「 ドナドナ 」


 先日、長男を大学の寮に入れてきた。

 私は、ここ数週間、
新生活に必要なものを全て買い揃えること、
そのことに大わらわになっていた。

 3月11日に東日本大震災が起きてから、
停電で店は開いていないし、
開いていたところで物は無いし、
全ての生活用品を揃えることは容易では無かった。

 「寮だから生活費が激安だ」と思い、軽く考えていたが、
実際、1人分の生活必需品を全て揃えるとなると、
冷蔵庫やテレビやパソコンをはじめ、
自転車、布団一式、布団カバー数枚づつ、タオル各種数枚づつ、
部屋着、下着、衣装ケース、物干しざお、テレビ台、
洗濯用洗剤一式、シャンプー・リンス・洗顔フォーム・あかすり、
敏感肌用乳液・ハンドクリーム・カミソリ、
ティッシュペーパー・ポケットティシュー、
耳かき、綿棒、とげぬき、絆創膏などなど、
細かく考えたら、本当にきりがないほど、
たくさんの買い物をしなければならなかった。

 おまけに、長男は、兄弟一病弱で、
ビタミンBや乳酸菌の錠剤を朝晩服用し、
花粉症用の鼻炎薬、胃痛の薬、風邪薬、アレルギー用点眼薬など、
薬局で非常に山盛りの薬を購入しなければならない。

 ドラッグストアで
「21,000円です」
と言われたときは、めまいがした。

 結局、電化製品で10万円、
薬関係で2万円、
生活雑貨で2万円、
自転車で1万円、
他、新しい服やカバンなど、
細かく数えたらもっともっとお金がかかった。

 この後、更に、
テキストや作業着などで年頭6万円、
1日3食で1000円×30日=3万円/月かかり、
その上で授業料数十万円納めるのだ。

 おお〜〜〜〜〜、恐ろしい!!!

 もう、怖すぎて、家計簿をつけるのをやめた。
 夫の父親の遺したお金の一部150万円ほど振り込まれたので、
それで何とかやりくりしたが、
これがあと何カ月持つのか・・・・・・

 ちなみに、
夫の父親が遺したお金、というのには、イワクがあり、
これは、もう、何と言うか、もう、何とも言えない物なのだった。

 夫の父は、家族に断りなく、
自分の兄が生前起こした会社の保証人になっていた。
 
 頼まれて断れなかったのだろう。

 しかし、父が亡くなった後、初めて、
遺された家族は、父が親戚の会社の保証人だったことを知り、
保証人という立場も相続しなければならない、ということを知った。

 調べてみると、もし、その会社が倒産したら、
社長に代わって銀行に二億円以上払わなけれなならない、
ということだった。

 そんなもの払えるわけない、と、
夫の弟があちこちに相談し、
保証人の相続を放棄できないか、と駆けまわってくれたのだが、
「財産だけ相続し、負の財産だけ放棄することはできない」
ということだった。

 結局、すったもんだの挙げ句、
銀行は、こちらの資産や不動産すべてを記入した書類を家族全員に提出させ、
それから算出して、600万円払えば、保証人を解放してやる、
と言ってきた。

 プライバシーを踏みにじられ、不動産以外何も持たぬ家族から、
銀行は、600万円という大金を絞りとり、
上から口調で「一時金を受領した」という紙切れ1枚送ってきて、
それでおしまいだった。

 かくして、足元を見られて、
手持ちの600万円を奪い取られた夫の母や夫や弟妹たちは、
親戚の会社の保証人を抜けた。

 そして、その1週間後、
何と、その会社は、倒産したのだった!

 何ということだ!

 600万円を失ったことは、悔しいけれど、
もし1週間遅れていたら、2億の負債を抱えていたことになる。

 危なかった!!!
 ふ〜〜〜〜〜!!!

 そんなわけで、夫の父が遺したお金は、600万円が引かれて、
母、夫、弟、妹で法に基づき分配し、
夫の口座に150万円振り込まれたのだった。


 そのようないわくつきの150万円なので、
この際、長男の進学費用にきれいに使わせていただいて、
生活費に組み込んだりしないでいくつもりだ。

 そもそも、18歳で故郷を捨てた夫(長男)が、
一度捨てた家から何かもらおうと思うことすらおこがましいというものだ。

 夫の父から、孫である長男への進学祝いなのだ、と考えよう。


 さて、計画停電で、
「夜間、真っ暗で寒い」というのを幾晩か体験し、
長男にも懐中電灯や非常持ち出し袋を持たせることにしたが、
懐中電灯や電池など、もうどこにも売っていなかった。

 そこで、金沢に住む夫の弟に買って送ってくれないか、と頼むと、
何と、北陸金沢でも、懐中電灯や水などが品薄で手に入らない、と言う。

 それでも、弟は、休日返上で家電店やホームセンターを走り回ってくれて、
キャンプ用の電池式ランタンを見つけ、送ってくれた。

 単1電池はどうしても手に入らなかったとかで、
自分の家で備蓄している、なけなしの2本を送ってくれた。 

 カップ麺や電池やランタンのほかに、
トイレットペーパーやティッシュや米が入っており、
それらの隙間に、
事前にこちらから送っておいた2万円が手つかずで入っていた。

