぱり、誰がやったのかハッキリ確認して、
今すぐやめさせなければならないぞ!」
と、思い始めたところだ。

 ところが、人を疑うということは、
心の中に非常に強い毒が巡り巡るもので、
ハートの弱い私にとって、耐えがたい拷問のようだ。
 「人を疑うのがこんなに苦しいのなら、
いっそ犯人なんて一生わからないままでいい!」
と思うほどだ。

 そんなわけで、
毎日、うーうー唸っているうちに、
次男と三男の中学の三者面談があり、
次男は、受験のことで
「偏差値がいくつ足りない」とか、
「社会と理科と数学がヤバすぎます」とか、
受験を数ヵ月後に控えて、
頭の痛いことを言われてしまった。

 また、三男の面談では、
「最近はだんだん人を傷つけるようなことを言うのは減ってきたが、
まだまだ学校生活でのけじめができていない」
と、注意されることばかりだった。

 しかし、それ以上に私を打ちのめしたのは、
三男の中間試験の結果だった。
 その場で見せられた前回の試験の結果、
三男の英語・理科・数学の点数は、
それぞれ平均点70点ほどのところ、
9点・6点・7点、と信じられないような結果だった。

 おバカな次男でさえ、
一桁の点数など取ったことがなかったのに、
3教科にわたってこの点数は、何たることか!

 授業をまじめに受けていなくても、
30点台は取れるような内容なのに、なぜ?!

 私は、瞬時に学習障害を疑った。
 幼いころから三男のアスペルガー症候群を疑っていたが、
これは、もしかしたら、
学習障害とアスペルガー症候群の両方を持っているかもしれない。

 医者に行けば、
すぐに病名を付けられたり、
障害者と認定されるような、
きわきわな気質だとずっと思っていたが、
何とか今まで境界線のぎりぎりで踏みとどまっていたので、
医者にかからずにいたが、
いよいよ、もうごまかしきれないところまできたか?

 私は、必死でインターネットで学習障害のことを調べ、
三男との合致点をいくつも見つけていくうち、
「普通の学校では受け入れてもらえないのか?」
「専門施設に転校か?」
と、思ううち、
「いや、待て。一回ちゃんと三男の勉強を見てみよう」
と思った。

 そこで、嫌がる三男をなんとか説き伏せ、
毎日1時間づつ英語を教えてみることにした。

 すると、何と、覚えは遅いものの、
英語の文法の法則が少しづつ理解できていくではないか。
 そこで、わかったことは、
三男は、単語がちんぷんかんぷんだということだった。
 スペルがまったくわかっていない。
 良く聞いてみると、
ローマ字を全然覚えていないのだった。

 ローマ字を知らないから、
英単語の音を聞いても、まったく表記できないし、
当てずっぽのスペルすらつづれない。

 結果、一文も、一単語も書けないのだった。

 ローマ字と言えば、
4年生の四男が、ちょうど今ローマ字を習っているところだ。
 この際、三男も一緒に覚えたらいい。

 そうしたら、きっと、
急激に英語の読み書きができるようになるだろう。

 数学もしかり。
 簡単な問題から、少しづつ段階的に教えていけば、
何とかわかるようだ。

 三男に必要なのは、補習だ。
 地道に補習さえしていけば、
何とかぎりぎり健常児として、
今の学校に通学し続けられそうだ。

 毎日、家族全員でテレビを消して、
30分でも1時間でもいいから、
勉強をする時間をとろう。

 うむ。


 少し、私の気持ちも落ち着いてきた。

 そんなある日のことだ。

 三男と四男がふたりでコンビニに買い物に行き、
しばらくして帰ってくるなり、
三男が、
「お金盗ったの、またコイツだったんだって」
と言った。

 「え!」

 後からそろそろと玄関に入ってきた四男は、泣いていた。
 「お母さん、ごめんなさい〜〜〜、おおお〜〜〜おお〜」
と、夕方の薄暗い玄関先で号泣し始めた。 

 一番の大穴だった四男が、実はそうだったのか。

 「じゃあ、まさか、お兄ちゃんの5千円も?」
 「違うよ! それは違うんだって! 信じて!」
 「わかった。……いいから入って、手洗いうがいしなさい」
 「ごめんなさい〜〜〜おおお〜〜〜おおおおお〜〜〜」

