「 自尊心について 」 |
「ご自愛ください」と言われた さて、自分を愛せ、と言われたけれど、 愛するって何をどうすりゃいいんだろう? 肉親が傷ついたり死んだりしたら嫌だから、 一生懸命世話したり心配したりするけれど、 それが愛するということなのか? 相手があればそれはできるけれど、 自分にそれをしろと言われると、 じゃあ、どうすりゃいいのかわからない 自分の好きなように生きればいいのか? でも、そのために誰かが嫌な思いをするのは 何だか気持ちが悪いし、 好き勝手やっている自分を、私はとても愛せない どちらかというと、 無理して、一生懸命根つめて、 楽しみを先延ばしにしている方が 気が楽だったりする 自分をさげすんでいることの方が居心地がよくなっている 自分ひとりだから、お昼は簡単でいいや 自分のことは、後回しでいい みんなが楽しければ、自分は我慢すればいいんだ そうやって暮らしているうちに 人生が全然楽しくなくなっちゃった 自分なんてどうでもいいよ、とうそぶいて、 自分を蔑む(さげすむ)ことを「自虐」というのだ 「自虐の心」の裏返しは、「自尊心」 自分を尊敬し、自分を尊重し、 自分を大切に思う心 もしかして人はみな、 同じくらいの分量の「自分への気持ち」を持っていて、 その内訳として、 ある者は、「自虐」:「自尊」=5:5 またある者は、「自虐」:「自尊」=3:7 そしてまたある者は、「自虐」:「自尊」=8:2 とかだったりして、 それぞれがそういう内訳で 自分とつきあっていたりするのかもしれない そうだとしたら私は、きっと 「自虐」:「自尊」=9:1 人に何か言われて バカみたいに過剰に傷つくのは、 決してプライドが高いからではなく、 むしろプライドが低いからだ 確固たるプライド=「自分への誇り」を持っていれば、 誰に何を言われようと 「誇り」が自分を守り、びくともしないはずだ 自虐は、いつも、自分に向けてナイフを当てている わけも無く誰かがすれ違いざまに軽くぶつかっただけで、 ナイフは自分の胸に深く突き刺さり、 大怪我をする 刺しているのは他の誰でもなく、 まぎれも無く自分自身だ 自分を尊敬なんてできなくても 自分を尊重する位ならできるかもしれない 自分を尊重してみよう 自分を大事にするのだ 例えば、 生まれたてのアカンボのように 遠くから訪ねてくれた古い友人のように 今までの「自分」による「自分イジメ」を深く反省し、 「今までごめんね」と自分に言えば、 すぐに「いいよ」と許してくれるだろう 自分を大切に思えば、自分の家族も大切に思えてくる 自分を貴重な存在だと思えば、自分の仕事もかけがえの無いものと思える 自分のすべてを許せば、相手のすべても許せてしまう 何もかもめんどくさいのは、 自分の生活を愛していないから 自分の生活を愛していないのは、 自分を愛していないから 自分を愛していないのは、 自分が、この世にたったひとりきりの大事な大事なひとだということに 気付いていないから 自尊心を持とう 自分を抱きしめるのだ そうすればきっと、同じ場所にいても違う世界に住める (了) |
(話の駄菓子屋)2010.10.12.あかじそ作 |