 おまけに、長男への入学祝ののし袋も入っており、
「今の俺には、これくらいのことしかできんが、がんばれよ!」
という、熱い手紙も入っていた。

 ああ、親戚というものは、本当にありがたいものだ。
 心遣いというものは、いくら大金を積んでも手に入らないものだ。
 互いを心底心配し、自分の懐を痛めても、相手に
「これ持っていきな」
と差し出す、こんな粋で泣けることをしてしまう。

 親戚づきあいを面倒と思う人たちが多いと聞くが、
ずいぶん感動を損しているなあ、と思う。


 さて、話は、物凄く逸れたが、
長男の荷物は、前日夕方、私と次男と長女によって、
わが家のバモス(軽のワゴン)にぎゅうぎゅうに積み込まれた。

 本当に、いっぱいいっぱいだった。


 数日前まで、
私の父が長男を乗せ、車の運転をしていくつもりでいたらしいが、
夫も、「自分が連れていく」と、ぼそぼそ言っていた。

 しかし、あまりにも父が、「自分が行く」ということに疑いを持たずに、
張り切って道順など調べ上げているので、
私は、夫に「あんたが遠慮しなさいよ」と言っていた。

 長男が幼稚園の時、インフルエンザから肺炎になり、
夜中におんぶして救急病院に運び込んだのは、誰だった?

 長男が高校受験の時、当日40度の熱を出し、
肩を貸して歩き、車で送り迎えしたのは、誰だった?

 いつもいつも、長男の父親役をやってきたのは、
私の父だったじゃないか?

 子供や私の一大事の時には、
必ず、夫は、いなかった。
 駆けつけても来なかった。

 そこにいたのは、
いつも、私と、私の父と母だったじゃないか?

 「今まで何も長男にしてやれなかったから、今度こそ自分が」
などと言う夫に、私は、腹が立ち、
「一番居なきゃいけないときに、仕事にかこつけて逃げ回ってきたくせに、
今頃おいしいところ取りしようったって、そうはいかないよ」
と言った。

 夫は、何度か
「やっぱりダメかなあ?」
と言ってきたが、
「気分で親やったり逃げたりするやつに、その権利は無いね」
と、冷たく突き放してしまった。

 そのことを、先日、実家に親戚が集まった時、
台所で母にそっと話すと、母は、
「そんなの、可哀想じゃないのよ! やらせてあげなさいよ!」
と、私が叱られた。

 「父親したくても、仕事が忙しくてできなかったんじゃないの。
仕事してくれてるおかげであんたたち食べていけてるんでしょう?
 父親が仕事で忙しいから、お父さんもあたしも手伝ってきたけど、
でも、本人は、父親したかったと思うよ。
 その機会を、あたしたちが取っちゃったんだから、
それを責めたら可哀想ってもんだよ、おねえちゃん」

 すると、静かに父もその輪に入ってきて、

「俺・・・・・・、そんな出しゃばるつもりじゃなかったんだよ。
父親役なんて、そんなご大層なもんじゃねえよ。
 俺は、お前に泣きつかれたから、やってやっただけだからよお、
父親役を取ったつもりなんてなかったよぉ。
 俺はいいから、父ちゃんに運転させてやれよ。
 俺、いいからよお」

 と、言う。

 「でもさあ・・・・・・・」

と、ぐずる私に、母は、

 「父親の仕事をさせてやりな! おとーちゃんに!」

と、ズバッと言った。


 そんなわけで、夫は、当日、
バモスを運転して行くことになったのだった。


 夫が運転し、長男が助手席に座り、
私が荷物パンパンの後部座席の隙間にもぐり込んだ。

 家の前で、兄を見送る弟3人と妹。
 危ないから車から離れてなさい、と何度言っても、
車にまとわりついて、長男に声を掛け続けている。

 「頑張れよ〜!」
 「かぜひかないでね〜!」
 「勉強しろよ〜!」
 「歯、磨けよ〜! 宿題しろよ〜!」

 と、声を張り上げる弟妹たちを尻目に、
車は、家の前から出発した。

 玄関前に並んで立つ4人の弟妹たち。
 その横で、くわえたばこでこちらを見ている私の父。

 小さい妹を抱く次男、
何度も大きくジャンプしている三男、
左右に大きく手を振る四男、
両手をでメガホンを作り、こちらに何かを叫んでいる長女。

 車がスピードを出して、
彼ら5人の姿がどんどん小さくなっていき、
曲がり角を曲がって見えなくなった。

 「宿題しろよ、って・・・・・・全員集合か」

 ぽつりとつぶやく長男は、明らかに淋しそうだった。


 周りに何にも無い、凄まじく田舎のバイパスが延々続き、
長男の口数は、めっきり減った。

 しばらくは、「洗濯って毎日やるの?」とか、
「自転車は、近くのホームセンターで買うんだよね」などと、
楽しく話していたが、
あまりにも途中の景色が田舎で何も無いので、
怖くなってきたらしい。

