話の駄菓子屋 「選挙」


 先日も選挙があったが、
今回も誰とも投票する人や政党を相談しなかった。

 子供のころ、母親に、
「何党に入れるの?」
と聞くと、母は、必ず、
「内緒」
と答えた。

 「何で何で? 教えてくれたっていいじゃん」
と言うと、
「うちは、夫婦間でも相談しない。自分自分の考えで入れる」
と母は言った。

 日曜日、
母と一緒に近所の小学校に投票に行くと、
体育館には、土足で入れるように緑色のシートが敷かれていて、
いつもの学校の様子とまるで違うように感じた。

 母が受付で小さい券を係の人に渡すと、
名簿で名前を確認され、何やらハンコを押され、
投票用紙を渡された。

 母は、急に私たち子供からススッと離れ、
細かく仕切りのついた壁際の記入台に向かい、何か書き込み、
振り向きながら用紙を二つ折りにして、
おごそかにそれを投票箱に入れた。

 そこに何が書かれているのか、
それは、この世で母一人しか知らない。

 ああ、そのことは、なんて崇高な事なのだろう!

 その母の手元を、数人の係員がじっと見ていて、
何だか、母が、とてもエライ人に思えてきたものだった。

  
 自分がやっと選挙権を持つ年になり、
「初めての選挙だよ!」
と言う時、
中学の時の社会の先生が、言っていたことを思い出した。

 「お前たち、大人になって、選挙権を持てた時、
必ず投票しなければいけないよ。
 興味ないや、なんて、棄権したら、
今まで歴史や公民で勉強してきてわかるように、
たくさんの人たちの血と汗と涙によって勝ち取った
【選挙権】という宝物を、どぶに捨てるようなものだからな。
 大人になると、【権利】と【義務】とがセットで与えられる。
 そのどちらも守ってこその大人だからな。
 自分の権利を主張する前に自分の義務を守り、
義務をまっとうすることで権利が得られる。
このことを、一生忘れないで、しっかりと大人になって欲しい」

 母と、先生の影響で、
子供のころから私は、
【選挙】を「物凄く大人っぽいもの」として認識していた。

 だから、いつも、誰にも何も相談しないで、
必ず、各政党、各候補者の理念と政策案をよく調べ、
自分ひとりの考えで選んでいた。

 ところが、大人になると、
選挙権と共に、
「しがらみ」とか「つきあい」とか、そういうものも生まれてくる。

 普段、ろくに口も利かないくせに、
選挙前だけ「ちょっとお茶しない?」と誘ってきて、
ある政党に投票するようにお願いしてくる知人もいるし、
つきあいの無い親戚から突然電話が掛ってきて、
「○○党にあなただけでなく、ご主人も、ご両親にも投票するように言って」
などと言ってくるのだ。

 そういう時、二十歳になったばかりだった私は、
「そういうお願いは聞けません。自分の考えで入れます」
と、突っぱねた。

 しかし、もっと大人になって、
あまりにもそういう人が多いので、非常にイライラしてきて、
母にそれを言うと、
「そういう時は、
『オッケー、ばっちり投票しておくね!』
とか言っておいて、
実際は、自分の入れたい人に入れればいいんだよ。
 ああいう
所属団体から票のノルマを課されているような人たちに、
振り回される必要は、ないのよ。
自分の意見で投票しなさい」
と母は言った。

 さすがだ。

 もちろん、今でも母と私は、
お互いにどこに投票するかを知らない。
 話し合いもしない。

 夫の田舎では、
「出身高校の誰それさんが立候補するから、みんな必ず入れて」
という通達は、当然のようにいつもあるらしく、
夫の弟は、常々「ああ、嫌だ!」と言っていた。
 ところが、義父や義母は、特に深く考えず、
「友だちの○○さんに頼まれたんやから入れてあげるわ」
などと言っていた。

 先日の選挙でも、
夫は、私に対して、
「どこに入れようかと思って」
と相談してきたので、私は、それには答えず、
「子育てしやすくしてくれるところに入れるけど」 
と言った。

 夫は、おそらく、考えるのが面倒なのだろう。
 いつものように私の考えを聞いて自分もそれに乗ろうとしている。
 もうすぐ五十路になろうという夫でさえもそうなのだ。

 世の中、どれだけ考えるのがおっくうな人が多いだろう。

 ろくに各政党の各政策やマニフェストも調べずに、
雰囲気で決めてしまう人が多いことか。

 それで、ノリでタレント議員などに入れてしまうのだ。

 そういう人は、
政治家や世知辛い世の中に文句を言う資格など無いのではないか?

