詩 「1匹のヒトとして」


頭がいいとか、
立派な職業に就いているとか、
お金持ちだとか、
器量がいいとか、
そんなことは、全然関係なく、
ましてや、
若く見えるとか、
人気者だとか、
巷の評判だとか、ウワサとか、
そんなことは、もう、まったく別の次元の問題で、

1匹の「ヒト」という動物として、
お前は、どうなのだ?

 あの美しき
野生の動物たちのように、

 家族を愛し、信じ、守り、
仲間を助け、身を呈し、
ひたむきに生きているのか?

 明日どうなる、
十年後どうなる、と、
自分で勝手に悲観して、
今日という日を
不安と怒りで動けなくしているのではないか?

 自分が自分が、と、
自分の損得だけを価値として、

愛されたいとか、
幸せになりたいとか、
楽になりたいとか、
そんなことばかり言っていないか?

 自分からは、誰も愛さず、
幸や楽を人に与えることも無く。


 ああ、

 一匹の野生の「ヒト」として、
ただ生きる、
ただただ今を生き伸びるために、
計算も、もくろみも無く、
ただ生きること、
それだけに一生懸命になりたい。

 そこには、
計算やもくろみの副産物である、
悩みや苦しみは無く、
爽やかに、
ただ生きた証だけがある。

 生まれてきた日のように、
人は、誰でも、
死んでゆく時には、
社長でもなく、孤児でもなく、
ましてや
王様でも乞食でもなく、
みな一匹の「ヒト」に戻るのだから、
その日が来たとき、
急にびっくりしてうろたえないように、
毎日「ヒト」という動物として生きて行こう。

 心の内側にこびりついた、
内臓脂肪のようなブヨブヨの欲を捨て、
迷いのない「ただ生きる」生き方をしよう。

 一匹の「ヒト」として


  (了)


(話の駄菓子屋)2009.12.22.あかじそ作