「 道具としてのことば 」

 幼稚園年長の末っ子長女が、ひどいわがままを言った。
 それを小6の四男にとがめられ、逆切れした彼女は、
号泣しながら兄に激しい蹴りを連発していた。

 「優しいお兄ちゃん」である四男は、
蹴られ続けながらも決して妹には手を上げず、
「そんな自分勝手なことをしたらダメなんだよ」
と、優しく諭しているのに、
兄の想いも知らずに、妹は、全力で兄に蹴りを入れている。

 「やめなさい!!!」

 私は、見かねて長女を羽交い締めにして、
四男から引き剥がした。

 「私は悪くない! こいつが悪い!」

 長女は、どこで覚えたのか、
喧嘩をすると、すぐに汚い言葉を吐く。

 「お兄ちゃんを『こいつ』って言わないの! 
 だいたい、あんたが自分勝手なことを言うから怒られたんでしょうが!」

 私が言うと、
「お母さんまで私をいじめる!!!」
と言って、泣き叫び、私の横っ腹を蹴り始めた。

 「やめろ!」
 今度は、四男が長女を羽交い締めして、
長女を私から引き剥がした。

 さすが長女。
 私の母に身も心も酷似しているだけある。
 凶暴なのだ。

 いつもキチンキチンとしていて、
誰よりも義理がたく、
物凄くしっかりした娘なのだが、
「こうだ」と言い出したら、一切引き下がらない。

 子供が5人いると、
この子のこういうところは、母方の誰似、
あの子のああいうところは、父方の誰似、
と、はっきり分析できるから、
遺伝学上、面白いっちゃ面白い。

 しかし、私も、人のことは言えない。

 困ったことに、
「律儀だが凶暴」というところは、
ハッキリ言って、私の方の血筋なのだ。

 それに対して、
「優しいが、感情的で抒情的」、
これが夫の方の血筋の特徴だ。

 私が「律義さ」を前面に押し出し、
夫が「優しさ」を主軸に生活しているときは、
我々は、仲良し夫婦なのだが、
最近は、全然うまくいっていない。

 ここのところ、体調がイマイチの私の代わりに、
夫が家事を多めに受け持っていることで、
夫が同時多発的な家事をこなしきれなくなって、
毎朝、感情的になり、ギ―ギ―叫んでいる。

 男のくせに、恥も外聞も無く、
子供の前で、壁に頭をガンガン打ちつけて叫び、
ヒステリーを起こしている姿を見て、
私は、心の底から
「これが男のすることか!」
と、イライラしてしまうのだった。

 今まで20年、
これの100倍大変だった頃の家事育児の闘いを、
孤立無援で頑張ってきた妻の苦労を思い知れ、
とか、
気が狂うほど身も心も疲れていた妻を、
見て見ぬ振りしてきた自分の罪を心から恥じろ、
とか、
そいういう恨みの気持ちが噴き出してきて、
「イ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
となっている夫に、
同情どころか、憎しみさえ湧いてきてしまうのだった。

 そうなると、もう、
お互いの血筋のダークサイドむき出しになってしまう。

 私は、凶暴な気持ちでしか夫を見られないし、
夫は、感情に支配されて、まったく周りの事が見えなくなっている。

 「ケッ。男のヒステリー、みっともない!」
と吐き捨てるように言う私に、
夫は、床に突っ伏して
「イ〜〜〜ッ! ンギ〜〜〜!!!」
と、震えながら悲鳴を上げている。

 こんな状態で、ここ数カ月を過ごしてきたせいか、
幼い長女も、ストレスを感じて、
突拍子もないわがままを言ってきたのかもしれない。


 「自分勝手なことを言ってるから、叱られるんでしょうが!」
と、私が叱ると、
長女は、急に弱弱しい、哀しい泣き方になり、
「じゃあ、何で私を産んだの?」
と言う。

 長女は、まだ5歳だ。
 どこでそんなフレーズを覚えたのだ?
 私は、びっくりして、固まってしまった。

 このフレーズ、私が思春期に母に向かって、
何十回、何百回叫んだセリフじゃないか。

 「私のこと嫌いなら、何で産んだの?」

 まただ。
 これも同じセリフだ。
 
 私は、自分の動揺を隠しながら、
気を取り直して言った。

 「いつ誰があんたを『嫌い』って言った? 
あんたのことが大好きだから、
悪い子にならないように、
一生懸命、悪いところを直しているんでしょう?」

 と言うと、長女の両目にみるみる涙が湧いて出てきた。
 私も、子供の頃、母にこう言われたかった。

 しかし、私の母は、先に述べたとおり凶暴なので、
いきなり私をぶん殴ってきて、
激しいパンチと蹴りとの応酬が、この問いの返事であった。
 (母の熱い想いは、奇跡的に伝わり、今に至る)

 私は、あの時、母から聞きたかったセリフを、
自分の中で一生懸命編んでみようと思った。
 娘にだけでなく、あの頃の自分に向けても、
この幼く苦しい問いに、
ことばで答えたかったのだ。

 すると、ちゃぶ台の上に置かれたたまごっちが、
ピーピロ、ピーピロ、と鳴った。

 そうだ。これだ!

