「 眠い忙しい仕事山積み 」


 息つく暇も無く、やることが常に常に山盛りで、
約束の時刻と、決められた期限とに追いまくられている中で、
やらなくちゃならない仕事がまだ残っているというのに、
新しい仕事や、考えなくちゃならない問題が、
新たにどんどんどんどん山積していく、という状況。

 もし、そういった状況になった際、みんなどうしているのだろうか?


 常に二つ三つの作業を同時進行しないと、とてもじゃないが間に合わないので、
「一度にひとつのことしかできない気質」を押して、がんばっているのだが、
やはり、当然、ミスが出る。

 ミスが出れば、その後処理には、スッといった時の倍以上の労力が要る。

 だから、慌てず急がず、一個一個確実にこなしていこうとしてみるが、
当然、そのペースでノルマがこなせるわけもなく、
どんどんどんどん、頭の中のベルトコンベアーには、
しなけりゃならない作業、考えなけりゃならない問題が、
容赦無用にガンツクガンツク流れてきて、
自分の手元でずんずんずんずん滞る。

 「いやいやいやいや、ここは落ち着け。
 慌てちゃダメだ、ゆっくりゆっくり、一個づつ!」

 そう自分に言い聞かせてみても、
手元に滞ったノルマが、今度は、足もとにまでボトボト落ちて溜まりだし、
吹雪の中で雪に埋もれていくように、
引き潮の浅瀬がどんどん深くなっていくように、
無抵抗のまま、体が飲み込まれていき、顔まで沈み込みそうになる。

 「苦しい! 息ができない〜! 死んじゃう〜〜〜!」

 こんなことになっているのは、私だけだろうか?

 こんなに忙しくて死にそうになっているのに、
はたから見たら、何もしていないように見えるほど、
結果の見えない毎日を過ごしている人って、
結構多いんじゃないか?

 私なりに、分析してみたのだ。
 この不毛な忙しさを。

 結果が見えない仕事、というのは、
つまり、生産的でない仕事ということだ。

 たとえば、家事全般のような、
いわゆる「メンテナンス作業」の類だ。
 これは、一見、何も生み出していないように見えるが、
それを怠ると、生活が立ちゆかなくなる。
 車のメンテナンスを怠れば、命にかかわる大事故につながるし、
体のメンテナンスを怠れば、病気にかかって死んでしまう。

 目に見える結果が出ないだけに、
地味で面白みの無い作業に見えるが、
実は、休むことの許されぬ重要な仕事だ。

 それから、「問題処理」という仕事。

 生きていれば、何かしら問題が起こる。
 それを処理し、正常の状態に戻す、という作業は、
かなり手間がかかるし、やり方を間違うとこじらせてトラブルとなる。
 それに、相手があることだったら、更に複雑で、
相手を納得させ、自分が不当な待遇とならないようにするには、
明晰な頭脳と、緻密なテクニックと、
柔らかなコミュニケーション能力を要する。

 これも、「目に見える結果」=「普通の状態」であるから、
やはり、はたから見れば、この仕事は、
精神的疲労の割には、全然目に見えないのである。

 そして、子供と関わる人間なら、「教育」というものがある。

 親であれば家庭のしつけ、教師であれば、生徒の指導だ。
 これは、時間がかかるが、結果は出る。
 面白いように、原因と結果がつながっている。
 しかし、「すぐに出る結果」ではない。

 ほとんどの大人は、「すぐに」結果を欲しがるので、
「すぐに」出ない途中経過の状態を「結果が出ていない」と言う。
 だから、「どうしても今すぐ結果をよこせ」という保護者には、
教師は、その保護者の子供を優遇して、「インスタントな結果」を繕う。

 また、その保護者とて、
自分の子供を、「自分の求める子供像」に押し込めたい、
つまり、「親が自己満足を満喫するための結果」を欲しがっても、
子供は、そうそう思うようには動いてくれず、
子育ては大変だ、「(私の望む)結果」が出ない、
と嘆き、苦しむことになる。

 それから、「介護」もそうだ。

 介護される方も、する方も、
その日一日、無事生き抜くことができれば、
これは、もう、一日一日結果が出ているようなものなのだが、
実際、介護どっぷりの生活をしていると、
そんな爽やかに割り切れるものではない。

 楽しく乗り切ろうと日々、必死に努力してはいても、
過労と感情の葛藤で、
どうしようもない苦渋が付きまとうのも事実だ。


 他にも、いろいろあるけれど、
どれも、「結果」が見えにくい。
 「結果」つまり、自分の心への「報酬」がない行為に、
やる気を持たせるのは、非常に難しいものだ。

 きつい仕事でも、少しの「報酬」があれば、
人は、動けるものだ。
 「やった!」 
 「終わった!」
 「お疲れ!」
という、晴れやかな気持ちになれるのだから。

 反対に、どんな軽い作業の繰り返しでも、
「無報酬」つまり、
「やって当然、やらなきゃ怠け者呼ばわり」
「終わりの無い、区切り目の無い、出口が見えない」
という毎日では、
「自分をねぎらい、また頑張る力をチャージする」
という大切なひとときを持てず、
いつまでも心の疲れが取れないのだ。


 そういう、「結果」の見えない作業に追いまくられて、
本当に自分のしたいことが後回しになっている時、
きっと、人は、
「眠い忙しい仕事山積み」と感じてしまうのだろう。


 本当は、みんな忙しいのだ。たぶん。

 忙しい、忙しい、ああ、忙しいけれど、
「でもこれだけは、やらせてもらいますよ」
と、強引にでも、
自分のしたいことを優先してやっちまった者は、
その余力で、
「結果」の見えない作業をやっつけられるのだ。

 我慢して我慢して、我慢しまくって、
自分を後回しにしていると、
きっと、あまりの【「結果」の出なさ】につぶれてしまうのだろう。


 生きてりゃあ、物喰わなけりゃあ、死んじまう。

 それと同じで、

 生きてりゃあ、遊ばなけりゃあ、死んじまう。


 遊ぼう、遊ぼう。
 隙あらば、ちょこっとだけでも、好きなことしよう。

 毎日、1時間でもいいから、我慢しない時間を作ろう。

 だって、世界を動かすような「おエライさん」ほど、
プライベートの時間を大事にする、というじゃない?

 寝る前に、「明日は、こういう楽しいことがある」とチェックしてから寝よう。
 「楽しいこと」がなかったら、自分で「楽しいこと」の予定を立てよう。

 そして、
「ああ、明日が楽しみだなあ」
と、毎晩、ウキウキしながら眠りにつこう。


 これが、私の、
「眠い忙しい仕事山積み」に対する対策だ。

 さあさ、こうなりゃあ、即実行。

 今から幼稚園バスが帰ってくるまで、
あたしゃあ、背負った荷物を全て放り出し、
「五児の母、43歳、満身創痍で、ほうれい線ヤバすぎ」
ってことなど全て忘れて、hanaにもらった
「嵐」と「全員集合」と
「スポンジボブ」と「マイケルジャクソン」のDVDを見倒すぞ〜〜〜!!!

 どりゃ〜〜〜〜〜!!!

             
   (了)

(話の駄菓子屋)2010.6.15.あかじそ作