 「サイテーだぞ、お前!」
 三男に怒られて、また、
「ごめんなさい〜〜〜、今すぐ全部返しますからぁ〜〜〜おおお〜〜〜」
と更に激しく泣く四男。

 私は、不思議と四男を責める気にはなれなかった。

 それよりも、四男が三男に心を開き、
言いにくい事を打ち明けて相談したことが嬉しかった。
 そして、聞き落としそうになったが、
三男は、第一声、
「お金盗ったの、また○○だったんだって」
と言った。

 「また」
と言うことは、
四男は、前にも盗ったことがある、ということで、
そのことを悩んで、三男に打ち明け、
三男がそれを私に隠して四男をかばい、
三男なりに四男に注意を与えていた、ということだ。

 私は、怒る気がしなかった。
 それよりも、
三男と四男との信頼関係の強いことが嬉しかったのだ。

 四男に、
「どんなに貧しくても、
どんなに欲しくても、
絶対に人のものを盗んではいけない」
ということ、
「確かにあの小銭入れは、
子供たちに小遣いを与えるためにストックしているものだが、
お母さんに黙って抜き取ってはいけない」
ということ、
「お母さんは、これまで一度もお前を疑ったことはないし、
これからも、決してお前を疑うことは無いだろう」
「お前だけでなく、お母さんは、何があっても、
子供たち全員を信じて生きていく」
と、言った。

 四男は、正座して、泣きながらずっとそれらを聞いていた。

 四男にひとつづつ、ゆっくりと言い聞かせながら、
私は、自分に対しても、
言い聞かせていた。

 「私は、決して子供たちを疑わない」
 「一生、この子らを信じて生きていく」
 「間違ったときは、何がいけなかったのか、一緒に学習しよう」
 「子供が真っ当な人間に育つまで、
  時間がかかってもいいから、
  子供をずっと信じて生きていく」

 そう心に決めた途端、
私は、ぐっと腹に力を入れて、四男を見据えた。

 「さあ、盗ったお金を今すぐ全部、ここに出しなさい。
 そして、もう一生、ひとの物に手を出さないと、
お母さんに命がけの約束をしなさい」

 怒らないで叱る。

 私は、子育て17年目にして、
初めてこれができた。

 今まで感情的に怒るばかりだったのは、
子供たちを心の底から信じていなかったからだ。
 自分の子育てに、自信がなかったからなのだ。

 そうか。

 子供を、心から信じれば、
そして、
自分の子供への愛を、心から信じれば、
子供を冷静に叱ることができるのだ。

 長男の避妊具の件も、
次男の受験勉強どうなってんだ、の件も、
三男の問題行動の件も、
四男の小銭チョッパリ事件も、
子供と自分を信じれば、
落ち着いて受け止められる。

 パニックにならず、
「6畳一間収納無し 」という狭い脳のキャパでも大丈夫だ。

 ただ、信じればいい。
 まっすぐに、
単純に、
ただひたすら信じて生きてゆけばいいのだ。

 そうすれば、親としてどうすればいいのか、
おのずと答えがわかってくる。
 子育てノウハウ本も要らない。
 必要以上のストレスも必要ないのだ。

 奇をてらうことなく、
正々堂々、正攻法で、
「親」できるだろう。

 ここのところずっと胸がつかえていたが、
すとん、とそれが取れた。

 「6畳一間収納無し 」。

 はい、片付きました!

 狭いからこそ、片付けるのも簡単だよな!
 すっきりしたよな!


  (了)


(子だくさん)2009.11.17.あかじそ作