「何不自由なく」


 ぼくは、何不自由なく育った中学3年生だ。

 ぼくの家族は、サラリーマンの父と、母、小学3年生の弟と、ぼくの4人だ。
 土曜日の昼食は、必ず家族揃って外食し、
日曜日は、キャンプに行ったり、バーベキューをしたりして過ごす。
 学校では、学級委員で、テニス部では、部長だ。

 父と母は、ぼくたち兄弟の前では決して喧嘩はしない。
時々、母が口をきかなくなることもあるが、
父や母が声を荒げて激しくものを言うのを聞いたことはない。
 母は、父母の会の役員でいつも忙しく、
地域の公民館に、「教育関係の著名人」を呼んで、
何か「ためになること」の講演会を開催する為に、毎日出かけている。
 父の帰りは、いつもぼくらが眠ってからだ。
 しかし、父は、「父親の義務」を果たすために、
ほとんど眠っていなくても、毎朝早く起きて、ぼくらと一緒に朝食をとり、
「親子の会話」をするのだ、と言う。

 ぼくは、悪いことをしたことがないので、両親に叱られたことはなく、
弟も、時々駄々はこねるが、母が根気強くなだめるので、すぐにお利巧になる。
 
父や母には、よくこう言われる。
 
 適度な苦労は必要だから、時々、ひとりで旅行をさせたり、
あえて難しい仕事を頼んだりするのだ、と。
今の時代は、何でも揃っているから、自分の子供達には、苦労を買ってでもさせたい、と。

 ご心配なく。
ぼくは、充分、苦労しています。

 世界中が、今、大変なことになっている中で、
嘘臭い「ぽかぽか家族」をやろうとしている、頭でっかちな両親に、
逃げ場のないマネージメントをされて、
ぼくは、もう、我慢も限界なのだ。
 頭で考えた幸せを子供達に押し付けてくる両親には、取り付くしまもなく、
ぼくは、反抗するとっかかりも見つけられないでいる。
しかし、もう、限界だ。
 
 ぼくは、彼らに、この世に送り出してもらった。
 そして、食べさせてもらっている。
住まわせてもらっている。
 
一生懸命に育てている両親の姿を見て、ドウモスミマセン、と思う。

 ほぼ完璧に親の義務を果たしている両親は、しかし、決して幸せそうではない。
「子供を育てる」というノルマを、必死にこなしている真面目な営業マンに見える。

 ぼくは、果たして、生まれてきてよかったんだろうか?
「彼らの仕事内容」としてのぼくは、なんだか毎日、息が苦しい。
 
 ぼくは、毎晩、同じ夢を見る。
 ゴム風船の内側で、食卓を囲むぼくたち家族。
だんだん空気が抜けてきて、狭くなっていくダイニングの空間。
とうとう、空気が抜けきって、テーブルが、トーストが、ミルクの入ったマグカップが、
父の顔が、母の指が、弟の履いたスリッパが、
みんなみんな一ヶ所に圧縮されて、みんなみんな窒息してしまうのだ。

 ぼくは、今朝、それが夢か現実か、わからなくなってしまって、飛び起きて
家じゅうの窓ガラスをすべて、ゲンコツで叩き割ってしまった。

 ぼくは、叱られなかった。

 母は、震えながらぼくを抱きしめ、
父は、「心配しなくてもいい」と言い、会社を休んで、ぼくを心療内科に連れて来た。
 
待合室で待っている間、父と母は、
気味悪いほど慈愛に満ちた微笑をぼくに向けて発射し続けていた。

 ぼくは、ひとりだけ診察室に呼ばれ、女の先生とふたりきりになった。
先生は、父と母によって、びっしりと書き込まれた問診票を見て、
大きくため息をつき、ぼくに笑いかけた。

「何不自由なく育てられて、どんな気分?」

「とても不自由です」

ぼくは、答えた。

そして、はじめて会ったその先生のひざに抱きついて、幼児のように泣いてしまった。


                   (おわり)





                                                    2001.11.22. あかじそ作