「 おじいちゃんバイバイ 2 」

 ひとは、みな、誰でも、
フツ〜〜〜〜〜〜に死ぬんだな、
と、当たり前のことを、肌身にしみて実感している。
 
 それくらい、夫の父の死は、
日常の中に淡々と置かれていた。
 
 何かドラマティックな展開が巻き起こるでもなく、
泣いたりわめいたり叫んだり、といった
感情の爆発の連鎖が繰り返される、ということもなく、
朝起きて、ご飯食べて、仕事して、死んで、
みたいな感じに、
びっくりするほど普通の生活の中にポンとあった。
 
 急な知らせを受けて、
夫が急いで金沢行きの切符を取ったのだが、
「父親の死」という出来事に、彼は完全にパニックになり、
自分の分の切符だけ取り、
家族の分は取らなかった。
 言うに事欠いて、
「俺は、ひとりですぐ行くけど、
君たちは後から適当に来てくれる?」
と、言って、切符の手配どころか、
子供たちの引率も放棄してしまった。
 
 ちょっと待て。
 子供たちはもう大きくて、
私一人でどこへでも連れていけるけれども、
帰省の時だけは違う。
 子供たち全員、ものすごく車酔いをするのだ。
 電車でもすぐ酔う。
 
 だから、新幹線から特急はくたかに乗り換える時、
乗り換え時間がほんの5分ほどしかなく、
走って改札やホームを駆け抜けなければならないのに、
全員ゲロゲロで、まっすぐ立つこともできないのだ。
 それをいつも、夫婦で手分けして、
5人を抱えて走っているのだ。
 
 それを、私一人でしろ、と?
 
 無理に決まっている。
 じゃあ、酔い止めを飲ませればいいじゃないか、
と思うだろうが、
喘息の薬を服用していると、
同時に酔い止めは飲めないのだ。
 
 「私ひとりじゃ無理だって」
と夫に抗議すると、
「実は、帰りの切符も、俺の分は取ってあるけど、
君たちのは取ってない」
などとわけのわからないことを言う。
 それじゃあ、我々は、
どうやって帰ったらいいのだ?
 通夜葬儀が行われる正月明けの3連休は、
スキーや旅行客で列車がいっぱいだというのに、
ドロドロに酔う5人の子供たちを
ぎゅうぎゅうに混む自由席の通路に3時間以上転がして、
サクサク乗り換えできるわけないではないか!
 
 それなのに夫は、
「自分は、一週間くらいあっちに留まろうと思うが、
君たちは、適当に帰っていいよ」
などと言う。
 
 適当にって……
 おめ〜〜〜〜〜、
何言っちゃってるのかな?
 
 父親が亡くなってパ二クッてるのはわかるが、
何だ、その丸投げ感は!
 
 「僕、パパが死んじゃって大変なの!
 だから、子供たちの世話どころじゃないの!」
ってか?!
 
 おいっ!
 
 20年近く、
いつもいつもそうやって、
人に産ませっぱなしで自分は身軽に飛び回りやがって、
ふざけんじゃねえよ!
 
 おめーは、よっ! 
 この5人の子供たちの!
 保護者じゃねえのかよっ?!
 
 自分の背中には何にも負わずに、
「後頼む」と全部放り出して、
じぶんひとり、
センチメンタルジャーニーと決め込もうってか!
 
 バカ言ってんじゃね〜ぞ!!!
 
 家族全員、自分の体にくくりつけてでも、
父親の元に駆けつけるのが男ってもんじゃないのかよ!
 
 ここ一番、
男としてビシッと決めなきゃいけないときくらいは、
ビシッと決めやがれ!
 
 もう47歳なんだぞ!
 大人の男なんだろ?  
いつまでも「オンナ子供」気分で甘ったれてるんじゃねえ!
 
 父親なんだぞ、
5人の子供の、父親なんだ!
 
 お父さんが命がけであんたの手を握り、
「頼むぞ!」
と、訴えた、その答えを出すのが、
今なんじゃねえの?
 
 いい加減、甘ったれ坊やを卒業して、
「大人の男になれ」って、
そう言われたんじゃなかったっけ?
 