 自分の考えで投票したら、
結果も自分でしっかり受け入れなければならない。

 何の考えも無く、低い意識で投票したり、
面倒だからと棄権するのなら、
誰がどんな悪政をしようが、社会が崩壊しようが、
何も言えた義理がないじゃないか。


 さて、このたび、私も、子供たちに
「お母さん、どこに入れるの?」
と聞かれた。

 そら来た。

 私は、「教えない」と答えた。

 「たとえば、お母さんがここで、『○○党だよ』と答えたら、
あんたたち、将来、何となく○○党に入れちゃうでしょう?
それじゃダメなんだよ。
 自分で調べて、自分で考えて、どうしたいか選ぶ。
これは、とっても大事なことなんだから。
 人に『参考までに』って意見を聞いたら、
『じゃあ、僕もそこでいいや』って言って、
ろくに考えずに、何となく大事な選択をしちゃう。
 それじゃあ、自分に与えられた権利を
行使していることにはならないんだ。
 自分で考えて、自分で選択しなきゃ、
自分の人生を生きていることにならないんじゃないの?」

・・・・・・と、言った。

 子供たちは、
「おお〜〜〜!」
と感嘆していたが、
実は、これこそが、、
母の影響、母の受け売りなのだった。

 
 ところで、私は、
「一貫してこの政党」という風には、決めていない。

 そのたび、新聞や評論や討論会などを見て勉強して決める。

 「今回は、失敗するかもしれないが、この政党にまかせてみよう」
とか、
「一番ブレがなく、福祉に力を入れているココにしよう」
とか、
「この政策は、なかなかいいアイディアだから、応援してみよう」
とか、考える。

 金権政治がダメ、とか、
消費税上げないところがいい、とか、
自分にとって有利な党がいい、とか、
そういうことは、一切思わない。

 どこでもいいのだ。

 ちゃんと国民のために真面目に政治をしてくれるところなら。

 選挙の時だけニコニコして、
鉢巻きして、旗つけた自転車こいだり、
頼んでもいないのに握手してきたり、
「マジでマジで一生懸命仕事してます!!!」
というテイでいるくせに、
当選した途端にふんぞり返って、
地べたに這いずって生きている庶民なんぞには目もくれず、
「おエライ先生」になってしまい、
全然仕事をしなくなってしまうようなヤカラに言いたい。

 お前らの仕事は、政治だろ。

 仕事しろよ。政治しろ。

 選挙の時だけ「仕事仕事」してんじゃねえぞ!

 
 そんなわけで、今回も選挙の結果が出たが、
はたして、どうなることか。

 弟は、
「あの政治家、顔が嫌いだから嫌い」
とか言っていたなあ。 
 私もそいつが嫌いだから、わからなくもないが、
弟よ、もうお前も四十過ぎたんだから、
ビジュアルで選ぶの、やめようね。

 まあ、人間、長く生きていると、表情が顔に焼きついてくるものだし、
「嫌な顔(表情)」をしている男は、たぶん嫌なヤツなんだろうが、
でも顔だけで選ぶのは、やめようじゃないか。

 かく言う私も、時々、心の底から、

「あ〜〜〜、一度でいいから、
『恵まれた家庭で育っちゃったもので、金持ちですみません』
とか、言ってみたい〜〜〜!!!」

とか、吠えてるけどさ。



  (了)


 (話の駄菓子屋)2010.7.13.あかじそ作