「 震災 2011.3.11.(金) 」


 明日は、長男の高校の卒業式。
 クローゼットの中から、明日着るスーツを出し、
スラックスにアイロンをかけていた。

 学校が早く終わった高1の次男が、
「お母さん、お腹空いたよ、何か無い?」
と言いながら、私に向かって歩いてきた。

 その時。

 揺れを感じた。

 ここ数日、何回か小さい地震があったので、
また地震か、くらいに思い、
それでも危ないので、一応アイロンの電源を切り、
コードをコンセントから抜いた途端、
グラッ、と大きな横揺れが来た。

 居間の棚の上に置いてある、おやつを入れておく3つの缶が、
激しくぶつかりあって、
カンカンカンカン、カンカンカンカン、と鳴った。

 「うわっ!」

 足元に敷いてあるマットをいきなり引き抜かれたように、
次男と私は、同じタイミングで、同じ方向に転んだ。

 「大きい! やばいよ、お母さん!」

 「外に出よう!」

 わが家は、築30年以上で、建築基準法の改正前の、
恐らく大地震には耐えられない強度の家だ。

 1秒ごとに、右、左、右、左、とゆっくりと、強く揺さぶられ、
柱も壁も、ミシミシいっているので、
私たちは、
「やばいやばいやばいやばい」と言いながら、
へっぴり腰で居間の吐き出し窓に向かい、
裸足で濡れ縁に出た。

 ガラス窓のサッシにつかまっていたのだが、
サッシ自体がレールの上をザッザッザッザッ、と揺れるので、
立っていても、転びそうになる。

 つかまっている家自体が大揺れなのだ。

 外を見ると、
家の前でこちらに向かって停まっている車数台が、
左右左右にパタパタパタパタと揺れ、
足並み揃えて足踏みをしているようだった。
 タイヤは、完全に左右左右と、順番に浮いていた。

 電柱は、メトロノームのように大きく揺れ、
電線は、なぜか大きく「ピヨピヨピヨピヨ」と鳴っている。

 玄関先に停めてある5台の自転車が、
真ん中に集まって拝むように倒れた。

 「何これ?! ちょっと、これ、何?!」

 次男は、あまりの現実離れした状態に、
ちょっと笑ってしまっている。

 「あ! ストーブ!」

 私が叫ぶと、次男は、
「大丈夫。ファンヒーター、自動消火した」
と、部屋の中を見て確認した。

 2階から、「ガターン」と、大きな物が落ちる音がした。


 それにしても、いつまでも揺れる。
 収まるどころか、どんどん左右左右の動きが大きくなり、
サッシを持った手を何度も激しく挟んでしまった。

 「凄いよ、これ! この前の新潟の時より酷い!」

 少し揺れが落ち着いてきたので、
部屋の中に戻ってみると、
居間が、本棚から落ちた書類や本や子供のおもちゃなどが散乱し、
床には、足の踏み場も無かった。

 「あ、テレビが!」

 買ったばかりの地デジ対応のビデオと、その上に置いたテレビが、
棚の上から、落ちそうになっている。

 「やばいやばいやばい」 
 急いでそれらを直すと、次男と二人で部屋の惨状を見渡し、
「写真でも撮っておくか」
と言って、携帯電話を手に取ると、
再び大きな揺れが来た。

 「外に出よう!」

 また二人で濡れ縁に出ると、
また先程のような揺れが続いた。

 そして収まったので、時計を見ると、
長女の幼稚園バスが帰ってくる時間だった。

 「ちょっとお母さんバス出迎えるから、あんたは、ここで待機してなさい」
と次男に言い、外に出ると、
近所の人たちがみんな外に出て、数人づつ集まって話していた。

 よく見ると、頭にカーラーを巻いたおばさん、
ももひきのおじいさん、半天を着たお兄さんなど、
みんな着の身着のままで飛び出してきたのがわかる。

 いつになってもバスは来ず、
しびれを切らしていると、
お隣の奥さんが外に出てきた。

 「大丈夫だった?」

 と、声を掛けると、
「2階で布団かぶって柱につかまってたのよ!」
と言う。
 聞けば、開いたガラスキャビネットの扉の上に、
40型のテレビが倒れて突き刺さり、
液晶画面が割れてしまったという。