 めそめそと抱きついてくる夫に、
私は、じっとプルプルしながら耐えていたが、
ついにキレた。
 
 久しぶりにカンカンに怒ったのだ。
 そして、夫をぶん殴った。
 
 「落ち着くんだよ! しっかりしろ! 父親だろ!」
 
 夫は、ハッと我に返り、
やっと落ち着いて荷造りを始めた。
 
 通夜葬儀に出席するため、
全員に喪服の支度もしないといけないし、
何泊か泊まるから、
子供の持病の薬も持っていかなければいけない。
 
 歯ブラシも、着替えも、
雪靴も、ご霊前の袋も買って、と、
いろいろやることがある。
 山ほどあるのだ。
 
 ジタバタジタバタしながら、
何とか越後湯沢駅まで来たが、
乗り換えの時、私と子供たち5人は、
スキー客に巻き込まれて、乗り換え口ではなく、
出口に出てしまった。
 急いで改札の駅員に相談し、
何とか乗り換えられるように手配してもらったが、
夫は、自分ひとりだけシレッと乗り換えホームに向かってしまったのだ。
 
 特急の発車時間があと数分に迫っている中、
駅の中を駆けずり回って発車ホームを探したが、
どこだかわからない。
 パニックになる私の後を、
子供たち5人が「どこ? どのホームだっけ?!」と言って、
必死についてくる。
 
 ちらっと、人波の向こうの方で、
夫が一人で、あるホームに降りて行くのが見えた。
 
 「あ! お父さんだ! あそこだよ!」
と、子供が言うので、
急いでそちらに駆けて行ったのだが、
今いるところからそこへ通り抜けられないように
柵で区切ってあった。
 
 柵のところには、駅員らしき人がいたのだが、
5人の子供を引き連れた恐ろしい形相の女(私です)が
「あっちへ通してください!!
乗り遅れそうなんです!
父の葬式に遅れそうなんですよ〜〜〜お〜お〜!!!」
と迫ると、
「ホントはダメなんだけど、特別だよ」
と言って、柵をずらして我々を通らせてくれた。
 
 「ありがとうございますありがとうございます!」
と、みんなで叫び、
大量の荷物を持った親子黒づくめ軍団の我々は、
雪が横殴りに吹きこんでくるホームにドタバタと駆け降りた。
 
 ああ、けたたましく発車ベルが鳴っている。
 
 「いや〜〜〜〜〜ん!!!!!」
 
 「これ乗っていいの〜?!」
 「それだ〜!」
 「何号車?!」
 「えっとえっとぉ、8号車ぁ〜! 8号車だよお〜〜〜!」
 「こっち! こっち入り口あったあ〜〜〜!!!」
 「乗れ〜〜〜!!!」
 「みんなこれに乗るんじゃあ〜〜〜〜〜!!!」
 「全員いるか〜〜〜?!」
 「いる! いるぅ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 「早くぅ〜〜〜! 早くぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」
 「ヤバい〜〜〜! ヤバいって、早く〜〜〜!!!!」
 
 
 発狂寸前の我々が、
閉まる寸前のドアに
「イヤ〜〜〜ン!」
と叫びながら飛び乗ると、
その直後、背中でプシュ〜〜〜ッ、とドアが閉まった。 
 
 (ぉ〜〜〜〜〜〜ぅ)
 
 やれやれ、と、
先程みどりの窓口で取ったばかりの指定席まで行くと、
夫が何食わぬ顔で後からやってきた。
 
 「て〜〜〜め〜〜〜は、よお〜〜〜〜〜」
と、私は、頭から湯気がメラメラ出てきたが、
もう、夫をブッ飛ばす力も残っていなかった。
 
 
 そんなわけで、
何とか金沢駅に到着したが、
いつも改札口でニコニコしながら待っていてくれるおじいちゃんは、
当たり前だが、いなかった。
 
 駅からは、ワゴンの大型タクシーに7人全員乗り込み、
夫の生まれた家に向かった。
 
 今回喪主をしてくれる夫の弟が玄関で迎えてくれ、
「まあまあ、お父さんに会ってやってよ」
と言うので、
父の部屋に行くと、
金色の立派な布団に寝かされ、顔にハンカチを掛けられた父がいた。
 
 我々全員が布団の周りにぐるりと座り、
夫が代表して顔の上のハンカチを取ると、
2日前に見たのと同じ、
骨と皮だけになってしまった父が眠っていた。
 
 ほどなくお坊さんが来て、
お経をあげ始めたが、
まず最初に、一番おじいちゃん子だった小4の四男が、
猛烈にしゃくりはじめた。
 
 四男が、うううう、とうめいて、
泣くのを必死に我慢しているのを見た長男も、
拝んでいた両手で顔を覆うようにして、震え始めた。
 次いで、三男も、下を向いて震え始めた。
 
