「 心にいつも良性腫瘍 」


 夏の初めごろから、
十数年ぶりにひどい便秘になっていた。
 猛暑の夏で、クーラーの中に長くいたため、
体の中が冷えきってしまったからだろう。

 それにしても、
毎朝のお腹の張りは、結構重い鈍痛を伴っている。

 ただの便秘じゃないと思う。
 そのお腹の張りは、
便秘のそれとは微妙に異なり、どちらかというと、
生理痛や軽い陣痛に似ているような気がするのだ。

 母に以前、
「あんた、たくさん子供産んでるから、子宮の病気、気をつけなさいよ」
と言われたことがあった。

 2年前くらいの子宮がん検診では、
「まったく異常なし。というか、もう何人か産めるくらい状態がいい」
と医者に言われていたが、
あれから2年の間に、三男の学校でのトラブルなどが続き、
今まで経験したことの無い類のストレスにさいなまされてきた。

 だから、ストレスから、
急に何かよからぬ病気にかかっていても
何ら不思議はないのだ。


 お腹の鈍痛は日に日に強まるような気がする。
 「大丈夫かな大丈夫かな」
と、うだうだ悩んでいてもラチがあかないので、
長女を産んだ、例の高級ホテルのような産婦人科に診てもらうことにした。

 今まで会ったことの無いようなやさしいお医者さん。
 私より少し年上だろうか。
いつもニコニコしていて、
妊婦健診から、長女出産、入院退院まで、
ずっと優しくて丁寧な、信頼のおける先生だ。

 うちの子たちがみんなミルクアレルギーだったことを事前に知らせておいたのに、
夜勤の看護師さんが勝手に生まれたばかりの長女にミルクを飲ませてしまい、
アナフィラキシーを起こして保育器送りになったことや、
そのためにいまだにミルクアレルギーに苦しんでいることなど、
先生の人柄を思うと、全然責める気になれないのだった。

 「そうだ、あの先生なら、よく診てくれるだろう」

 そう思い、予約の電話をしたら、
2週間先まで予約でいっぱいということだった。

 やはり人気がある病院だから、
急には診てもらえない。
 本当は、今すぐに診てもらい、
この何とも言えない不安を晴らしたいのだが、
仕方ない。

 先生を信じて待とう。


 お腹の張りと、鈍痛と、重症の便秘に苦しみながら、
何とかかんとか2週間待った。

 「何だかんだ言って、結局今回も健康に決まってる」
という確信と、
「いや、今回のこの感じは、何か違う。今まで健康だっただけに、逆にヤバいかも」
という不安がないまぜになり、
「早く先生助けてください!」
という気持ちだった。

 いよいよその病院に行き、
診察の順番が回ってきたので、
診察室に入ると、
めっきり白髪が増え、少し太った先生が、
変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。

 「やあ! 久しぶりだね! お子さんみんな元気?」
と、優しく声を掛けてくれた。

 「はい。おかげさまで」
と頭を下げると、
「今日はどうしたの?」
と、ふんわりと聞いてきた。

 「生理でない時にも、ずっと生理痛みたいな痛みが続くので、診ていただこうと思いまして」
と言うと、
最終月経の日付や不正出血の有無を聞かれた。

 痛みや便秘以外の症状が無いけれど、
子宮がんの検査もして欲しい旨を告げると、
「うん、そうだね。じゃあ、内診して超音波でも診てみようね」
と先生が言うので、いつものように内診台に上がった。

 ところで、内診のある日は、いつも通院直前にシャワーを浴びて、
股間をよく洗って行くのだが、
そういう時に限って、緊張しているのか、
シャワーの後にも、おしっこやうんちがしたくなる。

 わが家のトイレには、ウォシュレットが付いていないので、
風呂場でせっかく洗ってもまた排便排尿したら、
もう一回、ズボンもパンツも靴下も脱いで、
下半身だけシャワーを浴び直すので、
もう、何度も何度も着たり脱いだりエンドレスで、大変なのだ。

 そのうち、
「もうキリが無いからいいや!」
と踏ん切りを付けで病院に行くと、
毎回検査のために、トイレでコップに尿を採るので、
「あ、そっか、結局直前におしっこするんだった」
と、毎回気付くのだった。

 病院のトイレには、ウォシュレットが付いているため、
「何だ、ここで最終的に洗えるじゃねえか!」
と、大きくため息をつくわけだ。
 毎回!