 「あんた、今、たまごっち育ててるでしょう?
 いい子に育って幸せになって欲しいから、
たまごっちがわがまま言ったら、
すぐ『しかる』のボタン押すよね?
 それで、たまごっちが泣いちゃったら、
すぐに『ほめる』のボタンを押してあげると、
たまごっちは安心してニコニコ笑ってさ、
いつもちゃんといい大人に育つでしょう?」

 と言うと、
「じゃあ、お母さん、
私に、今、『ほめる』のボタン押してよ。
 私、かなしくて泣いてるよ」
と、娘は言い、涙をぽろぽろこぼした。

 私は、グッと来て、
すぐに娘を抱き締め、
「いい子いい子。お母さんに叱られて、哀しかったんだね。
これからは、悪いことは、もう、しないね?」
と言うと、
「うん」
と、娘は、私の胸の中でしゃくりあげている。

 私は、ほろりとしながらも、
我ながらうまいこと言いやがるなあ、としびれていた。

 と、同時に、
「よっ、うまいね! お母さん!」
と、四男に掛け声を掛けられた。

 「歌舞伎か!」
と、私も照れながら突っ込み返した。
 そして、照れ隠しで、
「お前も大好きだよ〜!!!」
と四男に抱きついて、
たこのように唇を突き出して、
四男のほっぺにチューしようと迫った。

 「ひ〜、やめて〜!」
 四男は、逃げながらも、嬉しそうだった。

 そうか・・・・・・

 また、あたしゃあ、気づいちゃったよ。

 ことばって、うまく使えば、こんないい道具ないんじゃないか?

 小さな頃から、ことば遊びが大好きで、
作文や詩や短歌やなんかを書いてきたけれど、
生活の中では、私、
ことばを上手に使ってこなかったなあ、と。

 きちんと正しく心の中を表現して、
相手にわかりやすく伝えれば、
何でもスムーズに事が運べただろうに、
すねたり、悪態ついたりして、
前向きなことばの使い方をしてこなかった。

 けなすことばや、罵詈雑言として、ことばを使い、
ことばの持つ、毒ばかりを盛ってきた。

 しかし、ことばは、道具なのだ。

 時に、ことばは、武器にもなるが、殺し合う武器じゃない。
 愛し合い、助け合うために使う平和的な武器であり、
同時に、仲良くするための道具なのだ。

 上手に使えば、楽に、スムーズに、合理的に、
人と人とが、わかりあえ、抱きしめ合える。

 そういう風に、ことばは、使うべきだった。

 私は、ここのところ、
夫に浴びせてきた数々のことばを思い出した。

 「知能が低いから、何やっても下手だよ!」
 「子供の頃に、まともなしつけを受けてないから、50になってもアカンボだ」
 「そんなに眠いなら、寝たら? 永眠!」

 きっつ〜〜〜!

 口下手な夫は、一言も言い返せず、
自分の家事の不備と、的を射た女房の一撃に撃沈されて、
「んぎ〜〜〜!」となっていたのだった。

 というか、わたし、【下手】か!

 うまくできない子(夫)に対して、
ガーガーガーガーことばの毒を浴びせていたら、
どんどんパニックになって、
もっとうまくできなくなるだろうが。

 夫は、ハッキリ言って、私の理想とする、
「抱擁力のあるイケメンの好青年」では、ない。

 それどころか、その正反対の位置にいる。

 しかし、こんなくさった女みたいなおっさんでも、
私自身が結婚しようと決めたんだから、
その落とし前を、きちんと、つけようじゃないか。

 ここでひとつ、腹を決めて、
自分の子5人の、どの子よりも劣等生である夫を、
一生を掛けて、一人前に育てていくのだ。

 それと同時に、
口が悪くて、
本当の意味で、ことばの使い方を知らない私は、
一生を掛けて、
正しいことばの使用法を学ばなければならない。

 このことばの研修人生に、
落ちこぼれでダメ人間の夫は、
格好の教材ではないか!

 ・・・・・・って、
この時点で、もう相当毒吐いてるなあ!!!

(子だくさん)2011.5.31.あかじそ作