「 震災ウツ 」 |
震災の日からしばらく、 津波の映像を毎日見ていた。 ここ関東でも、震度5以上の揺れがあり、 道路が割れ、瓦屋根が落ちて、 ほとんどの場所で、まだ直されていない。 帰宅困難があった。 連絡不能状態になった。 物が店に無くなり、電気が毎日消えた。 水に放射能が混じっているから、乳児に飲ませるな、と言われ、 雨や風に交じって放射能が降るから、気をつけろ、と言われた。 ひと月経ち、 毎日のように被災者の話が報道された。 ある小学校では、在学する7割の子が亡くなったこと。 防災無線で最後の最後まで「逃げてください」と放送し続け、 五十代の男性と若い女性が亡くなったこと。 彼らの家族はじめ、町の人々は、 彼らの声を聞きながら避難したこと。 中国からの研修生を無事避難させた後、 自分は、引き返して流されてしまった人。 家族と共に流されて、 自分ひとり生き残った小さな女の子。 介護しているお年寄りを助けようとして、 一緒に流されてしまった奥さん。 がれきの下から見つかった、手をつないだ姉妹。 手足を踏ん張って苦悶の表情で亡くなっていたおじさん。 幼な子を抱いた形で見つかった若いママのなきがら。 どれだけ怖かったか。 どれだけ苦しかったか。 どれだけ神に祈ったか。 命からがら生き伸びた人々からは、 誰の口からも、 信じられないような、むごく、哀しい話が出てきた。 どの話にも、怖いほどリアリティがあり、 まるで自分の家族のことのように感じた。 実感を伴う、哀しい事実を山ほど聞いて、 涙がいくらでも湧いて出てきた。 たくさんの国が応援に駆けつけ、全国からボランティアが集まった。 各自治体から物資が送られ、各分野のプロたちが駆け付けた。 しかし自分は、 いつも通りに仕事をし、 家族の世話をし、 ニュースを見てため息ばかりついている。 義援金として少しばかり寄付をしてみたものの、 自分の無力さや、虚無感にさいなまれる。 ああ、そう言えば、 震災からもうすぐ2カ月経つが、 気付けば、毎日毎日、 私は、落ち込んでいるではないか? いくつか楽しいことも、あるにはあるのだが、 心の底に、哀しみの泥が積もり積もっている。 濡れた気持ちがずしりと重く、 なかなか浮き上がることができない。 津波に襲われた家屋から泥を掻き出すのは、 地道な人の手作業でしかできないように、 こういう人の心に流れ込んだ泥流は、 やはり、手作業で少しづつ掻き出すしかないのかもしれない。 ここから、エイヤッ、と立ち上がり、 明日を切り開くために動きださねばならないのに、 こんな風に、力が出なくなっている人が、 どれだけいるだろう? 「頑張ろう、日本」 とか 「つながろう、ニッポン」 とか言われても、 気持ちはわかるが、中身の無い言葉に、 何だか腹立たしくもなってくる。 自分のできることを、 どんな小さいことでもいいから、 何か具体的に動くべきではないのか? 落ち込んでいる暇などないのに、 打ちのめされて動けなくなっている自分がいる。 でも、きっと、近いうちに、 手作業で、この心の泥を掻き出してみせる。 そして、こんな弱い私にも、 きっと必要としてくれる人たちがいることを信じて、 長いスパンで復興の手伝いをしていこうと思っている。 (了) |
(しその草いきれ)2011.5.3.あかじそ作 |