 そんなわけで、今日もそのことを忘れて、
何度もお股を洗って病院に来たので、先生も、
「この人、いつもお股のふやけたご婦人だなあ」
と思っているかもしれない。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 ともかく、今、私は、子宮がんにかかっているんじゃないか、
心配で仕方ないのだ。

 たぶん「大丈夫」と言われるに決まってると思うが、
でも、ちゃんとお医者さんからそのセリフを聞いて帰り、
安心した毎日を過ごしたいではないか。

 さて、内診台で先生に言われた第一声は、
「あ、子宮筋腫できてる」
だった。

 「え!」

 絶句する私に、先生は、穏やかな声で、
「全然大丈夫だよ。あるかないかわからないくらいの5ミリくらいだから」
と言う。

 「悪いものではないですか?」
と聞くと、
「だいじょぶだいじょぶ。年に一回検査していれば大丈夫だよ」
と、先生は言う。

 大丈夫とは言われたものの、
良性とはいえ、腫瘍が出来ていたことは、ショックで、
何だか気味が悪い。

 2週間後にがん検査の結果が出るので、
その頃にまた予約を入れて帰った。

 「みんながストレス掛けるから、腫瘍できてたよ〜!」
と子供たちに脅してやると、
「ええ!!!」
と一瞬凍りついていたが、
「でも、がん化しないように検査してれば大丈夫だってさ」
と言うと、
「な〜んだ、あ〜よかった」
と言い、それきり、一切心配してくれなかった。

 まったく・・・・・・冷たいぞ・・・・・・

 夫に言うと、更に冷たく、反応は、
「はあ」
だけだった。

 しどい!

 母に言うと、
「ああ、子宮筋腫なら大丈夫よ。結構みんな持ってるのよ」
と、まるで水虫みたいに言う。

 私自身も、そんなに深刻にならなかったが、
毎日のお腹の鈍痛は、相変わらずずっと続くわけで、
何だか、しっくりしないのだった。

 何の気なしに、インターネットで子宮筋腫を調べると、
女性の4人に1人とか、5人に1人とかが持っていて、
軽症なら日常に問題は無い、と書いてあった。
 ただ、気になったのは、
「子宮筋腫と間違われるものに【肉腫】という悪性の腫瘍があり、
それが誤診されたままになってしまうと、手遅れとなり、
手術しても亡くなる可能性が極めて高い」
と書いてあることだった。

 また、
「子宮筋腫と診断されたら、まず、【肉腫】でないことを必ず確認しましょう」
と書いてあったので、
2週間後、検査の結果が出た日、
私は、その通り、聞いてみることにした。

 2週間後、
「検査の結果、がんでは無かったですよ。
今後、検査は、2年に一回とか、年に一回していれば大丈夫です」
と、優しく言う先生に、私は、【肉腫】でないかどうか、聞いた。 
 
 ただ、先生が気を悪くしてはいけないと思い、
その聞き方に気を使った。

 「ある本に書いてあったんですけど、
【子宮筋腫】と診断されたら、
【肉腫】でないかどうか確認しましょう、と書いてあったんですが・・・・・・」
と恐る恐る言うと、
今までにこやかだった先生の表情が、急に曇った。

 「何その本!」

 完全に怒っていた。
 自分の診察を疑われたと思ったのか、
今まで見たことも無いような不機嫌な顔をした。

 私は、「いつもニコニコ」「自分を受け入れてくれている」、
そういう貴重な、信じられる人を、
いきなり敵に回してしまったようで、非常に焦ってしまい、
「あ、全然だいじょぶですよね、はは、はは」
と、目をそらした。

 先生も、
「何言ってんの、全然大丈夫でしょうが」
と言った。

 私は完全にテンパッてしまい、
その後一切目も上げられず、下を向いたまま、
挨拶もそこそこに、逃げるように診察室を出た。

 何なんだ、この衝撃。

 重病じゃない、と言われたのに、
「死ね」と言われたみたいにショックだった。

 「生まれてくるんじゃねえ」
と言われたみたいに、目の前が真っ暗になった。

 脳裏には、なぜか、
子供のころ、
父に頬をぶん殴られた感覚や
頭を踏みつけられていた感覚がよみがえった。

 「死ね死ね死ね死ね」
と毎日父に言われていた小学生の時の気持ちや、
「生意気なんだよ!」
と、鼻血が出るほど母に頭を殴られたときの痛みが、
次々とよみがえってきた。

 何、なになに?
 この、止まらない虐待のフィードバックは!

