「 認める 」


 日曜の夜7時半、
三男のクラスの男子のお母さんから電話があった。

 三男が、その子をいじめているからやめてほしい、
とのことだった。

 以前、三男に聞いていた話では、
体育の授業中に「4人組を作れ」と先生に言われて、
三男とその周りの子たちでサッと4人組を作った直後に、
その子が「俺も」と入ってきたから、
「もう遅い、あっち行け」と言ったら、向こうが殴ってきた、
とのことだった。

 ところが、その子のお母さんの話によれば、
4人組ができた、と思っていたのは、三男とその周辺の子たちだけで、
その子には伝わっていなかったのだから、
「入れて」と言ったのに、
「あっち行け」と乱暴に言うのは、完全に仲間外れにしているし、
いじめだ、とのことだった。

 それから、去年の今頃、
三男と数人の子供たちが、ある店で買い物をしているとき、
その子の家族全員もそこにいいて、
みんなでその子をからかうような事を言い、
しつこく中傷してきたので、
証拠として携帯の動画に記録してある、
これを警察に証拠として差し出して、
三男を捕まえてもらうこともできるし、
弁護士にお墨付きをもらった、
とも言う。

 そして、先ほど、コンビニの前で、
三男がその子と出くわし、
その子の名前を連呼し、いやがらせをした、
と言う。

 三男がそこにいたので、本人に電話を代わると、
「・・・・・・はい。・・・・・・はい。・・・・・・はい。」
と、受話器を両手で握って、延々言っている。

そして、
「はい、二度ともう、しません。すみませんでした」
と言い、
私に受話器を渡した。

 「今、本人の口から吐いたのを確認しましたから」
と言う。

 「【いやがらせ目的】で名前を連呼した、と本人認めましたから」
と。

 彼女が言うには、
三男が、彼女の子供以上に、
大勢から陰惨ないじめに遭っているのは知っているが、
その吐け口として、うちの子をいじめるのは許さない、
これ以上こういうことを繰り返せば、出るところへ出るし、
自分は、命がけで我が子を守ると決めたのだから、
何なら子供のために犯罪者になることもいとわない、
ということも匂わせてきた。

 彼女自身も言っていたが、
三男のしたひとつひとつのことは、小さいことだが、
積み重なって大きな傷になっているのだ、と。
 言った本人の意識は、たいしたことはないかもしれないが、
言われた側は、自家中毒になるほど重大な痛みとして感じた。
 だから、三男のことは、心底悪者だとは思わないが、
これ以上これを続けていくようなら、覚悟せよ、
とのことだった。

 電話は、延々続き、
切ってもらえたのは、夜中の2時前だった。

 6時間ずっと謝り通し、
時に、三男の言い分も話してみたが、
それを言うと、いや、それは、違う、
と、時間がどんどん伸び、
結局、6時間かかってしまった。

 疲れ果ててしまった。

 去年の担任から、
「息子さんは、ふざけ半分で人のことをからかうことが多い。
 確かに、息子さんもひどいいじめを受けていますが、
それは、息子さんの自業自得でしょう」
と言われていた。

 連日、家に担任が来て、
「お母さん、息子さんに言ってきかせてください」
と言われていたが、
私は、三男のことばを信じて、
「うちだけが悪いのでしょうか?
 喧嘩の流れで放った言葉で、こちらも同様のことを言われて、
怪我をするほど暴力もふるわれているというのに、
親が猛抗議した方が正義になって、
反論しない親を持つ子供の方は、
一方的に【悪者】として処理されるのでしょうか?」
と言ったのだが、先生は、
「相手方は、裁判に訴えると言っていることですし、
ここは、こちらに謝っていただくしかないので」
とも言う。

 そういうことがあったのだが、
ここのところ、クラス替えもあり、何とかおさまっていると思って
安心していたところへの、この電話だった。


 「申し訳ありませんでした」
 「親として、しつけ、管理の不行き届きで、どうもすみませんでした」
 「もう二度としないようにきつく言い聞かせますので」
と繰り返したが、
「信用できません」
と謝罪を跳ねのけ、
抗議は続いた。

 長い長い電話の中で、私が、
「なぜ人にされて嫌だったことを、他の人にしてしまうのか、
わが子ながら、とても、情けないです。
 きっと、されたことを、ひとつのパターンとして自分の中に植えつけられてしまって、


自分もされたのだから、人にもそうしてやれ、という気持ちにでもなってしまったのか・・・・・・」
と言うと、
「それは、この子が弱いからだよ。あんたの子は、弱すぎる」
と言われた。

 確かにそうだ。

 ちょとでも人に何か言われると、異常に傷つくくせに、
自分は、人にもっとキツイことを平気で言う。
 空気が読めないし、自分がされて嫌だったことを人にするのは、
自分を律することのできない、心の弱い証拠だ。

