「 ハートに火をつけまして 」 |
仕事が終わり、 娘を預けている実家に迎えに行った時のこと。 娘を連れて家に帰ろうとしたが、娘が 「まだ帰らない」 と言い張るので、母が、 「まだいいじゃないの。あんたも昼ごはん食べていきなさいよ」 と言ってくれたこともあり、 冷凍ピラフをフライパンで炒めて食べることにした。 深めのフライパンで冷凍ピラフを炒め始めると、 何だかやけに炎が手元に絡みついてくるのが気になった。 コンロを覗き込んで火の様子を見てみると、 ガスの噴き出し口の向こう側は、火が小さく、 手前側からは、10センチ以上、ごおごおと炎が上がっている。 「これ、危ないんじゃないの?」 と母に言うが、 「ああ、いいのよ。気をつけてるから」 と言う。 袖口が燃えそうな勢いなので、 火加減を調整して火を小さくすると、 今度は、立ち消えしてしまう。 「これやっぱり危ないよ。買い替えたら?」 と言うと、 「いいのよ、前からだんだんおかしくなってきてたけど、 まだ使えるから大丈夫なのよ」 と、母は、平然としている。 すると、娘の子守りをしていた父が、 いきなり強い口調で 「だから俺がずっと買い替えようって言ってるのによお! ババアが言うこときかねえんだよ!」 と、怒鳴り始めた。 そういえば、数か月前から、 父とホームセンターに買い物に行くたび、 「コンロねえかな」 とか 「ばあさんがまだ買うなって言うからなあ」 などと、ぶつぶつと言っていたっけ。 つまり、前々から父が 「ガスコンロ危ないから買い替えよう」 と提案しても、そのたび母は、 「うるさいんだよ! まだいいよ! しつこい!」 と、怒鳴り返していたというのだ。 まあ、つまり、このコンロの件は、 この夫婦の一触即発のキーワードみたいになっているようなので、 私は、これ以上言わないようにしようと、 一回は、引っ込んだ。 ところが、だ。 出来上がったピラフを茶の間で食べる私に、 薄暗い台所から風呂敷をたたみながら話しかけてきた母に、 ある異変を感じた。 風呂敷の角が妙にピカピカ光っているのだ。 母が、自分の体の前で、 大きな風呂敷をばさばさひるがえしながらたたむ、 その風呂敷がひるがえるたびに、 恐ろしく明るい光が上へ行ったり下へ行ったりして、 薄暗い台所にいる母の顔を一秒おきに照らしていた。 「何だ?」 目の悪い私が、体を前のめりにして、 その超常現象に目を凝らすと、 何と、その灯りは、 風呂敷の端に燃え移っている炎だったのだ。 「火!!! 火ついてるって!」 私が血相変えてそう叫ぶと、 母は、激しく風呂敷を「パンパン!」と2回ほど振り、 瞬時に火を消した。 ところが、火の粉が台所じゅうに無数に飛び散ったので、 私と父が這いつくばって、 それを次々に素手でパンパンはたいて消したのだった。 「やだ、危ないって〜〜〜!」 と私が叫ぶと、 「コンロの横に風呂敷置いたから、燃え移っちゃったんだわ」 と、母も、気まずそうに言った。 「ほら見たことか!」 と、父が烈火のごとく怒り狂い、 母に向かって、 「このくそババア」 だの 「ババアがコンロ買うなって言ったんだ。 俺は、もう、コンロなんて絶対に買いに行かねえからな!」 だのと、ぐちぐちぐちぐち言い始め、 母に対して、聞くに堪えない悪態をつき始めた。 「じい、もういいから。あさってバアバの誕生日だし、 私が新しいコンロ買ってあげるよ」 と、私が言うと、 「安いコンロなんか買ってきたって、 そんな安物、俺は、投げて捨てちゃうからな! お前が何持ってきたって、 俺は叩きつけて壊しちまうだけだからな! それだけの話だからな!」 などと、今度は私にまで悪態をつき始めた。 叩きつけて投げ捨てることはなかろうに! 私の脳裏に、 幼いころ、機嫌の悪い父が、 私の宝物を叩き壊したり、 灰皿で燃やしたことが浮かんできた。 学校で使う大事な道具を3階の窓から投げ捨てたり、 夏休みじゅう頑張って仕上げた自由研究を、 ビリビリに破かれて火をつけられたこともあった。 腹が減って機嫌の悪い父に、 自分の小遣いで急いでインスタントラーメンを買ってきて、 一生懸命鍋で煮て出したら、 父は、その鍋の中に吸っていたタバコを突っ込み、 流しにぶちまけたりもした。 私は、長く封印していたトラウマが、 急激に胸によみがえってくるのを止められなかった。 