「 じじい力発電 」



 幼稚園児の長女とスーパーで買い物をしていて、
一緒に買い物に来ていた私の父が、向こうの売り場から近寄ってきた時、
長女が思わず、
「じい!」
と大声で叫んだ。

 すると、スーパーじゅうの人間がこちらを振り返った。

 「えっ?!」

 と思い、弱い視力を振り絞って見回してみると、
見渡す限り、じいさんがウジャウジャいるではないか。

 ワンフロア、じじいだらけと言っても過言ではない。

 つまり、長女が「じい!」と叫んだのを聞いて、
孫のいるじいさんは、みんな自分が呼ばれたと思って、
「なんだい、可愛い我が孫よ!」
と、すごい勢いのマジ顔で振り向くのである。

 そう言えば、今高3の長男が2歳くらいの時、
やはりスーパーで
「お母さん!」
と大きな声で私を呼んだ時、
20代〜40代くらいまでの女の人十数人が、
一斉に長男に振り向いたことがあったっけ。

 今、昼間のスーパーは、じいさんだらけだ。
 退職後、じいさんは、ひまをもてあまし、
うろうろうろうろばあさんの生活圏を侵略し、
そんなじいさんをもてあましたばあさんは、
「お父さん、買い物頼めるかしら?」
とか
「じじい、てめ〜、暇なら働け、働かないなら買い物くらい行きやがれ」
とか言って、
じいさんたちをスーパーに送り出している。

 そんなわけで、スーパーで「じい!」と呼ぶと、
じいさんが大勢振り向く。

 この、暇を持て余したじいさんたちを、
何とか社会のために活かせないものだろうか?

 彼らは、年齢こそ重ねているが、
まだまだ気力も体力も好奇心もエロ根性も
モリモリ残っている。

 無料で卵プレゼント、とか、有機野菜無料配布、
などというチラシが入った日にゃあ、
もう、その店周辺を、どこから湧いてきたのか、
自転車に乗ったじいさんばあさんが
アリンコみたいにうじゃうじゃ取り囲んでいるのだ。

 このエナジーを家事のためだけに消費させておくのは、
非常にもったいないと思うのだ。

 あの無数に街に湧いて出るじいさんたちを、
死ぬまで退屈させずに、やる気まんまんに働かせ、
なおかつ社会に役立たせることとは?!

 人手不足のところは無いか?

 若い者の未熟な仕事よりも、
年配者の経験と責任感の方が役に立つような部署とは?

 実際、小学校の登下校の時に、児童の安全のため、
通学路に立ってくれている地域のおじいさんたちもいるし、
自転車に【○○小 安全パトロール】というパネルを付けて
地域を巡回してくれている年配の人もいる。

 しかし、それだけでなく、
「社会のためとか、ボランティアとか、
そんなのちゃんちゃらおかしいや、
俺は自由人だ、自分のためにしか生きないぜ」
という(私の父のような)不良じじいも、
ただ生きてるだけで、知らず知らずのうちに
社会に役立ってしまっている、
という仕組みを作れないだろうか?
 
 例えば、多動で落ち着きの無いじいさんたちに、
「新開発の携帯電話の試験運転に協力していただけませんか?」
「お礼に魚沼産のこしひかり5キロを贈呈させていただきます」
などと言い、
超軽量の発電機を携帯させ、
人力でガンガン発電させるのはどうか?

 あるいは、
じいさんを買いものに派遣しておきながら、
自分は、くわえタバコでパチンコに興じるばあさんの、
そのタバコの火力を利用して微々たる火力発電をするとか、
綾小路きみまろを聞いて発生する
ばあさんたちの爆笑の大音量を電気に変換し、
ペースメーカーを充電させるとか。

 とにかく、元気のありあまった中高年を、
面白かしく泳がせながら、
いやがおうにも社会に役立たせてしまう、
しかも、本人、全然働いている自覚無し、
という画期的なアイディアは無いだろうか?

 気力も体力も、パッションにも欠ける、
いまどきの草食系男子を補ってまだあり余るあの中高年パワー、
「全然まだまだ当分死にそうにもないパワー」を、
社会的役割に思いっきり使ってもらって、
完全燃焼で生ききってもらおうじゃないか!!!

 どうでしょう、お客さん!!!



 (了)

(しその草いきれ)2010.11.9.あかじそ作