 信頼しきっていた医者から、突然突き放され、
子供のころ、
両親に決して歓迎されていなかった自分の存在を思い出した。

 そして、次に、
親友を次々とふたり、病気で失ったことを思い出し、
また、
三男の学校でのトラブルがきっかけで、
地域での知り合いの多くから無視されるようになったこと、
そういう人間関係のヘビーな経験が、
これでもかこれでもか、と一気に私の神経に突き刺さってきた。

 私は、産婦人科の会計を待つ間、
身の置き所も無く、部屋の隅に突っ立って、
小さく震えていた。


 ハッキリ言って、今、私は、人間不信なのだ。

 子供たちの運動会や、参観日など、
いままでずっと皆勤賞だった学校行事に、
今年は、一切出席できないでいる。

 人が怖いのだ。

 安心して心を許して付き合ってきた人たちが、
心無い噂話がきっかけで、
私の子供や、親である私を無視し、陰口を言う。

 いままでずっと、明るく、気丈にふるまってきたが、
ここへきて、もう、気力がもたなくなっている。

 自分の精神を防衛するために、
仕事に没頭し、
子供がらみの人間関係を一切捨てることにした。

 それでも時々、
仲のよかった人がスーパーなどで気持ちよく声を掛けてくれるのだが、
「あ、こんにちは」
と固い対応になってしまう。

 対人関係のスイッチが、オフになっているため、
急にフレンドリーモードに切り替えられないのだ。

 子供時代、
自分の存在を受け入れてもらえなかった、
ほんの短い時期の経験が、
今も私を苦しめ続けているのか?

 しつこいぞ!

 「お前の存在なんか誰が認めるか」
と、世の中みんなが思っているような気がする。


 今はもう、だいぶ人間が丸くなり、
娘である私の家族の生活を応援し、
私や、私の子供たちを愛してくれる両親の、
若い頃の失敗が、
もうおばちゃんになった私の、
私の心に、
まだ鈍痛を与え続けている。


 まるで、
「今のところ害は無いが、確かに存在する」 
「ストレスや環境によっては悪性化する」
という、良性の腫瘍みたいに。

 子宮にも、心にも、
良性腫瘍ができている。

 良性だから、手術でズバッ、と取らないで、
様子をみながら、
一生、自分の中に飼っておくんだってさ。

 死にゃあしないが、しくしくうずく、
嫌なヤツだよ、良性腫瘍!


 心にいつも良性腫瘍、か。


 は〜あ!
 いっそ、取りたい! 手術したい!



 【追記】

 寝る前に
「ちょっとかなり私だいぶしんどい」
と夫に言ったら、
夫は、見ていたテレビに背を向け、
私に向き直って話を聞いてくれた。

 生まれてこの方、
いつも全開で頑張っているのに、
ここ数年、人間不信になるようなことばかり続いて、
子供の頃は両親に小突きまわされるし、
いまだにまだショック受けてるし、
もう、私、ちょっとしんどいわ、と、
泣くのを我慢してへらへら話す私の
背中をさすってくれた。

 背は低い、腹は出てる、甲斐性は無い。

 イケメンで好青年が好きなはずなのに、
なんでコイツと結婚したのか我ながら全然わからないけれど、
確かに言えるのは、
私にとって、この男は、
子供の頃に欠けてしまった心の一片を、
不器用に埋めてくれる水絆創膏のような人間だということだ。

 母がよく言っていた。

 「昔はね、冬場、水仕事でパクッと切れちゃって、
なかなかふさがらない指の傷には、
セメダインみたいな水絆創膏を塗っていたんだよ。
 あれは、傷口に入り込んで、乾いてさ、
水が沁みないようになるんだけど、
剥がすときは痛くてね。
 また生の傷がむき出しになっちゃってさ」


 「使えないんだよ、おめーはよ!」
と、しょっちゅう夫に毒づいているけれど、
いざ夫がいなくなってしまったら、
きっと私の傷は、
むき出しになってしまうのだろう。

 消毒もできない。
 細菌を殺しもしないし、
ましてや、腫瘍を切除したりなんか全然できない。
 ただ、傷口に張りついている。
 そういう人。

 良性腫瘍には、それがちょうどいいんだろう。



 (了)


(話しの駄菓子屋)2010.10.26.あかじそ作