 「寮は、街中にあるんだから、心配しなくてもいいよ」
と言ったのだが、
「僕、置いて行かれるんだよね」
「お父さんとお母さんだけ帰るんでしょ?」
などと、何度も言う。

 「ヘンゼルとグレーテルじゃないんだから〜」
と私が言うと、長男はちっとも笑わず、
「ドナドナのひかれていく子牛の気分」
などと言う。

 「親に森の奥に捨てられそうになってるってか?
 じゃあ、ヘンゼルみたいにパンくずでもところどころに落としておけば」

と言うと、これまた笑わず、

「うん・・・・・・・」
と、うなづいていやがる。

 そう言えば、ここ数日、
「僕、家から通ってもいいんだけど」
とか、
「通っても通えない距離じゃないよね」
などと、往生際の悪いことを言っていたっけ。

 中学時代から、
「ああ、1人部屋が欲しい!」
とか
「プライバシーってもんが無いよ、うちは!」
とか言っていたのに・・・・・・

 結局、兄弟みんなで重なり合って丸まっている子犬状態だったのが、
急に、1人だけ引き剥がされて、怖くなっているというわけだ。

 そんなことを言ったら、母親の私だって、
半身を引き剥がされるような感覚なのだ。
 第一子のこの子は、私にとっての子育ての同志だし、
いつまでもそばにいて、助けてもらいたい、とも思う。

 しかし、「我が家は、18歳成人制だよ!」と、
ずっと前から豪語していたのは私自身だし、
息子たちを一人前の男にしたいという気持ちに変わりは無い。

 「地震で日本が大変な時にさ、
頑張って建築を志せばさ、
必ず、社会のために働けると思うよ。
 金持ちになろうとかさ、楽な仕事したいとかさ、
自分の利益だけの為に生きるなんてのは、
虚しいことだし、すぐに飽きるよ。
 世のため、人のために生きれば、
生き終わるときに、きっと、
『ああ、俺は、やりきったな!』って、
気持ちよく思えるよ」

 私がそう言うと、長男は、

 「でも、僕、建築のデザインがしたいんだけど」
と言うので、
「地震に強い家や、津波に負けない町づくり、
これもデザインだよね。
 自分や、自分の家族の家を作るつもりで、
お客さんの家や町を作るんだよ。
 愛情の通った仕事をしてさ、
人に信じてもらえるような人間になりな。
 わかった?」

 そういう私に、今度は、黙ってうなづいた。

 寮に近づくと、急激に開けた街になった。

 ホッとした長男は、やっと明るさを取り戻した。
 寮に到着すると、嬉々として車から荷物を運び出し、
寮の自分の個室へと運びこんでいた。

 あれよあれよ、という間に、
搬入時間は終わり、学生だけ集まって寮の説明会が始まった。

 我々以外の親は、三々五々、帰っていった。
 私と夫も、長男に
「じゃ、頑張れよ〜!」
と明るく手を振って、寮を去った。

 「あ、ああ、じゃあねえ、とりあえず」
と、長男もつられて手を振った。

 「じゃあ、帰りますか」

 夫が車を出して、寮の敷地を出た。
 体の力がすっ、と抜けて、
私は、しばらく呆けてしまった。

 先程あんなに田舎だ何だとけなされていた国道の一本道が、
何の感想も起きないまま、淡々と後ろへ流れて行く。


 家に到着し、4人の子供たちの食事の支度をしていると、
3人くらい少ないような気がした。

 「何か、だいぶ人数少なくない?」
 子供の誰かが言った。

 「そうだね。ひとり居ないだけで、ずいぶん静かだね」
と言うと、
今度は、また別の子が、
「あれ、1人抜けたから、全部で取り皿6枚か」
と言うと、誰からともなく
「淋しいね」
と言った。

 「おいなりさん、何個食べていいの?」
と聞く子供に、
「今ある数を数えて、7で割って」
と私が言うと、
「6でしょ?」
と誰かが答える。

 今度は、誰も「淋しいね」と言えなかった。

 本当に淋しかったからだ。


 【追記】

 それから、長男からのCメールが、ひっきりなしに届いた。

 「洗濯洗剤の量って・・・・・・」
 「入学式の靴下って白?」
 「自転車の防犯登録はした方がいいよね」
 「今テレビ何やってる?」
 「目覚まし時計の説明書知らない?」

 長男よ、
今は、ドナドナな気分かもしれないけれど、
これは、君が大人になるために必要な、大事なワンステップなのだよ。

 5人兄弟の第一子で、初めてのことだらけ、
見本も手本も何も無くてさ、
不安も多いだろうけれど、
失敗をたくさんして、挫折を繰り返して、
そうやって、ちゃんと大人になるんだぞ。

 頑張るんだぞ!

 頑張るんだぞ!!


   (了)

(子だくさん)2011.4.5.あかじそ作