 「あいたたたた・・・・・・・」

 このタイミングで貴重な情報源であるテレビを失ったのは痛い。

 「怖いよね・・・・・・柱細いし・・・・・・」

 お隣もわが家と同時に建てられた建売住宅なので、
築年数も、朽ち加減も同じくらいなのだった。

 バスは、まだまだ来なかった。

 道路が渋滞しているのだろうか?
 携帯にも緊急連絡のメールは、入って来ない。

 予定の時間から20分過ぎた。
 これは、何かあったか?

 もう一度携帯を開こうとした途端、
また大きな揺れが来た。

 次男が、濡れ縁からちょこんと顔を出したので、
私は、(こっち来な!)と手招きした。

 次男は、突っかけを履いて通りまで出てきた。
 また先程と同じ方向に、左右左右で大きく揺れた。

 近所の車が、ゆっくり転がって車庫から出てきた。

 軒先に吊るした、いくつかの花の鉢が、
窓をダンダンダンダン叩いていた。

 電線は、相変わらず「ピヨピヨピヨピヨ」鳴り、
またさっきのカーラーおばさん、ももひきじいさん、半天兄さんたちが飛び出てきた。


 しばらくすると、揺れが収まってきたので、
次男は、家の中に入った。

 30分以上待ち、さすがにおかしいな、と思ったので、
携帯で新着Eメール問い合わせをしてみると、
2件のメールが来ていた。

 やはり幼稚園からの緊急連絡だった。

 「園児たちは、全員無事です。
落ち着くまで、安全な場所で待機しているので、
様子を見てバスを発車するかどうか連絡します」

 というメールの後に、

 「余震が収まりそうにないので、
安全が確保できないため、全員お迎えをお願いいたします」

 というメールが来ていた。

 「やっぱり!」

 家に戻ると、直後に玄関チャイムが鳴った。

 中学生の三男が帰ってきた。
 6時間目の授業も部活も無しで、緊急帰宅になったらしい。

 ちょうど良かった。
 次男ひとりを家に置いて行くのは心配だったのだ。
 次男と三男の二人で留守番していてもらおう。
 留守中、また大きく揺れても、
男の子二人なら、何とか助け合って生き伸びてくれるだろう。

 急いで支度をし、車を出そうとしたが、
その前に、歩いて5分の実家に安否確認の電話をしてみることにした。

 携帯は、全然通じない。
 
 家電から掛けると、父が出た。

 「おう! ダイジョブか!」

 はしゃいでるのか、張り切っているのか、
暇人の父は、大興奮の様子だった。

 「こっちは大丈夫。そっちこそ大丈夫だった?」
 と聞くと、

 「あったりまえだろ!」
と、大声で答える。

 「これから幼稚園に車で迎えに行くの」
と言うと、
「まだ揺れててあぶねえぞ。俺が車出すから、乗れ!」
と言う。

 お言葉に甘えて父の車で幼稚園に向かうと、
国道に向かう道は、大渋滞だった。

 「何なの? この混み方は? 地震と関係あるのかな?」
と聞くと、
「そりゃ、そうだろ!」
と、やっぱり父は、張り切っている。

 ピンチになると張り切るタイプだ。

 そう言えば、うちの裏のおじさんも
「町内会の防災担当だからさ! これから町内見回って、備蓄品のチェックしに行くんだよ」
と、言って、【防災リーダー】と背中に書かれた蛍光色のベストを着て、
自転車で走り回っていた。

 5分も走れば着くはずの幼稚園に、20分近くかかって到着した。

 園舎では、私を見つけた複数の先生たちが、
パッと顔を明るくして、
「こっち! こっちこっちで〜す!」
と、手招きをした。
 
 ひとりの先生が、教室の中に走って行き、
娘の手を引いて出てきた。

 娘は、目を真っ赤に泣き腫らして、
ゆっくりと外に出てきた。

 「すみません、道路が渋滞しちゃって!」
と言うと、
「こちらこそ、緊急連絡がスムーズに送られなかったようで」
と先生も恐縮している。

 「凄い地震でしたね」
と私が言うと、若い女の先生は、
「私も怖かったんですけど、怖がったら子供たちが怯えてしまうと思って、
普通のふりして頑張りました〜。
 子供たち、みんな怖がって泣いてしまったんですけど、
無事お返しできて安心しました」
と言う。

 先生、子供たちを守ってくれて、ありがとう!


