子だくさん 「45th 誕生日」
朝から子供たちが、
私のことを横目で見ながら
ひそひそ話している。
おそらく今日は、私の誕生日なので、
何かプレゼントの相談などしているのだろう。
しかし、今日は、
よりによって父の日と重なり、
配送業は、父の日のプレゼントの配達で大忙しなのだ。
おまけに駅前エリア担当者が休みのため、
私は、彼女のフォローで、
駅前の全事業所・全家庭あてのものをひとりで配ることになり、
本日の配達量は、かなり多い。
朝7時50分から荷物の仕分けを開始し、
500近くのお届け物を住所ごとに並べ、
マンションの部屋番号をすべて確認してから、
順路にそって袋に入れて行く。
それをすべて終わらせたのは、11時半。
それから、朝作っておいたおにぎりをふたつ、
お茶でぐいぐい流しこみ、出発した。
「お母さん荷物取りに何回か帰ってくるけど、
全部仕事終わるの夕方だから、
お腹すいたら、おにぎりとかパンとかチーズとか、
各自食べておいてね。
あ、レンジで料理して。 火、使わないでね」
そう言い残して出てきたが、
せっかくの日曜日に、子供たちだけで留守番させて、
どこにも遊びに連れて行ってやれないことが、
いつも心のどこかに引っかかっている。
よその家では、
子供が親に「お前」とか「ふざけんなよ」とか言ったりする、
と、よく聞くが、
うちでは、そういうことは一切無く、
大人げない両親に対して、
我が子たちは、非常に気を使い、従順だ。
そのことで、余計に申し訳なさを痛感させられる。
この子たちだって、
親にモノ申したいこともあるだろうに、
黙って親を応援してくれている。
夫不在育児20年、
息子たちの反抗期も、
母親ひとりで取っ組み合いやつかみ合いで乗りきって、
今がある。
もう、体力も気力も尽き果てて、
理不尽に感情を子供たちにぶつけてしまったことも多々ある。
自分のしたいことをしたいようにして、
言いたいことを言いたい放題言い、
わがままに青春時代を過ごしてきた私にとって、
我慢我慢の育児生活は、
修行を通り過ぎて、ある種、拷問でもあった。
子育て中の、この20年の間に、
失ったものは、数限りなくある。
しかし、それ以上に得るものもあった。
苦しければ苦しいほど、
経験値の上がり方も半端じゃなかった。
1週間前くらいまで、私は、
育児でも何でも、
少しでも心に引っかかっているものがあったら、
1秒でも早くそれを取り除くために躍起になっていた。
夫や子供たちにしつこいと思われながらも、
自分の気が晴れるまで、
とことん心の引っかかりを取る作業に没頭してきた。
しかし、何かの本で読んだか、
テレビで誰かが言っていたのか、
こんなことばを知ってから、考えが一変してしまった。
「大人とは、心にトゲが刺さったまま、生きていくものだ」
トゲは、痛いから、即抜きたいし、
痛いまま過ごすのは、耐えられないから、
ジタバタジタバタして、トゲ抜きに全力を尽くす。
しかし、大人は、そうじゃないのだ、と。
気になることは、気になるまま、生きて行く。
嫌なことや、耐えられないことと同居して生きる。
決してトゲを無視したり、逃げたりしているのではない。
自分の心の中に、
「圧倒的な課題」や「嫌な敵」を排除することなく飼い続け、
それらと常に対峙しながら生きて行く。
そう言えば、このことは、
子育て中に私が一番つらかったことではないか?
