「 日曜の絶叫 」



 毎日配達しているエリアの中に、公立の小学校がある。
 平日、授業のある日には、
児童の安全のために校門が閉まっているので、
いちいち自転車を降りて
通用門を開けてから出入りしなければいけないのだが、
土日は、校門が全開になっていて、
自転車を走らせたまま滑るように校門の中に入り、
職員玄関横のポストに投函することができる。

 土曜日は、いつも、
少年野球や少年サッカーチームなど、
地域のスポーツクラブが校庭で練習している。
 校門の内側には、
少年の親たちの車(大型のワゴン車が多い)が
雑然かつ所狭しと並んでいて、
ポストにたどり着くまでに多少苦労する。

 たくさんのファミリー車が、それぞれ自分本位な停め方をされており、
「まったく近頃の若い親は・・・・・・」
と、年寄りくさい独り言が自然と漏れてしまうほどだ。

 それに対し、日曜日は、まるで違う。
 おびただしい数の自転車が隅の方に整然と並べられており、
ポストに向かう道すがら、すれ違う年配の人たちも
「お疲れ様です」と立ち止まって丁寧に挨拶してくれ、
土曜日とは、流れている空気がまるで違うのだ。

 そして、何よりすごいのは、
校門のすぐ横にある体育館から、
2、30人くらいの老人たちの凄まじい絶叫が聞こえてくるところだ。

 その野太く、凄まじく、大音量の、複数の雄たけびは、
日曜の学校にいつまでもいつまでも響いており、
まるで、体育館の中だけ戦国時代のいくさ中なのではないか、
と思われるほどだ。
 それくらい、命がけの、生きるか死ぬかの気迫に満ちた叫びが
いっぱい聞こえてくるのだ。

 最初にこの叫びを聞いた時、
「怖! 何この声!」
と、おそれおののいたが、
後にそれが【おじいさんたちの剣道の集まり】だと知り、
「じいさんたち〜、尋常じゃない気合いだな!」
と、心底関心してしまった。

 とにかく、もう、すんごいのだ。

 太くて、恐ろしくでかい声×30人。
 ヒクほどの気迫×30人。
 「ううお〜〜〜!」「うわ〜〜〜!」「だあ〜〜〜!」×30人。

 音声だけで言ったら、本当に、戦国時代だ。
 叫び声全てに、命がけで殿を守る、という魂がガッツリ入っているのだ。

 おそらく、もう、とっくにリタイアした爺さんばかりだろう。
 普段は、静かに庭仕事などをしているのだろうが、
毎週日曜日になるとケダモノのような雄たけびをあげ、
一体どんな敵と闘っているのだろうか?

 彼らの人生に何があったのか?
 それぞれが長い就業生活で得た経験と悟りとは、何なのか?
 家庭での夫、そして父親としての生きざまは、いかに?

 人生を終える間際の人間の、そのクソ力と魂の叫びは、
ある意味、どんな芸術家の作品よりも迫力に満ち、
どんなミュージシャンの歌声よりも胸に迫る声なのだ。

 ひとつひとつの叫びが、確実に、
何か、物凄く濃くて深いものを表現している。

 彼らの人生そのものを表していると言ってもいい。

 「嗚呼、生きている!
 俺は、今、確かに生きているのだ!」

 という、目から血が出るほどの猛烈なテンションが、
叫びの中に、嫌というほど込められている。

 「俺は生きている!!!」
という魂の雄たけびを、
約30人のおじいさんたちが、
延々とフルボリュームで叫ぶ。

 子供のいない日曜の小学校で。


 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「ううお〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
 「どわあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」


 って。
 やっぱり怖いわぁ・・・・・・私・・・・・・



  (了)


(話の駄菓子屋)2010.10.5.あかじそ作