「生きるか死ぬかの危ない時なのに、 こんなときでも自分の気分ばかり大事にして、 みんなに毒吐いて、一番傷つくことして、 自分ひとり暴れてすっきりしてさ」 「なんだテメエ、お前なんて関係ねえんだよ。 うちの問題なんだからわーわーわーわー口出すなよ!」 「いつもいつもそうやって、 ババアババア、ってなじって。 何十年もバアバに面倒掛けてきて、 年がら年中バアバのこといじめて、 だからバアバいつもストレスで病気になっちゃうんでしょうが」 「お前なんか関係ねえんだよ! うるせえ!」 「年がら年中ぐずりまくって、 周りのみんなが我慢してるのがわかんないのかねえ! このクソジジイが!!!」 「な、なんだと!」 「今コンロ買わないと火事で焼け死ぬよ! 自分のご機嫌を優先させてる場合か! 命とご機嫌と、どっちが大事か、 そんなこともわからないのか、クソジジイ!!!」 「なに〜! テメー気に食わねえぞ!」 父もブチぎれて、今ついているコンロをガス管から抜き、 そこいらじゅうをバタンバタン蹴りながら、 車にそれを乗せ、 母が「じゃあこれで」と出した五万円をわしづかみにして、 住宅街ではありえないほど激しくエンジンをふかしながら、 出掛けて行った。 やれやれ買いに行ったか。 しかし、いつも父にキレまくる母が、 今回は、なぜか、おとなしい。 「また何日もグジグジグジグジ嫌味言われるだろうから、 しつこかったら自分の部屋で寝ちゃいなよ」 と私が言うと、 「お父さんがコンロ買う買うって言うのを、 私がずっと『要らないわよ!』って、怒鳴り返してたのよ……。 だから、私が悪いのよ、ホントは……」 とキレ味が悪い。 「何にしても、実際火出したんだから、 これ以上、あれを使い続けるのは、危ないんだよ。 喧嘩してでも、これでよかったんだよ。ね?」 と、私が言うと、 「まあね。今頃『チキショウチキショウ』言いながら運転してるでしょうよ、 くっくくくく……」 と、母は、笑った。 最近、近所の家の納屋で、 知っているおじいさんが火事を起こして焼死したし、 三男は、野球の試合の帰りに、 火事の現場に出くわし、 燃える家の中にいる母親を助けようと 火の中に飛び込もうとしている若い男の人が、 周りの人に羽交い締めにされて止められているのを見たという。 翌日、新聞を見たら、 やはり、その母親は亡くなってしまったという。 そんなことが、ここのところ相次いであったので、 私の頭の中に 「火に注意火に注意」 という言葉が、ずっと踊っていた。 今日は、特に、仕事中ずっと、 なぜか鼻の奥に焦げ臭いにおいがこびりついて、 何だかわからないが、実家に早く行かなければ、 と思っていた。 それで、あの風呂敷炎上事件。 虫が知らせていたのだ。 それよりショックだったのは、 機敏で頭のいい母が、 あんなに炎が大きく上がっているのに、 私に言われるまで、まったく気づいていなかったことだった。 あんなに気が回り、無敵な母も、 やはり年をとる。 年をとる、その先には、 死があるのだ。 ああ、これは、実感として、 かなりショックだった。 年取った母に気づいた私と、 年取った自分が火を出したことに驚いた母。 何となく二人ともしゅんとして、少しだけ気まずい空気が流れた。 「うるさいから、ジジイが帰る前に帰るわ」 「そうしなそうしな」 帰宅した父とまた揉めるのは面倒だ、と私たちは同時に思った。 帰りしな、玄関先で母に、 「頼むからあのクソジジイより長生きしてよ。 あんなの私に押しつけて無責任に逝かないでよね。 あんなスットコドッコイを選んだ責任を取って、 ちゃんと自分で看取ってってよぉ!」 と笑いながら言うと、 「なはははは」 と、母も笑った。 帰り道、私は、淋しかった。 母が年取ったことと、 父にクソジジイと言って傷つけたこと。 風呂敷に火がついて、 ハートにも火がついちまった。 母は、あんなに自分を罵倒してくる父をかばっていたのに、 私は、クソジジイに、「クソジジイ」と指摘してしまったのだ。 夫婦には、ふたりにしかわからないことがあるというのに、 私は、それなりにバランスを取りながら暮らしている年取った両親に、 要らぬ波風を立てただけかもしれない。 あ〜〜〜あ、 あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ!! めんどくさいな! 自分の親って! (了) |
(しその草いきれ)2009.12.08 あかじそ作 |