「 18歳成人制 」


 我が家は、18歳を成人とすることにした。
 高校卒業と同時に、「お子ちゃま」も卒業してもらう。

 進学するもよし、就職するもよし。
 初年度の学費だけは、ハナムケとして出してやるが、
後は知らん。

 次年度からは、バイトするなり、奨学金を受けるなり、
就職後に働いて少しづつ返すなりして、自分でまかなうこと。

 これは、うちが貧乏人の子だくさん、
ということだからではない。

 子供たちを、一人前の人間に育て上げるための、
最後の教育だと思っている。

 だいたい、我が家には、
教育失敗のモデルがふたりいる。
 
 だらだらなまけて大学に7年も通い、
親に莫大な学費を払わせた挙げ句、
長い間、両親と音信不通だった夫。

 「自分で働いて学費を返す」と言いながら、
大学卒業と同時に、ヒモ(現夫)と同棲し、
働いて稼いだ金を、自分たちの生活費にすべて使い果たして、
結局、学費を全額親に払わせた私。

 基本的に、親=スポンサーで、
子供にかかる金をすべて払うのが当然、
と思っていた馬鹿野郎ふたりだった。

 「自分の親は、自己チューで、親のせいで苦労した」
などと、平気な顔をして言っていた。

 今思うと、親に産んでもらって、育ててもらって、
学費を出してもらっておいて、
「親のせいで」などと、どの口が言えたものか! ふざけんな!
・・・・・・と、思う。

 完全に「クソ甘ったれ」であった。
 二十歳を過ぎ、成人式も終え、
散々世話になったあとでも、
まだ金銭的にも精神的にも甘えきっていた。

 これが、うちの子供だったら、私は、絶対に許さない。

 「ふざけんな! 甘ったれ!」
 「一回、路上生活でも経験して、家庭のありがたさを痛感してこい!」
と、ぶちぎれるだろう。

 そう言えば、夫も私も、両親にとって、第一子なのだ。
 育児がよくわからない親に、手探りで育てられたため、
親は、子供の言いなり、脛かじられっぱなしだった。

 夫の母などは、いまだに何かあるたび、
我が家に寄付をしてくれている。
 かの鳩山家と比べれば、額は桁違いに庶民的ではあるものの、
それでも、軽自動車や冷蔵庫が買えるだけの大金である。

 「うちの息子が稼げていない分出すわ」
ということなのだが、
妻としては、
「助かります! お義母さん!」
だが、母親のひとりとしては、
「過保護〜〜〜!!!」
と思う。

 ぼんやりしていたら、
夫も私も、自分らの両親をモデルにして、
散々子供たちを甘やかしてしまうだろう。
 今までも、そうやって、
子供の言いなりになって、何度も遊ぶ金を出してやってしまった。
 このままじゃ、うちの子たちは、甘ったれ野郎にしかならない。
 それだけは、イヤだ。

 可愛い可愛い我が子たちには、
鼻を鳴らしてクンクン甘える「守られたがり屋」ではなく、
死に物狂いで家族を守る、本当の大人になってほしい。

 そりゃあ、自分の子供たちが苦労するのは、見ていられない。
 でも、苦労させなければ、可愛い子供たちがダメ人間になってしまう。

 だから、心を鬼にして、
これから大学受験を目指す長男には、こう言った。

 何百万も払って、
これから一生食っていくための技術や資格を身につける、
好きな分野ばかりを毎日毎日びっちり勉強できる、
同じ分野を目指す同胞と出会い、一生の友を見つけることができる、
これが、大学だと、我々は、思う。

 それ以外の、
「まだ働きなくないから」
とか
「みんな行くから」
などという動機で大学に行くのなら、
我々は、そういうバカげたことに使う金は持ち合わせない。

 神様から新しい命をいつつ預かって、
自力で生きていけるようになるまで、
責任を持って必死で育てている。

 ひとりで生きていけるようになった人間の、
遊ぶ金を出す気は、さらさら無い。 

 だから悪いが、うちは、18歳で成人。

 ・・・・・・と。


 厳しいようだが、
寒風吹きすさぶドアの外に、
子の背中を蹴り飛ばして追い出してやろうと思う。

 淋しそうにトボトボと歩きだし、
後ろを振り返り振り返り、「助けてよ」と目で訴える子を、
見て見ぬふりして、ドアをピシャリと閉める。

 そして、心の中で泣きながら叫ぶのだ。

 「頑張るんだぞ! 愛してるよ!」

と。




    (了)

(子だくさん)2010.3.30.あかじそ作