 幼稚園のお迎えに行っている間のわが家は潰れていないだろうか?
 家を出てから何度も車の中で揺れを感じたので、非常に心配だった。
 
 家に帰ると、
時刻は、4時半を回っていた。

 ん?

 小5の四男が、帰っていない。
 本当なら、4時には帰っているはずだ。

 もしかして、保護者が引きとりに行くことになったのか?

 そういう時には、保護者あてに緊急メールが来るはずなのだが、
以前から、なぜか小学校からのメールが私の携帯では受信できないので、
(おそらく私の携帯が、着信拒否してしまっている)
夫と長男の携帯で受信していた。

 小学校からのメールが来たのか、
夫に聞こうと思ったが、Cメールが届かない。
 電話も通じない。

 家電も「この番号は現在混みあっていて・・・・・・」というテープが流れるだけで、

まったくつながらない。

 時刻は5時になっていた。
 もう、待っていても仕方ない。

 私は、自転車にまたがり、小学校まで飛ばした。
 体育館から、親子連れが次々出て来るのを見つけ、
体育館に入ってみた。
 子供たちが50人程、体育座りして待っていた。

 目の悪い私は、薄暗い体育館の中で、四男を見つけられず、
きょろきょろしていると、
四男と、四男の担任の先生が、向こうから歩み寄ってきた。

 「あ、先生、遅くなってすみません!」
と言うと、
「いえいえ、電波の環境が悪くて、連絡網が途中で途切れてしまったんで、こちらこそすみません」
と先生も恐縮している。

 そうか・・・・・・

 緊急メールも、
本当に緊急の時は、やっぱり通じないのか。
 緊急の時は、やっぱり自分の足が頼りということなのか・・・・・・

 四男を引き取り、自転車を押して、
二人で並んで帰路に着いていると、
ふと、今日、長男と連絡が取れていないことに気がついた。

 歩きながら長男の携帯にメールしてみたり、
電話を掛けてみたりしたが、やはり一向に通じない。

 「おかしいなあ、今日は、卒業式の予行だけで、早く帰るはずなんだけど」

 家に帰り、ニュースを見ると、
長男の通学に使っている鉄道が、動いていないことがわかった。

 それから何度も電話をしたが、全然通じない。

 困ったねぇ。

 その時、私の携帯が鳴った。
 出ると、
「やった! やっと通じた! お母さん、今日はもう電車動かないんだって!
 これから歩いて帰るから、ちょっと時間かかるけど、心配しないでね」
と言う長男の声だった。

 長男の高校は、自転車と電車と徒歩で、合計1時間ほどかかるのだが、
歩いて歩けない距離ではない。

 同じ方向の友だちと一緒に国道沿いに歩くから、心配しないで、
と言うが、大丈夫だろうか?

 実際、長男が夕方帰ってくるまで3時間かかったが、
とりあえず、子供たち全員無事に帰宅できてよかった。

 夫の勤め先には、向こうから一回、家電に掛かってきた。

 「無事か?」
 「無事無事」
と、簡単に確認するにとどまったが、
それにしても、人と連絡が取れない、情報がわからない、ということが、
こんなにも不安なものなのか、と、痛感した。


 夜になり、家族全員揃って、
納戸から、みんなでわが家の備蓄品を居間に運び出した。

 数年前に、パンデミックに備えて揃えた、
数々の食料品や、防災用品の数々!

