「 じじいとメガネを買いに行く 」

 ここのところ、めっきり目が悪くなった。
 というより、老眼が進んでしまった。

 3年前にメガネを作りに行った時には、
「確かに多少の遠視が混じってきていますが、
まだ老眼鏡の必要は無いでしょう」
と言われ、今まで通り、乱視のメガネを作ったのだが、
ここ数カ月、あまりに近くの文字が見えないので、
仕事に支障が出るし、細かい手仕事に差し障るし、
もう、これ以上、我慢ができなくなってきた。

 そこで、仕事が早く終わったある日、
近所のメガネ屋に行こうと、身支度をして、
「さあ、出掛けましょう」と、靴を履いている、まさにその時、
「ピポピポピポピンポーン」
と、けたたましく玄関ベルが鳴った。

 この鳴らし方は、せっかちな父に間違いない。
 
 「あ、いらっしゃい」
 私が言うと、
「買いもの行くか?」
と、速攻お出かけのお誘いだった。

 (今日こそメガネを買いたかったけど、
この【暇じいさん】をかまってあげないと、
父のストレスが母に向かうな)
と、思い、
「そうね、行こうか」
と、快諾した。

 父としては、
私と一緒にどこかの店で昼ごはんを食べてから、
買い物に行こうと思っていたらしいが、
私は、今さっき昼食を食べてしまったばかりで、
そのことを父に言うと、
「え〜〜〜!」
と言って、急にそわそわし始めた。

 そうなのだ。

 父の頭の中では、
本日、娘は仕事が休みで、
その娘と回転寿司などに行き、
好きなイカを5皿食べ、
その足でお気に入りのスーパーに行き、
お気に入りの銘柄の酒を買う、
という段取りが出来上がっていたのだった。

 ところが、実際は、
娘は、今日仕事があった上、昼食をすでに済ませているという。
 この段階で、父は、大パニックに陥っている。

 父は、昔から、
自分が勝手に決めた段取り通りいかないと、
もう、頭の中が全てめちゃくちゃになってしまうのだった。

 そのことで、私は、子供の頃、
どれだけ理不尽な思いをしたかわからない。

 夕方、いきなり父に
「めし食いに行くぞ!」
と言われ、急な宣言に家族がバタバタしていると、
「ああ、もう、決めてた時間に遅れた!」
と機嫌が悪くなり、
険悪なムードの中、みんなで父の車に乗り込む。

 「焼肉屋な」
と言う父の言葉に、家族みんなが、
「昨日も肉だったから、もっとさっぱりしたもの食べない?」
と言うと、見る見るうちに父の体全体から湯気が立ちのぼり、
「何で急にそういうめちゃくちゃなこと言うんだよ!」
と、怒鳴りながら車を蛇行させ始める。

 「わかった、わかった、焼肉行こう」
とみんなでなだめると、
「あ〜! もう面白くねえ! 行かねえ!」
と、父は、急ブレーキ、急Uターンで家に引き返す。
 
 そして、いつまでもグジグジグジグジ言う父に、
まずは、母が切れ、父の首ったまに回し蹴りをする。
(これがまた、高く飛ぶのだ。さすが元浅草のスケ番)

 蹴られた父が、今度は、母につかみかかろうとするので、
それより早く、私と弟が、一斉に父に飛び掛かっていく。

 こうして、夜毎、家族の取っ組み合いが続くのだった。

 こういう育ち方をしてきたので、
父が、ちょっとでも段取りを狂わせたら、めんどくさい、
ということを、身をもってよく知っている。
 
 さすがに父も、70歳過ぎて取っ組み合いはしないが、
家に帰って、母にグジグジが始まるにきまっている。

 そうはさせまい、と、私は、すぐに
「行こう、ご飯。私もまだ食べられるから」
と、言った。

 しかし、父のパニックは収まらず、
(俺は腹ペコ、娘は満腹。俺は飯食いたい。娘はもう食った。
ああ、どうしようどうしよう・・・・・・)
と、はたから見ていても、
父の頭の上の
雲型の吹き出しの中に書いてあるのが見えるのである。

