「 震災から学ぶ 」


 スーパーから、
水やトイレットペーパーやティッシュペーパーだけでなく、
米や食パンやカップ麺や乾麺、缶詰、冷凍食品などが消えていった。

 「計画停電をする」とニュースで発表されると、
途端に、乾電池や懐中電灯や、ろうそくも売り切れた。

 日に日に店の棚から物が無くなっていき、
震災から1週間もすると、
近所のコンビニには、お菓子しか残っていなかった。


 一日3時間弱の計画停電のさなか、
配達の仕事には、休まず出勤したが、
輸送のトラックに入れるガソリンも不足しているし、
運ぶ荷物自体が減っているため、
いつもと比べて半分以下の数しか回ってこなかった。

 結果、仕事が早く終わってしまうため、
ずっと家の中で引きこもってばかりでストレスのたまっている四男と長女を連れて
買い物に出かけることにした。

 いくら「店には物がないんだよ」と言っても、
「うそだ、お菓子買ってきてよ!」と言う長女に
現実を見せるためにも。

 歩いて行けるコンビニには、
長女の好きなグミなどのお菓子は置いてなかった。
 ガムや、駄菓子や、スナック菓子が少し残っているだけだ。

 「ね? ほとんど物が無いでしょ?」

 と言うと、
「なんでこんなに、くらいの? ていでん?」
と聞く。

 「電気を作っている工場が壊れちゃったから、
電気が足りなくなっちゃったの。
 だから、みんなで電気をなるべく使わないようにしてるんだよ」
と言うと、
「ふ〜ん」
と言って嬉しそうに薄暗い店を見まわした。

 その後、近所のスーパーに行くと、
やはり店内は、薄暗く、商品は、まばらにしかない。

 その時、私は、ふと、幼い頃のことを思い出した。


 当時、スーパーマーケットは、まだ少なく、
民家のところどころには、
今で言うところのコンビニの役割を果たしていた【酒屋】があった。

 酒屋には、何でもあった。

 お酒やおつまみはもちろん、
細い瓶に入った、粉っぽいオレンジジュースや、アイスキャンディー、
お菓子や、ちょっとした食料品も、少しづつ並んでいた。

 トイレットペーパーや、切手や、
仏様に備える小菊の束や、のし袋もあった。

 要は、近所の人たちが要望するものを、
ジャンルに関係なく、何でもかんでも売っていたのだ。

 しかし、極めてムラのある品ぞろえであるため、
目的の物がいつも売っているとは限らない。

 それどころか、店に電気が点いてなかったり、
店のおじちゃんおばちゃんが、奥で食事していて、
誰も店頭に居ないということも多かった。

 でも、それが当たり前だった。
 そういう、不完全な、人間味あふれる感じがあった。

 ところが、ここ数十年で、
街じゅうに24時間開いていて、
何でも売っている便利なコンビニが増え、
安くて品ぞろえのしっかりしたスーパーが普及したために、
そういう、「運が良ければ手に入る」という感覚が消えたのだ。

 便利さや、サービスを追求していったことで、
我々は、暮らしやすくなったかもしれない。

 しかし、そのことで、忘れてしまった。
 不便さの中で、工夫したり、助けあったりする喜びを。


 薄暗くて、BGMも無く、
ガラガラの棚を見回していると、
何とも言えない懐かしさがこみあげてきて、
不謹慎だが、少し嬉しくなってきてしまった。

 「お母さん、こういう方が好きだな」
と言うと、四男も、
「僕も」
と言った。

 「みんな、これをきっかけに、
電気をあまり使わない生活になればいいのにね。
 そうすれば、きっと、
もっと人間的な生活に戻れるような気がするよ。

 顔と顔を見合わせて、お金と物とを交換する、これが買い物だよ。

 高いところに行くには、脚を交互に上げて、階段を昇らなくちゃ。
 ボタンを押して、上下する箱に乗るんじゃなくてね。

 お日さまが沈めば、だんだん薄暗くなって、
完全に沈めば、真っ暗になる。

 真っ暗は、怖いよ。
 何も見えないし、危ないし、寒いし。
だから、「夜」って、本当は、
みんなが思ってるより怖いものなんだよ。
 命に関わる怖さなの。

 こんな当たり前のことを、今の子供たちは、全然知らないんだ。

 こんなの、何かおかしいんだよ。

 「夜」を知らなければ、「昼間」を知らないのと同じだもん。
 「朝」がくる喜びも、わからないんだ。
 
 夜に休めてないから、昼に力が出ない。

 今は、大人も子供も、みんな、
朝も昼も夜も無くなってさ、
常に煌々と明るいライトに照らされて、
干からびて、乾いてさ、
神経が疲れきっているんじゃないかな。

 だから、みんな、
人に優しくできなくなってきてるんじゃないかな」

 私がそう言うと、
四男は、神妙な顔で「そうだね」と言った。

 先日の夜の計画停電の時、
子供たちは、「夜って、長いんだね」と言っていた。

 そして、電気が点いた時、
「うわっ! まぶしい!!」
と言って、みんなで目をふさいだ。

 この、現代の異常なまぶしさを、もうやめて、
少し、時代を逆行してみたらどうだろう。

 鉄道や、病院や、通信や、コンピューターの大もとの機械とか、
電気が消えたら困るところには、電気を常に流すようにして、
それ以外の日常生活では、
電気を控えるような暮らしをしていけば、
ひとは、もっと人間らしい感覚で暮らせるんじゃないだろうか?


 四男と、長女と、手をつないで家路についた。

 ちょっと前まで住んでいた「床の抜けた家」の前を通ってみると、
北側の壁に、ピピッと一直線のひびが入っていた。
 2階のガラス窓が、何か所も割れて、
瓦が7、8枚、庭先に落ちていた。

 あぶな・・・・・・

 住所を変えるのは、本当に大変な大事件だったけど、
引っ越して、ああ、よかったんだ。


 震災から10日。

 関東には、徐々に物が戻り始めている。
 買い占めからくる混乱も、落ち着きつつある。

 我々は、今は、震災直後で興奮し、
流行りことばのようにみんなして、
「東北頑張れ頑張れ」と言うけれど、
大事なのは、これから10年20年、それ以後も、
ずっと応援していくことなんじゃないか?

 被災者の生活再建を、
細く長く応援し続けることが大事なんだと思う。


 この震災から、我々は、たくさんのことを学習しなければいけない。

 ひとは、「ヒト」という生物の一種として、
決して思いあがることなく、
しかし、したたかに、
「智、徳、体」を駆使して、
必要以上にまぶしくない、
人のぬくもりを感じる、
そんな社会を組み立てていかないと。

 今まさに、小さな子供を持つ親たちが、
日々、地道に丁寧に子を育て、
その道筋を、基礎組みからきちんと組み立て直すんだ。

 今が、そのターニングポイントなんだ。

 私は、そう思う。



  (了)



【追記】

 福島のキョンちゃん、無事だったら、連絡ください。
 たのむから、生きててよ!!!


(しその草いきれ)2011.3.22.あかじそ作