「ろうそくボール」

 ぼくの母の母の母は、そりゃあ怖い人だ。
「大おばあちゃん」
と呼ぶと、呼び終わらないうちに、
「なんだ!」
と、怒鳴られる。
 いつも怒っている。

家事は、しない。
野菜は、いっさい食べない。
好きなものだけを、好きな時に、たらふく食べる。
礼を言わない。
決して謝らない。

 人生の50パーセントは、食っていて、残り50パーセントは、祈っている。
 年がら年中、なむなむなむなむ両手を擦り合わせていて、
ふと、顔を上げては、恐ろしい顔で家族を怒鳴る。

 90歳近い今、あちこちガタが来てはいるが、それでもしぶとく生きている。

 大おばあちゃんの子供11人も皆、大人になったが、
大おばあちゃんのことが、未だに恐ろしいらしく、
陰で「クソババア」とか言いながらも、面と向かうと、びくびくしている。

 ぼくは、大おばあちゃんの初めてのひ孫だから、大おばあちゃんなりに、
やさしくしてくれているようだが、やっぱり怖い。
そんな大おばあちゃんの若い頃は、どんなだったのだろう?
 ぼくは、大おじいちゃんに昔のことを聞いてみた。

 戦争が終わったばかりの頃、大おばあちゃんは、近所の上野の山で、
飢えた戦災孤児を、何人も拾ってきたらしい。
 自分の子供たちをほったらかして、大おぱあちゃんは、
親を亡くした子供らにメシをふるまった。

大おばあちゃんは、自分の子供たちに笑顔ひとつ見せない母親だったが、
孤児たちには、やさしかったという。

 そんな孤児たちが、お腹いっぱいになって、ひとり去り、ふたり去り、
最後のひとりが家から出て行っても、大おばあちゃんは、
自分の子には、まったく笑顔を見せずに、無愛想に生きてきた。

 しかし、眉間にシワを寄せながらも、
毎年正月には子供11人に新しい下駄を買ってやり、
チッチッチッ、と舌打ちしながらも、孫25人、ひ孫52人全員を産湯に入れた。
 
 ぼくは、大おばあちゃんが好きだ。
なむなむなむなむしている、大おばあちゃんの後ろ姿を見ながら、
ぼくがひとりで遊んでいると、大おばあちゃんは、
突然ろうそくの火を指でつまんで消し、
燃え残ったちびたろうそくを燭台から引っこ抜くと、手で丸め始める。
 カシャカシャカシャカシャ、と、乾いた手のひらを擦り合わせる音がしたかと思うと、
パッと振り向き、
「ほらよ!」
と、言って、小さな「ろうそくボール」を、
コロコロコロコロコロコロコロコロコロコロコロコロコロコロコロコロ
と、ぼくに向かって転がしてくる。

 仏壇からぼくのいる場所までは、軽く5メートルはあるというのに、
畳の上を、まっすぐに転がってくる「ろうそくボール」は、
まるで、イチローがサードに送球するみたいに鋭く、速く、正確だ。
 
「手、熱くないの?」
ぼくが聞くと、聞き終わらないうちに、
「熱いね!」
と怒鳴る。
  
 ぼくは、大おばあちゃんが好きだ。
好きだけど、すごく怖い。
怖いけど、すごくかっこいいから、大好きなんだ。


                   (おわり)
2001.12.17 あかじそ作