「 負のことばやめます 」 |
震災以来、どうにもこうにも気分が落ち込んでしまっているので、 もう、いい加減、しんどくなってしまい、 精神科に行って、薬をもらうなり、 カウンセリングを受けるなりしてきたいなあ、 と思い始めていた。 配達の仕事中、 「店の正面から入ってくるんじゃねえ!」 と怒鳴られたり、挨拶しても無視されたりして、 いつもなら「あ〜あ」で済むことも、 今の私は、負の重力が自分に向いているので、 嫌なことを繰り返し思い返しては、 何度も何度も同じネタで落ち込んでしまう。 「ああ! こらいかん! ラチあかない!」 気持ちが塞いで、だんだん息ができなくなってきたので、 ここらへんで一回、 何か大きくリセットしないといけない。 そう言えば、震災以来、 25年間続けてきた家計簿が、つけられなくなっている。 いつもは、一日の終わりに家計簿をつけるのが楽しみだったのに、 残高を確認することすらしなくなった。 キチキチと計画し、執行する、ということに、 本当に、本当に、嫌気がさしている。 今まで、そうやって、しっかりやりくりしてきたからこそ、 貧乏子だくさんでも破たんせずにやってこられたのだが、 震災後に、値段にかかわらずあれこれ買って備蓄したり、 長男の入寮のために何十万単位で新生活の準備をしたりして、 収入に合わない出費がドカドカあったので、 もう、採算の合わぬこと火のごとし、で、 いやんなっちゃったのだ。 「家計簿やめた!」 思いきって、自分で自分に課したものを、 一個一個やめて行こうと思った。 自分に対して課した、 「こうせねばならぬ」「ああすべきである」 という厳しい決まり事を、一旦、やめてしまおう。 今までの私は、真面目すぎたのだ。 真面目に、真剣に生きるのはいい。 でも、そのために、必要以上の重荷を背負い、 苦しければ苦しいほど、 無理すれば無理するほど、 素晴らしい人格に成長できるのだ、 などと勘違いしていたが、それは、違う。 「ドМか!」ってことだ。 疲れて、潰れて、しかめっ面で死んじゃう。 そんなの、全然面白くないじゃんか! 笑えないぞ! 第一子出産以降、生きて行く上で優先順位は、 @やらなきゃいけないこと Aやりたいこと だったが、常に山積みの@の処理に、朝から晩まで追いまくられていて、 Aなんて一個もできなかったじゃないか。 20年間、 我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢我慢で、 心の中が、こうちゃく状態。 いざ、 「さあ、今から好きなことやっていいよ」 と言われても、 頭の中も、心の中も、 我慢我慢我慢我慢の満員列車になってしまっていて、 奥の席に押し込められた「やりたいこと」が、 「私、降りま〜す!」 と、大きな声で叫んでも、 混んじゃって混んじゃって、 全然出られない状態になっているではないか。 そして、やっとこさっとこ、出られたところで、 ず〜〜〜〜〜〜〜っと我慢してきたので、 自分が一体何をやりたかったのか、 わからなくなっちゃっていたりする。 本当に、こうなると、重症だ。 ふと気付くと、 自分の口から、否定的なことばしか出ていない。 「今日はすごくいい天気ですね」 と話しかけられても、 「でも、紫外線がイヤですよね〜」 と返すし、 「今日は、荷物が少なくて仕事楽だね」 と言われれば、 「その分、収入が少なくなっちゃうのよ〜」 と言っている。 何でもかんでも、 物事の悪いことばかりに注目している。 だから、無意識のうちに、 出てくるセリフは、全部、否定的なのだ。 不平不満ばかり口にして、 今ある幸福を全然見ていない。 夫が、こうしてくれない、とか、 子供が、ああしてくれない、とか、 いつも誰かに対して、 自分の思い通り動いてくれないことを、 ひどくストレスに感じているが、 これって、無茶なことだったのかなあ・・・・・・ 自分にだけでなく、家族にまで、 「こうすべき」「ああすべき」と、 厳しい拘束を強いているんじゃないか? 期待しなければ、不満も生じないだろう。 「こうすべき」という規則がなければ、 もっと心が自由になれて、 軽やかな気持ちで生活できるんじゃないか? そういえば、そうか。 そうだ、そうだ。 私の尊敬する仕事の上司は、 どんな事象にも、否定的なことばを使わない。 誰をも責めず、少し回り道になったとしても、 肯定的なことばを並べて、問題を解決していく。 人の失敗も責めない。 「それは、やってはいけないことだから、 次からは、こういう風にすれば、うまくできるわよ」 と、言うべきことは言いながらも、 次に向けての前向きなアドバイスをくれるから、 こちらもふてくされずに、素直にあやまちを正そうと思える。 そうだ。そうなのだ。 否定的なことばを並べられると、 確かに、一言でズバッと問題点を指摘できるが、 そこから問題解決に向けては、逆に時間がかかってしまうのだ。 相手に対してイヤな感情が湧きあがってしまい、素直に話を聞けないし、 後ろ向きな気持ちになるから、冷静に状況が把握できない。 結局、これでは、非合理的なのだ。 逆に、肯定のことばというものは、 相手にしっかり受け止めてもらえている、という安心感が生まれ、 言われた方も、感情的にならずに状況を正しく把握し、 気持ちよく「良い人」になって、「良い行動」がとれる。 急がば回れ、か。 まずは、「こうすべき」「こうあるべき」という、 小さな決まりごとを、取捨選択し、 心を拘束から解放してやること。 自分で勝手に高く高く掲げた崇高なココロザシは、そのままに、 「そうじゃない自分」「そうじゃない家族」「そうじゃない誰か」 を決して責めずに、 気長に目指す、というスタンスで生きる。 そう。 その間、決して、負のセリフを吐かずに行く。 否定的なことばは、毒薬だ。 人を傷つけ、心を後ろ向きにし、人生を暗くする。 時間は掛かってもいいから、 気持ちのいいことばを選び、 肯定的なことばをひとつひとつ編んで、人と話そう。 また、そういう風に、自分にも対峙しよう。 そうすれば、きっと、みんなもっと、 自分に自信を持てるし、人にも優しくなって、 愛情に満ち満ちた世の中になると、 思うんだけどなあ。 (了) |
(話の駄菓子屋)2011.5.17.あかじそ作 |