 次男は、神妙な顔で父の死に顔をじっと見ており、
時折、ギュッと目を閉じて手を合わせていた。
 
 私のひざの上で、
きょとんとしている4歳の長女は、
わかっているのかいないのか、
みんなのまねをして、まじめに両手を合わせている。
 
 ああ、父は、死んだのか。
 
 2日前見た、あのガリガリに痩せた人、
あれは、私たちの知っているお父さんだったのか、
私は、まずそこから自信がなかった。
 
 あの骨と皮の、目玉のギョロッとした、
生と死の、ぎりぎりこっちにいた人が、
今、ぎりぎり向こうに行った。
 
 ほんのちょっとの違い、そんな感じだった。
 
 なぜだろう?
 
 全然、父が死んだ気がしない。
 
 なんなんだろう?
 
 納棺され、通夜会場に搬送されるときも、
実感がない。
 
 会場に移動し、会葬の人たちが集まり、
通夜の読経が始まっても、
私は、実感のないまま、
遺族席にずらずら並び、
焼香をする人たちに神妙に頭を下げ続けた。
 
 その時だ。
 
 我々の後ろに供えてあった、
固めのビニールに覆われた菓子の飾りが、
ガサガサガサッと、大きな音を立てた。
 誰か寄りかかって押してしまったのか?
 そう思って、私も、子供たちも同時に振り返ったが、
そこには誰もおらず、
ただ、菓子の飾りのお供えだけがあった。
 
 そのあと、またしばらく焼香の人におじぎを繰り返していると、
また、後ろの菓子のビニールが、
ガッサ〜〜〜、と音がした。
 
 あ、こりゃあ、間違いない。
 完全に人が寄りかかったような重量感のある音。
 
 お父さん、そこにいるよね?
 
 そこで、いつもみたいに、
後ろ手にして壁に寄り掛かって、
みんなを見回しているでしょう?
 
 あの淡々とした独特の気配が、
そこにあるのだ。
 
 やはり、もう、あのナキガラの中には、いなかったんだね。
 苦しい肉体から自由になって、
♪あの〜大きな空を〜飛び回っちゃってるでしょう?
 
 読経が終わり、
お清めの食事ということで、
親戚が集まって精進料理を食べ始めた。
 
 その部屋には、お棺とお供え、線香や焼香道具も置かれ、
お父さんを囲んで食事をするようになっていた。
 
 みんなで、恐ろしく旨い金沢の精進料理を夢中でつまんでいる中、
四男が、ひっきりなしにお棺の元へ走り、
何度も何度も線香を上げ、
お棺の中のおじいちゃんに手を合わせている。
 
 私が、その四男に気付いて、
傍に行き、一緒にお棺の中の父に手を合わせると、
「僕、何分かに一回、おじいちゃんに会わないと落ち着かないよお」
と四男が言う。
 
 「お前は、おじいちゃん子だからねえ」
と私が言うと、
四男は、急にしゃくりあげ始め、
私の胸の中で声を殺して泣いた。
 
 「焼いちゃヤダ……おじいちゃんを焼いちゃヤダよぉ……」
 
 四男の背中をさすりながら、
視線を感じてふと顔を上げると、
泣きじゃくる四男を見て、母が泣いていた。
 
 ああ、この子は、
この痩せた遺体を、
おじいちゃんだと実感できているんだね。
 だから、ちっとも怖がらず、
このナキガラに顔を寄せて、
何度も何度も話しかけるんだね。
 
 気づくと、子供たち全員、
四男の周りに集まって、
四男の背中や頭を優しくさすっていた。
 
 「僕、うるさくわあわあ泣いちゃいそうだよ」
嗚咽しながら四男が言った。
 
 「わあわあ泣いていいんだよ。
気の済むまで、泣くだけ泣いていいんだよ、
それがお別れする、ってことなんだからさ」
 私は、数年前、親友が亡くなった時、
わあわあ泣いたおかげで、
ちゃんとお別れできたことを思い出していた。
 