子供たちの持病である喘息の管理に忙殺されたり、
いじめた、いじめられた、というトラブルから
親同士のいじめに巻き込まれたり、
夫の生き方、考え方が好きになれず、
足並み揃えて子育てできないもどかしさに苦しんだり、
そういったことを、
私は、散々ジタバタした挙げ句に、
「もう、これ以上自分でどうこうしようとするのは、やめよう」
と、思った。
それを、私は、
「自分は、人生をあきらめたのだ!」
という、絶望だと思っていたのだが、
違うのかもしれない。
トゲが刺さったまま生きる。
それが大人なのだ、というのなら、
そう、私は、大人になったのだ。
絶望ではなく。
全てを受け入れて、次に進もうとしている。
45歳にしてやっと。
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新しいスニーカーを履いて配達の仕事をしていたら、
ゆるい靴の中で足が微妙に動いてしまったために、
両足をくじいてしまった。
夕方、足を引きずりながら、
へろへろになって帰宅すると、
末っ子の5歳の長女が、駆け寄ってきて、
小さい猫のぬいぐるみの入った包みを渡してきた。
猫のぬいぐるみの中には、
堅い芯棒が入っている。
「おかあさん、つかれてるから、これでマッサージしてね」
と言うので、
「これどうしたの?」
と聞くと、
「お兄ちゃんが買ってきて、『お前からおかあさんにあげな』って言ったの」
と言う。
三男が、自分の小遣いで買ったものを、
末っ子からのプレゼントとして渡せ、と言ったらしい。
三男らしい。
実に不器用、そして優しい。
続いて、四男が同じような包みを持ってきた。
「お母さんの好きそうな駄菓子を集めてみたよ」
四男は、得意のペーパークラフトでリスを作り、
リスは、折り紙で出来た小さなカーネーションを抱いている。
彼が幼稚園の時に、私が折り方を教えたものだ。
小6になっても、まだ覚えていたのか。
リスと駄菓子と一緒に、
小さな手紙が入っていた。
その中には、こう書いてあった。
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おかあさんへ
いつもありがとうございます。
お母さんは、
いつもあばれたりわがままを言っているぼくたちを
大切に育ててくれています。
ご飯の時でも面白い話をしてくれたり、
逆に悪いことをしたら、きびしくおこってくれて、
ぼくたちをわがままな子にしないために
いつもがんばってくれてありがとうございます。
これからは、勉強もがんばります。
なので、お母さんもお仕事をがんばってください。
これからもよろしくお願いします。
PS お父さんとこれからも仲良くしてね。
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途中まで、声を出して読み上げてた私は、
だんだん胸が詰まって読めなくなってしまった。
照れ隠しに冷たい麦茶でも飲もうと冷蔵庫を開けると、
そこには、三男からのプレゼントが入っていた。
シュークリームに
「おかあさん誕生日おめでとう!!
これからもいろいろお願いします」
と書いたメモが貼ってある。
こいつら〜〜〜。
みんなには、私の気持ちが伝わっていた。
半狂乱でなりふり構わず、
育児に身をささげた私に感謝してくれている。
私は、泣き顔を見られたくなくて、
「夕飯何にしようかな〜〜〜」
と言いながら、
しばらく冷蔵庫に頭を突っ込んでいた。
すると、ジーパンのお尻のポケットに突っこんでいた携帯電話が鳴った。
大学の寮に入っている長男からだった。
電話に出ると、
末っ子が長男に出したはがきが届いた、という連絡だった。
「べんきょうがんばってね」
という、幼稚園児のつたない文字と、
ハートとお星様満載の女の子の絵が、
僕をホームシックにする、と言って笑っていた。
電話を切る間際、ついでのように
「そうそう、お母さん誕生日おめでとう」
と言われた。
覚えてたの?
連日課題の提出に忙しいのに。
子供の頃から、
誕生日を祝ってもらったことなんて無かった。
だから、私は、誕生日を含めて、
記念日というものを意識しないようにして生きてきた。
散々期待していたのに、
忘れられたり、無視されたりするのは、
本当にみじめなものだから。
だから、今年も、
全然期待してなかったけれど、
いやはや、ガンガン来るな〜!
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夜中にひとり、
静かに深夜番組を見ていると、
友だちとディズ二ーランドに行っていた次男が帰ってきた。
「遅いぞ!」
と、一言苦言を呈そうとすると、
黙ってサッと、お土産を渡してきた。
イースター記念イベントのバンダナだった。
私が千葉の高校生だった頃、
ディズニーランドに行くたび、
毎回、記念に一枚づつバンダナを買っていた、
と、以前、次男に言ったことがあった。
それを覚えていて、誕生日に買ってきてくれたらしい。
「おお〜〜〜ありがとね〜〜〜」
明るくて可愛い柄に見入っていると、
帰宅した夫が控えめに何かを渡してきた。
私の大好物のサーティワンのキャラメルリボン、
しかもトリプルだった。
震災後、自営業の哀しいさだめで、
収入が激減したため、
かなり苦しいはずなのだが、
自分の買いたい物を我慢して買ってくれたのだろう。
「どうも・・・・・・」
ぶっきらぼうに言って、さっさとひとり、布団に入った。
45歳か。
やっと私も大人になれたのかな?
子供たちに、大人にしてもらったんだろう。
たぶん。
あと、不備だらけの夫のおかげかも・・・・・・
(了)
(子だくさん)2011.6.21.あかじそ作