「 余命 」 |
病気で「余命○年」とか「余命○か月」とか宣告される人がいる。 もし、今、自分が突然余命を言い渡されたらどうなるんだろう。 きっと取り乱し、荒れ狂い、うつ状態になってしまい、 ボロボロの精神状態のまま逝ってしまうのではないか。 でも待てよ。 病気でなくても、 生まれた以上、誰にでも余命というものはあるじゃないか。 たとえば、平均寿命が大体80歳くらいだとして、 今、44歳だから、健康に過ごしたとしても、 余命は、36年だ。 36年と言ったら、 10年が3回とちょっと。 今までの感覚で言うと、 10年なんて、あっという間だ。 あっという間が3回で、 普通に、時間切れになって死ぬ。 誰も助けてくれない。 だんだん体の具合があちこち悪くなり、 苦しいよぉ、つらいよぉ、お願いです何とかしてください、 と、泣いて懇願したところで、 「年だから当たり前」 「この年まで生きれば大往生」 とか言われて、 まったく普通のこととして自分の死が待たれるのだ。 そう考えれば、 我々だって、「余命○年」と宣告されているようなものなのだ。 病気の人を気の毒がってはいられない。 余命わずかなことには、かわりないのだから。 じゃあ、どうすりゃあいいのか? 「どうせ死んじゃうんだから、もうどうでもいいよ!」 と、やけくそになって、自暴自棄になってしまうのか? これが、まさに、今の母の姿そのものだ。 今までは、いつも若くて元気で、はつらつとしていて、 友だちとツアーを企画しては、しょっちゅう旅行に行ったり、 食べ歩きをしたり、宴会三昧で、 家にあまりいない、弾けたカーチャンだった。 しかし、今はどうだ。 父が定年退職して、家に一日中いるようになり、 朝から晩までぐじぐじぐじぐじ嫌みや皮肉を母に浴びせ続けるものだから、 すっかり「夫在宅ストレス症候群」になってしまった。 その上、 外出先で、高血圧のために具合が悪くなってから、 外に出るのが怖くなり、 家からほとんど出ない、引きこもりになってしまったのだ。 一時は、健康のためにやめようとしたタバコも、 10代からヘビースモーカーだった母には、 禁煙そのものがストレスになり、血圧が上がるものだから、 禁煙することもやめてしまった。 逆に、喫煙量が増えたかもしれない。 ひとりでゆっくりくつろぎたいものだから、 父が眠った深夜を楽しむようになり、 夜な夜な酒を飲んでは朝方までテレビを見ている。 結果、毎日、午前中は寝ているのだ。 まあ、今まで頑張って子供を育ててきたし、 子供もみんな独立したし、 もう、大変な仕事もしなくていいのだから、 好きに隠居生活をすればいいのだが、 その姿が、とてもじゃないけれど、 「楽しい隠居生活」には見えないのだ。 痛々しい、自暴自棄の姿にしか見えない。 化粧もしなくなり、 人と会いたがらなくなり、 洋服にも構わなくなってきた。 あんなに社交的でおしゃれだった母が、 まるで、死ぬまでの時間をもてあましているかのようだ。 母は、若い頃、運動不足のおばあちゃん(母の母)に、 「ちゃんと運動しないからダメなのよ。家に引きこもってないで、外を歩き回りなさいよ」 と言っていたのに、 自分は、おばあちゃんの70歳の頃よりも引きこもっている。 父や私が、心配して、 早寝早起きした方がいいよ、とか、 タバコやお酒を控えたら、とか、言えば言うほど、 「わかってるわよ!」と、イライラして話を聞かない。 母は、余命が怖いのではないか? 今年70歳になる母は、 若い頃、それはもう、美人で元気な不良娘だったから、 自分がまさか「おばあさん」になるなんて考えたこともなく、 気が付いたら、「高血圧」だし、「入れ歯」だし、 (はたから見たら50代にしか見えないけど) 完全に「おばあさん」になってしまったことに絶望しているのではないか? 元気の無い自分に、自信を失っているのでは・・・・・・ 母とそっくりだったおじいちゃん(母の父)が、 90歳過ぎまで元気だったから、 母もあと20年は生きると思うが、 それでも、あと20年しか生きられないんだ、という短さが、 怖いのではないか? ああ、お母ちゃん。 あなたの余命は20年という短いものかもしれないけれど、 私だって、あと30年やそこいらですよ。 下手したら、私の方が先逝っちゃうかもしれません。 でも、だからこそ、 怖がらないで、残りの命を面白おかしく生きていこうよ。 怖がってたり、引っ込み思案している暇ないんだもん。 時間が無いんだ! 死ぬ前に、ひと花もふた花も咲かせようよ。 今日も生きてた。 いや、数分後には、天変地異や事故や病気で、 急死するかもしれないよ。 でも、今は生きてる。 生きてる今を、笑って生きよう! 笑っても泣いても人生。 いじけてもねじれても人生だよ。 でも、やっぱり最後まで、おちゃらけて、笑っていようよ。 余命30年が、余命20年をなぐさめる、の図、か。 さっき、配達の仕事中、 80歳くらいのお婆さんが、 85歳くらいのお婆さんの肩を支えて散歩しているのを見たよ。 余命数年の【ベテランの女の子】たちが、 ケラケラ笑いながら、よたよた歩いてたよ。 ものっすごく、のろのろとね。 その横を、余命60年の男の子が、 自転車で駆け抜けて行った。 そして、交差点では、余命15年のおじさんが、 「どうぞ」と言って、交通整理していたんだ。 みんな、生きている。 そして、死ぬ。 でもこれを怖がっていたら、何もできないんだ。 いや、怖いんだ、本当に。 でも、怖いけど、生きなくちゃ。 生きるんだ、元気を振り絞って。 今日も頭の上にある、お日さまを見上げてね。 (了) |
(話の駄菓子屋)2011.2.1.あかじそ作 |