「 シンプルに生きる 」


子供が、
「今日学校に行きたくないなあ」
「ゆううつだなあ」
と言う。
 
「そんなときは、何も考えずに、ただ行ってみな」
と言ってやる。
 
その日の夕方、ケロッとして帰ってくる子供に、
「ね? 何だかんだで今日は無事終わったでしょ?」
と聞くと、
「あ、ホントだ」
と驚いている。
 
いやだなあ、ゆううつだなあ、
と、思うときには、
「ああなったらどうしよう」
「こうなったらいやだなあ」
などと、
起きてもいないことを、あれこれ先回りして心配したりせず、
なん〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜にも考えずに、
ただ、その日一日、無心で生きてみればいいのだ。
 
そうすれば、
いつの間にかその日がやり過ごせてしまう。
 
同じように、
もう、疲れて疲れて疲れ果てて、
気が重くて何もできないようなウツの日は、
やはり、何にも考えずに、
「今日は、ただ生きているだけでいい」
と思うようにしている。
 
いつもいつも、そんなミッチリ
明るく楽しく元気いっぱいじゃいられない。
 
もう、ダメです、
という日もある。
 
そんな時も、
発作的に人生を放り投げずに、
またいつかきっとくるであろう
「明るく楽しく元気いっぱい」の日を待つまでの間、
ただ生きてみるのだ。
 
シンプルに、
何の変哲もなく、
ふつうにふつうに、
淡々とただ生きてみる。
 
そうすれば必ず、
遥か向こうに次の灯りが見えてくる。
 
生きる。
ただそのことが、
そのこと自体が肝心なのだ。
 
ああなりたいとか、こうなりたいとか、
これがイヤだとか、あれがダメだとか、
そんなのは、全然関係ないのだ。
そんなのは、みんな、
欲張りな付け足しなのだ。
 
皿洗いや、トイレ掃除や、床の雑巾がけや、
洗濯や、買い物や、老親の世話や、
そんな、日々の地味な一個一個の作業が、
それ自体、
命の営みなのだ。
 
輝かしい命の
営みなのだ。
 
生きることだけに集中して、
今日もまた生き抜けたことを、
シンプルに喜ぼうじゃないか。
 
もう、あれこれ迷ったり、
どうしようこうしようと悩んだりしないでいい。
 
 ただ、目の前の道を歩くだけだ。
 
 
 
 (了)
 

(しその草いきれ)2010.2.2 あかじそ作