 父は、目が泳いだまま、
とりあえず、私を自分の車に乗せて、
自分の家までやってきた。

 そして、家のドアを開け、
玄関先でじっと耳を澄まして、母がまだ寝ていることを確認し、
また、
「どうしよう、どうしよう、ばあさん、まだ寝てる」
と言い始めた。

 「じゃあさ、じいが何か食べている間、
私、そこのメガネ屋でメガネ作ってるから、
ゆっくり食べてきなよ」
と、私は、助け船を出した。

 すると、父は、
「俺もメガネ作らなきゃいけねえんだった!」
と言う。

 「俺が『車運転しててよく見えない』っていったら、
ばあさん、メガネ作れ、って言うんだよ」
と、言う。

 「じゃあさ、一緒に作りに行こうか?
 その前に何か食べて行けば?
 私、先に行ってるから、後でおいでよ」
と私が言うと、
「じゃあ、俺も行く」
と、ついてきた。

 「ご飯食べなくていいの?」
と聞くと、
「う〜ん・・・・・・」
と煮え切らない返事をする。

 父の頭の上の雲型吹き出しを見てみると、
(腹減ってるけど、メガネ屋に1人で入るの怖いから、
お姉ちゃんと一緒に行くしかない)
と書いてある。

 (しょうがないなあ)
と、私も、自分の頭の上の雲型吹き出しに書き込み、
早速、徒歩30秒のメガネ屋に向かった。

 メガネ屋に入るのが数十年ぶりだと言い、
店の前で、もじもじして、
入るのをしぶる父を無理矢理引っ張って店に入った。

 テレビのコマーシャルでやっていた
物凄く軽いフレームを私が選び始めると、
店が暇だったせいか、すぐに店員が飛んできた

 「どうぞ、実際お掛けになってみてください」
と言われ、いくつかのフレームを試してみた。

 すると、軽い。
 本当に軽いのだ。

 しかも、3年前に買ったものの半額くらいの値段で売っている。

 こりゃあ買いでしょう、
と、本気でフレーム選びをしてると、
その本気が伝わったのか、
店員は、フラフラ歩きまわる父をほったらかしにし、
私ひとりに完全マークを始めた。

 「これって、遠近両用もオッケーですか?」
と店員に聞くと、
「はい。大丈夫です」
と言う。
 
 「さっそく視力測ってみますか?」
と聞かれたので、
「お願いします」
と答えた。

 測ってみてわかったのは、
老眼が出てきていることと、
遠くを見る視力は落ちていないので、
遠くだけを見る分には、今までのメガネで差し障りない、
ということだった。

 遠近両用にレンズを組んで、
おなじみの
「黒ぶちまんまるカトちゃんメガネ」
を掛けさせられる。

 「これで、しばらくその辺を歩いて慣らしてみてください」
と言われ、5分くらい、店じゅうを歩いてみる。

 「遠近両用は、下の方の一部が虫眼鏡みたいになっていて、
それ以外は、近眼用のレンズで、両脇は、ゆがんで見えますから」
と言われ、気をつけて見てみると、
本当にそうだった。

 脇がゆがんで見えずらいし、
下の方のレンズを通してみれば、近くはよく見えるが、
遠くの方は、また、遠く用のレンズに目を移すから、
近くと遠くを順番に見ると、
目が回るような、気持ち悪さがある。

 「慣れるのには、少し時間がかかるかもしれません」
と、店員は言う。
 
 「あのぅ、私、目が回りやすいので、
こういう歪みのキツイのはちょっと・・・・・・」
と言うと、店員は、
 「いまどきのメガネは、みんなレンズが横に細長くて、
小さい面積で2種類のレンズを組みこむので、
歪みがキツイんです。
 歪みのゆるいものをお望みでしたら、
こういう、レンズが大きいタイプのフレームがお勧めです」
と言い、流行遅れの「大きな縁」のメガネが差し出された。

 (あんまりオシャレじゃないなあ・・・・・・)

 もう小さいレンズに慣れてしまったので、
昔ながらの大ぶりのメガネに気が進まない。
 しかし、起きている間じゅう、視界が歪んでいるのも堪えられない。

 仕方なく、お目当ての小さくて軽いフレームをあきらめて、
おばちゃんぽい大きなフレームで形状記憶のものを選んだ。

 「じゃあ、これで」
と、そのフレームを店員に渡すと、
店員は、そのレンズに透明のシールを貼りつけ、
「ちょっと目の位置に印をつけますので」
と言い、私の目と目の間の距離だか目の高さだかをはかり、
そのレンズに貼ったシールに油性ペンで印を書きこんだ。

 「私、自転車で配達しているんで、
視界の両脇が歪んでいると、非常に危ないんですよね。
 やっぱり、近くの物を読む用に、
老眼専用のメガネに変更してもらっていいですか?」
と言うと、店員は、
「でも、配達中、遠くを見たり、近くを見たり、
そのたび自転車で2種類のメガネを掛け替えるのは、
大変じゃないですか?」
と言う。

 確かにそうだが、
今私が困っているのは、主に自宅内の作業だ。
 新聞や本の文字が見えないのと、
配達するものの住所や地図の数字が見えなくて、
仕分けに手こずる、ということなのだ。

 だから、家の中で、近くの物を読む時だけ老眼鏡を掛け、
配達のときは、今までのメガネを掛ければいいんじゃないか?