 長い通話だったせいか、
途中から、なぜかだんだん、
彼女が私の育児相談に乗る、というような形になってきていた。


 「きつく言って聞かせます」
と私が言うと、
「子供は、きつく言うばかりじゃダメ、正論だけじゃ子供は息が詰まるよ」
と彼女は、言い、
「弱い者たちで結束して、ワルの親玉と対抗することはできないのでしょうか」
と私が言うと、彼女は、
「お母さん、今は、そんな昔の正義が通る時代じゃないよ」
とも言う。
 話すうちに、
「この人、結構いいこと言うじゃないか」
という気持ちがわいてきた。

 いつの間にか、
被害者加害者という立場を超えて、
難しい年頃の子を持つ親同士の育児論を戦わせる場になってきていた。

 しまいには、
彼女は、私に、
「あなたは、自分の子の悪いところは、悪い、とちゃんと認める、しっかりした良いお母さんだよ」
と言い、
私は、彼女に、
「申し訳ないと同時に、いろいろ教えていただいて、ありがたい気持ちでいっぱいです」


と言っていた。

 濃厚な6時間であった。

 相当へこんだし、相手も自分の子がうちの子に傷つけられて、
長く心身衰弱していたことだろう。

 しかし、今私は、なぜか、爽やかな気持ちになった。

 彼女は、
「あんたの子は弱すぎる。
でも、大人たちの管理下にある今なら絶対、更生できるって!
 あんたの子がめちゃくちゃいじめられていることだって、
あんたが本気で何とかしたいなら、
私が悪者になって手伝ってやってもいいからね」
と豪快に笑っていた。

 何なんだろう、これ。

 本音と建前を使い分けることに心を砕きながら、
ここ18年ほど育児してきたが、
こんなに本音でぶつかり合えるのは、初めてかもしれない。

 ハッキリ言って、かなりやばい相手だが、
私とて、実は、「母親」としては、相当なクセモノだと思う。

 だから、何だか波長が合ってしまった。

 彼女は、今までずっと、本音で生きていたので、
建前で謝っても、それを建前とすぐ感じとり、
「信じない」と言い、
私が本音で
「でも私は、こういう時は、こう思うんですけど!」
と言うと、
「それはね!」
と、本気で応えてきた。


 彼女と話して、私は、
ひとつ、大きな答えを見つけた。

 その場しのぎの言い逃れは、やめること。


 我が子の語る言葉だけを信じて、
その罪を少しでも軽くしようと弁護するのではなく、
本当に我が子を信じるというのなら、
苦しいけれど、
そう・・・・・・、とてもとても苦しいけれど、
我が子の反社会的部分をきちんと認め、
それを時間をかけて矯正していく努力を怠ってはならない、
と、確信したのだ。


 【子供の上っ面の言い逃れの言葉】を信じるのではなく、
【我が子は、きっと、まっとうな人間になれるはずだ】
ということを、心底信じるべきなのだ。

 信じるところの深さが違うのだ。


 6時間は、とても長かったけれど、
大きな成果があった。

 私は、また、イバラの森でひとつ、大きな実を拾ったのだ。


  (了)



 【追記】

 この彼女には、実は、息子がふたりいて、
上の子は、三男と同じクラスで、下の子は、四男と同じクラスだ。

 四男は、昨年転校してきたばかりのこの下の子に、
親切に接し、優しくクラスに招き入れていた。

 昨秋の小学校のバザーで、四男は、
彼女と、彼女の下の息子と一緒にあちこち回っていたらしいのだが、
四男が、輪投げを何回もやり、同じ景品を5個取ろうと粘っていたので、
彼女が「なんで5個も同じ物が欲しいの?」と聞いたところ、
四男は、こう答えたと言う。

「僕は、5人兄弟なんです。
どうしても全員分、5個取って、
みんなにお土産にしたいんです」


 それ以来、彼女は、この四男をいたく気に入り、
今年に入っても、この下の子と四男は、毎日のように遊んでいる。

 おっとりして温厚な性格の四男は、
この下の子がみんなにいじめられている時もひとりでかばい、
「大丈夫だった? 怪我ない?」
と、慰めながら、
泣いて帰るその子に付き添って家まで送って行ったこともある。

 こういうことが何度もあったのだ。

 それらを子供から聞いていた彼女は、
いじめっ子たちを、親子共々学校に呼びつけて、
散々怒鳴りつけていたのに、
三男に対してだけは、静かに電話で抗議してきた。

 丁寧な言葉で、ざっくばらんな世間話を交えて。
 「あの優しい子」のお兄ちゃんとお母さんなのだから、と。

 これは、すべて、
実は、四男の人徳のなせるわざなのだ。

 修羅場のようなトラブルで颯爽と弟を助ける三男は、
実は、優しさに満ちた四男の日々の生きざまによって、
今回助けられたというわけだ。


(子だくさん)2010.5.18.あかじそ作