「 ご破算で願いましては 」 |
私たちは、 電気やガソリンに頼り切った暮らしをしていたことに気付いた。 夜は、暗くて寒いこと。 食べ物も物も、大量の電気を使う工場で作られ、 ガソリンで動く自動車や、 整えられたレールの上を走る電動の列車で運ばれること。 食べ物や物が運べなくなると、 被災地だけでなく、首都圏でも、店に物が無くなるということ。 首都圏に物がなくなると、 日本中の人たちが過剰に不安を感じ、 日本中の店から物が無くなるということ。 電気が止まると、人が止まり、物が止まり、経済が止まる。 命にかかわる現場が滞り、道路では、車が衝突する。 レジが打てないから、物が買えない。 電子カルテが開けないから、診察してもらえない。 電車が動かないから、仕事や学校に行けない。 コンピューターが起動できないから、システムが止まる。 いろんなことを、理屈でなく、 リアルな体験として実感できた。 昔は、これほど電気に頼らずに暮らせていたのに。 科学や文明が発達すればするほど、 人や国家が、脆弱になっていったのだ。 手書きしていたものを、キーの入力で済むから、文字が書けなくなり、 歩いて行けるところへも、車で行くから、足も弱くなり、体力が落ちた。 本来、ヒトという動物が持っている能力は、 電気やガソリンや、文明の機器を使うことによって、 使われなくなり、退化しつつある。 でも、これでは、いけないのだ。 本来持つ能力は、使わねば。 楽しよう、楽しよう、という軟弱な構えを捨てなければ。 【楽する】=【死】を意味する、というくらい、 もっと切迫して「生」や「死」を実感しながら生きていかなければ、 この国は、復興できないだろう。 私は、 いや、 この国全体が、 ずっとずっと、長い間、 何となく生きる目標や意味を見失っていた。 なぜ生まれたのか、 なぜ生きなきゃいけないのか、 それを全然見つけられずに、 理屈ばかりこねて、享楽に溺れ、 気休めを言い、危機から目を反らし、 みんな、虚しい毎日をやり過ごしてきた。 でも今、この国の、 虚しくやりきれない想いの人たちの前には、 ある意味指針が示されたのだ。 この時代に生まれた意味。 この国に生まれた理由。 自分は何を目指し、何に向かって進むべきか。 この国のみんなの心にぼんやりと掛かっていたモヤが晴れ、 がれきの山と化した国土が見えてきた。 個人の消費に狂ったり、立身出世だけに生きる虚しさに気付こう。 原始の昔に立ち返り、 ヒトという動物が、 火を手にして二足歩行で立ち上り、 地平を見渡した、その日のその感動を思い出そう。 ハッキリ言って、今、日本は、破産寸前だ。 いや、もう、実質、破産している。 だからこそ、ピンチをチャンスに換えよう。 破産。いいじゃないか。上等だ。 子供の時、無理矢理親に通わされていたそろばん塾で、 全問正解するまで家に帰してもらえず、 毎晩のように、泣きながらそろばんをはじいていた。 その時に、鬼のような大久保先生が、 独特のだみ声で、何度も何度も言っていたじゃないか。 「ご破算で願いまして〜は〜」 「ご破算で願いまして〜は〜」 そうだ、あの幼い頃、毎晩、 涙をぬぐい、しゃくりあげながら、 小さな手で、大きなそろばんの珠(たま)を、 何度も何度も、はじいたじゃないか。 お母さんがいるあの家に帰るためには、 どんなに泣いても、パニックになっても、 一個一個、数字をしっかり読み、珠をはじき、 正しい答えを導きださねければならなかった。 大久保先生が、なぜ、 小学校低学年の私たちにも容赦せず、 全問正解するまで、夜の11時を過ぎても、家に帰してくれなかったのか、 今日の今日まで全然わからなかったが、 今、その意味がわかった。 帰りたい家があり、会いたい家族があるのなら、なおさら、 やらなければならない仕事を最後まで全うしなければならないのだ。 どんなに心や体が傷つき、芯から折れてしまっても、 歯を食いしばって目を見開き、 命尽きるまで、あきらめないで難問に食いついていくこと。 それは、すなわち、人生なんだ。 【生きる】ということなんだ。 あの頃、大久保先生は、鬼としか思えなかったけど、 先生は、人生の師だったのか。 答えを出す力があるのにメンタルが弱くて、 珠をはじき間違えてばかりだった私に、 教えてくれていたのは、このことだったか。 「ご破算で願いまして〜は〜」 自分で自分の人生に言ってみる。 子供たちにも、大久保先生の教えを伝えてみる。 この国に、大きな声で言ってみる。 「ご破算で願いまして〜は〜」 「ご破算で願いまして〜は〜」 「ご破算で願いまして〜は〜」 (了) |
(しその草いきれ)2011.4.12.あかじそ作 |