 カップ麺数箱、切りもち数箱、インスタントラーメン数箱、
2リットル入りの水5〜6箱、乾パンの大きい缶2缶、
アルミでできた薄手の防寒シート8枚。

 魚の缶詰大量。

 生理用品。マスク。薬一式。ティッシュ。ラップ。ビニール。軍手。懐中電灯。

 手回し発電のライト兼ランタン兼警告灯兼サイレン兼ラジオ兼携帯電話充電機。

 出るわ出るわ。

 備えあれば憂い無し、とは言うが、
こりゃあ、ずいぶん必死に集めたものだ。

 しかし、残念なのことに、
食品の賞味期限がことごとく2009年で切れていた。

 まあ、いい。

 賞味期限切れでもこの際食べよう。

 新しく買い揃えて、買ったものから、消費してしまおう。


 しかし、トイレットペーパーのストックが心細い。
 ずいぶんいっぱい備蓄していたのだが、
あまり長く持っていても、南京虫がわいてしまうのでは、と思い、
順次使ってしまっていたら、残りのストックがほんの少しになってしまった。


 トイレットペーパーを仕入れるために、
翌日、スーパーに行き、唖然とした。

 水をはじめとした、飲み物が全部売り切れだった。
 カップ麺も完売。

 トイレットペーパーも無し。

 別の店でも同じだった。

 今後、計画的に停電になるということで、
みんな慌ててインスタント物を買いあさっているのだ。


 仕事用の携帯には、会社からメールがたびたび届いた。

 【東北茨城千葉方面への集荷はできなくなっているので注意】
 【みんなで頑張って、必死に繋いだお届け物、大事にお客様にお届けしましょう】

 安否確認の電話も掛かってきた。

 運輸関係も、東北方面や関東の一部は、
やはり、混乱しているため、
今現在、店頭に届いている物はいいが、
今後、品薄になることも考えられる。

 現に、近所のコンビニは、商品がほとんど売れてしまって、
棚がガラガラになっていた。

 しかし、思うに、これも、パニックの一種で、
石油ショックの時のトイレットペーパーを取りあった記憶が、
不必要なパニックを生んでいるのでないか?

 被災地のスーパーで、
人々が必死に並んで少ない品物を買いまくっているのをテレビで見て、
あせって買いまくっているのではないか?

 何軒か回って、何とかトイレットペーパーを買えたが、
数日もすれば、きっといつも通りの品ぞろえとなるに違いない。

 人は、命の危険を感じると、急に備蓄し始めるのか。
 「原始時代を思い出し・・・・・・」と、
そこまでさかのぼりはしないだろうが、
本能的に、ヤバいと思うと必死に備蓄するのではないか。

 食料とトイレットペーパーをしこたま買いこんで、
家族7人が2週間は暮らせるだろう備蓄量をしみじみと眺め、
「戦争中みたいだな」
と思った。

 しかし、テレビでは、戦争中より酷いのではないか、
と思える、凄惨な映像が次々流れてくる。

 世界的に見ても最悪の大災害。

 今この瞬間も、助けを待っている人が大勢いる。
 今なら間に合うけど、1時間後には助からない命もあるだろう。

 自然は、やはり、怖いものなのだ。

 自然で遊んだり、
自然をコントロールしたり、
そんなおこがましいこと、
一生物である人間なんてものが、
どうこうできる物じゃないってことなのだ。

 数百台の車と、大型船と、新築の家と、
電車と、電柱と、太い木と、橋と、魚の網と、
何千何万という人々が、
あっという間に、水に飲まれ、
海に引きずりこまれて行った。

 でも、まだ生きている人がいる。
 祈りながら助けを待っている。

 世界中から、助けに来た人たちも大勢いるのだ。

 自分の家の備蓄に必死になっている場合ではない。

 私には、一体何ができるのか?
 この、歴史的大災害の起きた、その時代に生きていて、
私は、どう動けばいいんだ?

 ひとりの力は小さくても、
それでも、必ず何かしなければいけない。

 何かしなければ、ダメだと思う。

 自分を後回しにして、
人の為だけに動く親の姿を、
子供たちに示すべきだとも思う。



  (了)

(しその草いきれ)2011.3.15.あかじそ作