 結局、私は、「近々(きんきん)」という、
本当に手元だけが大きくよく見えるレンズを買うことにした。
 
 「中近」という、
手元とテレビくらいの距離まで見えるものも試してみたが、
手元の視界が「近々」より狭い気がしたので、
「近々」を選んだ。

 「あれ、これなら、2種類のレンズを組み合わせないから、
あの軽いおしゃれなフレームでいいんじゃないか?」
と思ったが、
一回選んだおばちゃんメガネに店員が油性ペンで
私用に印を書き込んでしまったし、
今更フレームの交換は無理だろうか?
 いやいや、レンズに貼った透明シールを剥がせば済むんだから、
ここは、やっぱり、気にいったフレームで作った方が・・・・・・

 私が、迷っていると、父が、
「おい〜、腹減ったよ〜」
と言って、物凄くせかしてくる。

 「ああ、ごめんごめん、ご飯食べに行っていいよ」
と言うと、
「いい」
と言って、食べに行かない。

 そのくせ、私がメガネを作っているのを
「早く早く」と、すぐ急かす。

 店員が、その一連のやりとりを苦笑して見ているので、
「あ、父もメガネ作りたいそうです」
と言って、父に水を向けてみた。

 すると、店員は、
(うるさい付添い人だと思ってたら、もうひとり客ゲット)
と思ったのか、
父に向って、
「視力測ってみましょうか?」
と聞いてきた。

 すると、何十年も視力など測っていない父は、完全にビビり、
「俺、無精ひげボーボーだから」
と、変な理由で視力検査を拒否している。

 「ひげと視力関係無いから」
と私が言うと、
店員も笑いながら、
「じゃ、測ります?」
と父に再び聞いた。

 しかし父は、
「ひげでよく目が見えないから」
と、意味不明の理由で拒否し続ける。

 「じい! 視力が分からなければ、メガネは作れないんだよ!」
と、私が注意すると、
「まだいい。俺、欲しいヤツ決まってるんだけど、
腹減ってるから、まだいい」
と言う。

 店員も、キョトーン、としてしまったので、
私は、フレームの交換を諦めて、
父にご飯を先に食べさせることにした。

 「じゃあ、この大きなフレームで、老眼用で」
と申し込み、金18900円也を支払い、
一旦、店を出た。

 1週間ほどで出来上がるらしいが、
何か悔いが残る。

 まあ、いっか。
 家の中で文字読むだけだから、
オシャレじゃなくても・・・・・・

 自分で自分に言い聞かせ、父に、
「じゃあ、ご飯食べに行こうか」
と言うと、
「うむ・・・・・・」
と言って、スーパーに車を走らせた。

 「先食べに行けばいいのに」
と言うと、
「いい。先に酒買ってから、別のスーパーで肉買うから」
と言う。

 結局、酒屋で酒を買い、
別のスーパーで私のウチ用に食料を買ってくれて、
自分の買いたかった肉などは、買わずじまいだった。
 スーパーでは、
 「これどうかな?」
 「じゃあ、これは?」
と、総菜売り場の寿司の折り詰めをあれこれ私に見せてきた。

 「別にどれでもいいんじゃない?
 自分で食べる分なんだから、自分で選べばいいじゃん」
と言うと、
「これかなあ」
と言って、おいなりさんや太巻きの入った長細い折りを買った。

 その後、実家に帰って、
すでに起床していた母にお茶を入れてもらって、
父は寿司を食べ始めた。

 その間、私は、母の淹れてくれたコーヒーを飲みながら、
遠近両用のメガネの歪みが我慢できなくて、老眼専用のレンズにした、
と報告していると、母は、大きくうなづき、
「そうそう! 遠近両用はくせが強いから難しいのよ」
と言った。

 しかし、老眼専用のレンズにした、
と言うと、父は、
「あ〜〜〜、もったいねえ!」
と叫んだ。

 「ただの老眼鏡だったら、100円ショップでも売ってるのに」

 すると、母が、
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
と笑った。

 「そんなおもちゃみたいのじゃダメだよ。
 目がダメになっちゃうよ、目に毒」

 と言った。
 そうか、やはり、高くても老眼専用を買って正解だったか。

 母の意見は、大抵、大筋で合っていることが多い。
 私は、フレームのことでちょっと後悔していたので、
少し安心した。

 「あ〜〜〜、まじい!!!」

 突然、父が叫んだ。

 「なんだ、この寿司、すっげえ、まずい!」

 空腹を散々我慢して、買い物を優先し、
やっとありついた食事がまずかったので、
父は、もう、がっかりして、
「あ〜〜〜〜〜〜あ!」
と言って、子供のように仰向けに床にひっくり返った。