 
 その夜、夫の育った家に帰ったが、
いつも人数分の大量の布団を運んでくれるお父さんが、
やはり、いない。
 
 夫は、ご遺体と共に式場に寝ることになっているので、
私と子供たちで、納戸から布団を運び出し、
手分けして布団を敷いた。
 
 みんな疲れきっていたせいか、
あっという間に寝てしまった。
 
 翌日、また大騒ぎで大量の布団をかたづけ、
葬儀会場にぞろぞろ向かったが、
式が始まり、読経が始まった途端に、
また、後ろの菓子のお供えが「ガッサ〜」と鳴った。
 
 お父さん、また居ますね。
 
 全然怖くない。
 お父さんが、お父さんのムードを出しながら、
そこで相変わらず、淡々といるだけだから。
 
 葬儀は、意外とあっさりと終わり、
お棺にお花を入れるときになった。
 
 みんなどんどんお花を入れたが、
今までりぐっすり寝ていた4歳の長女がむっくり起きると、
「ピンクの花欲しい〜!」
と軽くぐずり出した。
 「はい、これ、ピンクの花。一緒にここに入れてね」
と、お棺の中に入れさせると、
「ピンクの花〜!」
と、余計に激しくぐずる。
 「はい、だから、これ、ピンクの花。これ入れるの」
と一緒に花を持ってお棺に入れると、
「ピンクの花〜〜〜! ンギ〜〜〜!」
と、今度は、泣き始めた。
 
 (や、やばい! こんな時に……)
 
 すると、そばにいた四男が、
一輪のピンクの小花をスッと長女に渡した。
 長女は、スッと機嫌が直り、
花のにおいを嗅いでいる。
 
 自分のお花が欲しかったのか。
 
 我々親が気付かなかったことを、
四男が気付いてくれた。
 
 娘の手に一本のピンクの花を残し、
お棺のふたは、閉じられた。
 
 ふと四男を見ると、
激しく泣いている。
 
 抱き締めると、
「おじいちゃんの顔、触ったら冷たかった」
と、うめき、またひとしきり泣いた。
 
 親戚一同、バスで焼き場に向かい、
炉にお棺が差し入れられると、
「ヤダ! ヤダ! 焼かないで! おじいちゃん焼いちゃヤダよぉ!」
と、ガタガタ震えながら泣く四男の頭を、
次男が優しく何度もなでていた。
 
 いつも殴り合いのケンカをしているのに。
 
 その向こうで、
三男がひっきりなしにしゃくりあげている。
 ドアの向こうの炉の中に消えていくお棺を、
穴のあくほど見つめ、泣いていた。
 
 夫の妹が、炉の前で号泣し、
動けなくなっているので、
私は、彼女の背中をさすりながら控室まで誘導し、
「お父さん、もう、あの体の中にはいないよ」
と言った。
 なぐさめるつもりだった。
 「昨日も、さっきも、
私たちの後ろのお供えのところで寄りかかっていたみたい」
 そう言うと、妹は、
パッと表情を明るくし、
「ほんまけ?」
と言った。
 
 「そうだよ、間違いないって」
と話していると、
すっと話に入ってきた父の弟が、
「それはないわ!」
と断言した。
 
 父の弟は、父と顔も背格好も似ている。
 父が無口系KYだとしたら、
その弟は、多弁系KYといったところか。
 
 「あそこは通気口があるんやろ。
 いや、外にも近いわ。それで音がしたんや。間違いないわ」
と、きっぱり言い切った。
 
 まるで、心霊現象を怖がる私たちを、
嘘をついてまでも慰めるかのような強引さだった。
 
 (いやいやいやいや、通気口も無かったし、外の音でもなかったって)
と思ったが、
彼は、一生懸命慰めてくれているようなので、
「ああ〜〜〜、そ、そうだったんですかぁ、よ、よかった〜」
などと、安心した振りをしてみせると
「そうや〜」
と、彼も安心した顔をした。
 
 しかし、妹の顔をみると、
微妙な表情で、絶望的なため息をついているのだった。
 
 (兄弟だねえ……)
 
 KYの別バージョン。
 派生の仕方が多少違うだけで、
やっぱりおんなじ種類の人種なわけだ。
 父にそっくり!
 父が生きていたら、おんなじことを言いそうだ。
 
 また、父の妹だというおばさまが、
その弟に近寄ってきて、
「あんた、仲良かったから、淋しいでしょ」
と言うと、
「もう済んだことだから、かまわん」
と言いきった。
 
 う〜〜〜〜〜〜〜〜ん、似てる!
 その、身も蓋もない、元も子もない、
二の句もつげぬ物言い、
父にそっくり!!!
 
