「 くじらの腹の中で子を待てるか 」 |
三男が、学校でクラスメイトに対してしている 「人をからかう」行為は、 三男本人にとっては、 「面白いこと」だったかもしれないが、 言われた子たちは傷つき、いじめと受け取っていた。 「僕は、面白いことを言っただけで悪いことしていないのに」 という三男に、私は、頭をかかえた。 「人の傷つくことを言って面白がること」 これこそが悪いことなんだよ、 と何度も言ってきかせたが、 「はいはい」 と、めんどくさそうに言い、心底反省しているようには見えず。 たしかに、誰かに「ドンピシャなあだ名」をつけたり、 人に対して「つい言いすぎてしまうこと」は、 私も学生時代に経験している。 そして、自分もそれと同じことをされて、傷ついたことも数知れない。 ただ、昔と違うのは、、 そこに「親が一枚かんでくる」ことであった。 からかわれた子供自身が、 「ものすごく傷ついた。もう学校に行きたくない」 と、ひとことでも愚痴を親に漏らそうものなら、 その親は、天地がひっくり返ったかのように大パニックに陥り、 命がけで猛抗議をしてくるのだ。 たとえ言われたことが、ほんの軽口でも、 「人権侵害」や「言葉を使った傷害罪」だと言い、 これを警察に訴え、【悪い子供】を学校から排斥しないと、 その【悪い子供】を自らの手にかけるぞ、 ということもちらつかせる。 学校は、モンスターペアレントから子供を守れない。 「お母さん、この事態を収拾させるために、いいから謝ってください!」 と言う。 「後は、親御さん同士で話し合ってください」 と言う。 もちろん、陰湿で、悪質ないじめであったら、 学校や地域などで協力し、全力で対応せねばならないが、 今は、ただの「子供の喧嘩」が、 モンスターペアレントにかかれば、「傷害事件」と呼ばれ、 騒いだ者が「正義」になり、指名された者は、 「生きる価値の無い者」として、地域にあらぬ噂を流される。 このような理不尽な教育環境に、私は、神経を疲弊させていた。 確かに三男は、口は悪いし、 そのことでたくさんの友だちを傷つけた。 それは、まぎれもない事実で、 絶対に今すぐやめさせなければならないのだが、 それ以上に私が頭を悩ませているのは、 三男が、学年でワルとされる連中に誘われて断れず、 いつも彼らとつるんでいる、ということなのだ。 学校から帰宅後、 ワルたちが家に三男を迎えに来て、 三男は、おろおろしながら泣きそうな顔になり、 結局、断りきれずに彼らと出かけていく。 「30分くらい付き合ってすぐに逃げてくる」 と言って出ていくのに、 夜9時近くになるまで帰ってこない。 「抜けられなかった」 「帰してもらえなかった」 と半べそで言う。 なぜ断れない? なぜ、そんなにおびえているのだ? 私は、悩みに悩み、 仕事中も三男のことが頭から離れず、 いつもならありえないところで小さなミスを犯してしまった。 ミスの後処理を終えて、シュンとして家に帰り、 息つく間もなく、 喘息の出ている4歳の長女をかかりつけの医者に連れて行った。 憂鬱な気分から抜け出せず、 長女が何かを話しかけてきても、 ぼんやりしてしまって、ちゃんと受け応えできないでいた。 「ねえ! お母さん! これ読んでよ!」 長女が、病院の本棚から、ピノキオの絵本を持ってきた。 「うん、いいよ」 声に出して読み聞かせてやった。 すると、そこには、私の心に引っかかることばが、 そこここにちりばめられているのだった。 「木彫りの人形・ピノキオが、火鉢で足を焼いてしまったのを、 ゼペットじいさんはご飯も食べずに直してくれました」 「ゼペットじいさんは、ピノキオを我が子のように可愛がり、愛しました」 「ゼペットじいさんは、たった一枚しかない上着を売って、ピノキオに学校の本を買ってあげました」 「ピノキオは、劇を見たくて、その大事な本を売ってしまいました」 「劇場の親方は、事情を聞き、ピノキオにお金を渡し、 大事な本を買い戻すように言いました」 「ピノキオは、そのお金でおもちゃを買おうとしました」 「女神さまが現れ、ピノキオを諭すと、 ピノキオは、『本を買おうとしたんだ』と嘘を言いました」 「嘘をついたので、ピノキオの鼻は伸びてしまいました」 「ピノキオは、甘い誘惑に負けて、遊んで暮らせる国に行ってしまいました」 「遊んでばかりいるので、耳がロバになり、尻尾が生えてきました」 「ずるい連中に騙されて、サーカスに売られ、 そこでミスばかりしたので海に捨てられてしまいました」 「海では、くじらに飲み込まれ、 くじらのお腹の中でゼペットじいさんに会いました」 「ゼペットじいさんは、ピノキオを探すために、 一人で海に船をこぎ出し、くじらに飲み込まれたのでした」 「ピノキオとゼペットじいさんは、力を合わせてくじらの腹から逃げ出しました」 「心から反省したピノキオは、家に帰ってからまじめに働き、 悪いこともやめ、ゼペットじいさんを助けました」 「それを見た女神さまは、 ご褒美に、ピノキオを本当の人間の子供にしてくれました」 「人間になったピノキオとゼペットじいさんは、 いつまでも仲良く暮らしました」 読み終わった後、私は、泣いてしまった。 声を出さずに、誰にも知られないように。 やけどしたピノキオの足を、寝ないで直すゼペットじいさんと、 足に大怪我をした三男に包帯を巻く自分とが重なった。 毎日配達で必死に稼いだ給料で、 三男に高い野球のスパイクを買ったことも重なる。 「公民館で勉強する」と嘘をついて出かけ、 ワルたちと夜まで遊び歩く三男の鼻が伸びていく画が浮かんだ。 耳がロバの耳になり、尻尾が生え、 冷たい世間の目にさらされて揶揄されている三男が見えた。 夜になっても学校から帰らない三男を探して、 真っ暗な中、自転車で何時間も探し回る私と、 ピノキオを探すために、 荒れ狂う海にひとりで船をこぎ出すゼペットじいさん。 ピノキオは、ゼペットじいさんの愛に気付き、 人間の子供になることができた。 しかし、ずいぶん長い間、懲りずに享楽に溺れ、 誘惑に負け続け、まんまと騙され、 結局、世間に冷たく捨てられた。 そんなピノキオを最後まで信じ、愛し続けたゼペットじいさんは、 この私のように、 「こっちの身にもなってよ!」 とか、 「お前のせいで、なんでお母さんが謝って回らなきゃいけないのよ!」 とか、 「お前にいくら掛かってると思ってるの!」 などという発言を一度でもしただろうか? いや、しない。 ゼペットじいさんは、 ピノキオがどんなことをしようが、 いつもピノキオを信じ、「自分自分」と主張せず、 ひたすらピノキオに愛を注ぎ続けたのだ。 今まで、ただの「いい人」「桁外れのお人良し」 だと思っていたゼペットじいさんだが、 私は、ゼペットの愛の偉大さに打ちのめされていた。 泣かずにはいられなかった。 病院の絵本のページに、涙がポトポト落ちた。 「私は、誰もいない真っ暗なくじらの腹の中で、 ひとり火を焚き、じっと木の人形を待てるだろうか?」 そのページの中では、 ついに本当の人間になれたピノキオと、ゼペットじいさんが、 抱き合って喜び合っているのだった。 (了) |
(子だくさん)2010.5.25.あかじそ作
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