 今日一日、自分の段取りが狂いすぎて、
もう父の頭は、ぐるんぐるんになってしまっているのだった。

 不穏な空気が流れだしたので、
母と私が目と目で合図し合った。

 「じゃあ、気が変わらないうちに、じいもメガネ作りに行こうか!」
 私が有無を言わさず言い放ち、
父の袖を引っ張って、再びメガネ屋に連れて行った。

 店は、先ほどと打って変わって、
大混雑していた。

 さっきは、丁寧に一対一で応対してくれたが、
今度は、いくら待っても、
何人かいる店員は、先客の応対に追われて、
こちらに目もくれない。

 仕方無く、私が父に
「気にいったフレームあったの?」
と聞くと、
「これ!」
と、ひとつのサングラスを指さした。

 度付きサングラスにする予定らしく、
やっときた店員に、その旨を説明し、
視力を測り始めた。

 私は、待っている間、
いろいろなデザインのフレームを何度も掛けては鏡を見て、
を、繰り返し、
「次に買うなら、やっぱり、この軽いヤツかな」
とか、
「思いきって、遊び心のある、ファッション性のあるフレームもありだな」
とか、いろいろ夢中になって選んでいた。

 すると、視力を測る一角から、
父の声で、
「斜め左下54度」(45度の間違いだろう)
やら、
「赤も青もよく見えねえ!」
やら、
「知らねえな」
などと、店員を困らすことばがいくつも聞こえてくる。

 疲れ果てた店員が、
「視力は測り終えました。次は、レンズをお選びいただきます」
と言うと、
父は、何種類かあるレンズからまったく選べずに、
ぽわ〜〜〜〜〜ん、とした表情で遠くを見ている。

 「じゃあ、これでいいんじゃない?」
と、私が言うと、
「うん、じゃあ、これ!」
と、無邪気に言う。

 「それでは、この書類にご住所とお名前と電話番号のご記入をお願いします」
と言われ、書類を書き始めた父は、
しばらく、背中を丸めて、じ〜〜〜〜〜っと固まって動かなくなった。

 「どうしたの?」
と、私が書類を覗き込むと、
父は、住所の漢字を書き間違えて、
正しいものに書き直そうとしたが、
全然思いだせないようだった。

 「ああ、私が書くから。ほんと〜に〜。自分の住所忘れるなって〜」
と言うと、
隣で同じく書類を書いていたおじさんが、
真正面にこちらを向いて、
(おれ、はじめて本物のぼけ老人見た!)
という顔で、父を見ていた。

 父は、生活力は、そこそこあるが、
勉強は、からっきしダメだったらしい。
 子供の頃、通信簿を見せると、決まって爆笑されたという。

 「度付きサングラスに普通の透明のレンズ入れたらダメなの?」
と口走る父に、
隣のおじさんは、またも父に向き直り、
「ほら、やっぱ、この人ぼけてるよ!」
という驚愕の顔で父を見ている。

 「ひげ剃ってきたから、今度は、よく見えたぞ!」
と笑う父に、
またも隣のおじさんは、
ゴムで弾かれたみたいにすごい勢いで
父の方を向いた。

 書類を少し書いては、椅子のキャスターを90度回して父に向き直り、
また、書類を書いては、キュキュッ、と90度向き直って全力で父を見る、
その隣のおじさんの動きと表情に、
私は、笑いをこらえることができなかった。

 父     「夜にサングラス掛けていいの〜?」
 おじさん (キュキュッ)
 父     「メガネの上にメガネ掛けていい?」
 おじさん (キュキュッ)
 父     「このメガネ、さかさまに掛けたら、もっとカッコイイ形なんだけどな〜」

 おじさん (キュキュッ)
 父     「俺、今まで見えてないまま運転してたの」
 おじさん (キュキュッ)

 (父も変だが、あんたもいちいち反応しすぎだろ!)

 私は、くっく、くっく笑いながら、
父に支払いを促し、
何とか父の度付きサングラスの注文も終わらせて帰ってきた。

 「付添い、ご苦労さん」
私をねぎらう母のひとこと。
 「だから私は、じいさんと一緒にどこかに行きたくないのよ! 馬鹿だから!!!」


 知らぬうち、疲労困憊していた私に、
母は、笑ってユンケルを渡した。

 あ〜あ!
 こりゃあ、いつじいさんボケても全然気づかないわ!!!



 (了)

(あほや)2011.6.7.あかじそ作