 こんなところで、ここんちの血の特徴を実感するとは。
 それにしても、哀しき特徴だわねえ……
 かわいくないわあ……
 そういや、夫にも、こういうところあるわよね、
と、しばし苦笑だった。
 
 
 さて、1時間弱で、控室から呼び出され、
焼きあがった(?)父と対面した。
 
 去年おばあちゃんが亡くなった時にも思ったのだが、
こちらでは、お骨を二人で箸で持たないようだ。
 個人個人、骨を一人で箸でとり、
テラコッタ調の小さい骨壷に入れた。
 
 「もう哀しすぎて泣けない」
四男も、淡々と骨を拾っていた。
 
 
 焼き場から再び葬儀会場にバスで戻るとき、
その異常は起きた。
 
 普段、オモテであまりぐずらない長女が、
猛烈にギャンギャン泣きわめき、
「熱い〜〜〜! 水〜〜〜!!!」
と大暴れしたのだ。
 
 必死であやしたが、
どんどんその絶叫がひどくなるので、
夫のいとこがバスを降りて、コンビニで水を買ってきてくれた。
 
 娘は、水を少し飲むと、
「もういい」
と言って、ぐったりとなり、
その後、数時間、目を覚まさなかった。
 
 また親戚で集まって精進料理を食べている時も、
娘は一切目を覚まさず、
結局、帰るまで起きなかった。
 
 さすがにこれはおかしいと思い、
式場の人に救急病院を探してもらった。
 
 夫の弟に車で病院まで送ってもらい、
診察してもらうと、
どこも悪くない、強いて言えば、
おなかの風邪と、軽い脱水、
そして、軽い低血糖だという。
 
 念のため、点滴をすると、
急に元気になったのだった。
 
 医者が言うには、
「結婚式で具合が悪くなる子は、そういないんやけど、
葬式で具合が悪くなる子供は多いわ。なんかあるんかねえ」
とのことだった。
 
 ホントだ。
 
 通夜の時も、葬儀の時も、
会場にいるとき、娘はずっと眠りこけていた。
 いつもこんなに寝ない子なのに。
 焼き場からの帰りの様子は、
まるで自分の体が焼かれてるかのような叫び方だった。
 
 泣きやんだ娘に後から聞いたら、
「体が焼けるの、すごく熱いんだよ!」
だと。
 
 こ……こわ!!!
 
 ここだよ、弟!
 ここでこそ、
「それはないわ!」の断言ちょうだい!
 
 病院から帰るとき、
車で送ってくれた夫の弟に、
「喪主で疲れているのに、余計な事させてごめんね」
とあやまると、
「な〜ん。このファミリーを守るのがワシの仕事や!」
と、力強く言ってくれた。
 
 私は、このことばで、泣きそうになってしまった。
 生まれてこの方、私は、
こんなにはっきりと「守ってやる」的な言葉を
かけてもらったことは、一度も無い。
 
 このことばだけで、
何をしてくれなくても、
ものすごく力が湧いて出てくるというものだ。
 
 このことばが、
この弟とそっくりな顔をした夫の口から、
なぜ出ない?!
 
 もう!!!
 
 
 ともあれ、翌朝一番の列車で家路につき、
なんとか家まで帰ってこられた。
 
 帰りに持たされた大量のお供え物のおすそ分け。
 しばらくは、お菓子食べ放題だった。
 
 金沢は、浄土真宗王国。
 こういう冠婚葬祭は、派手だし、立派だ。
 
 お供えに、市販の菓子が山ほど飾ってあって、
帰りに会葬者が持ち切れぬほどお土産に持たされる。
 お花ももらえる。
 まるで、結婚式の帰りのように、
お土産で両手いっぱいになるほどだ。
 
 いい経験をさせてもらった。
 
 父が亡くなったことは、
いまだに実感がないが、
いつも金沢に服やらお年玉やらを忘れて帰ってきたときに、
後から送ってくれる人は、もういない。
 
 「重いやろ。荷物送っておくから置いておけ」
と言ってくれる人が、もういないから、
みんな、いつもより、帰りの荷物がずっしりと重かった。
 
 その重さが、
なんとな〜〜〜く哀しくて、
ちょ〜〜〜っとだけ切なくて、
ああ、お父さん、どこかへ行ってしまったんだなあ、
と、淋しく感じるのだった。
 
 
 
 
  (了)


(子だくさん)2010.1.26.あかじそ作