「 大人への工程 」

 昨日、物凄く嫌なことがあった。

 長女の通う幼稚園で書いた七夕の短冊が、
近所のショッピングセンターに飾ってある、ということで、
長女と二人、車に乗って出掛けたときのことだった。

 いつものように、立体駐車場に駐車しようとした時、
いきなり後ろから激しくクラクションが鳴らされ、
後ろの車から降りてきた中年夫婦の妻の方が、
私の運転席のガラスを強く叩き、
窓を開けろと言う。

 そしていきなり、機関銃のように、こう叫んだ。

 「あんた! いつもこんな運転してるの?!
 え? え? え? 
 後ろに子供乗せてるのに、こんな危ない運転してるの?
 何何何? 急いでたの? 急いでたの?
 何で何で何で?
 あ〜、私たち殺されるところだった!
 子供乗せてるのにこんな運転する人に殺されるところだった!
 あ〜あ〜、何で何で何で?
 いつもこんな運転?
 こんな運転していて危ないと思わないの?
 え? え? え?」

 私の運転はいつも慎重で、
危ないことは大嫌いなので、
なぜ、何を怒られているのか全然わからず、
ぽか〜ん、としていると、
そのちょっとうすら笑いのような表情に、
おばさんは余計に腹が立ったらしく、

「わかってんの? あんた、自分のしたことわかってんの?
 殺す気? 私たちが怪我したら、どうしてくれる気?」

 と、息つく暇もなく叫んでいる。

 何だかわからないが、こりゃあ、逆らわない方がよさそうだ、
と思い、
窓をちょっと開けて、
「はい。すみません。すみませんでした」
と何度も言ったのだが、
明らかに私の顔が、
「何が〜?」
という表情だったため、
ますます火に油を注いでしまったらしい。

 「ちょっと! 番号教えなさいよ! 番号!」

 おばさんは、しきりに車のナンバーを覗き込み、

「番号教えなさいってば!」

と絶叫している。

 (え? 車のナンバーは、そこに書いてある通りですけど、
自宅の電話番号とか聞きだして脅そうとしてるの?)

 と、思い、
こりゃあ、思ったより面倒なことが起こったぞ、
と青くなった。

 大体、何が危なかったのか、
いまだに全然思い当たることが無いのだ。

 しかし、この手のヤカラは、
自分の感情が収まるまで、何度も同じことを繰り返し叫び、
全て吐きだすまで相手を解放しないものだ。

 ここは、じっと謝って嵐が通り過ぎるのを待つしかない。

 「すみませんでした。はい。すみませんでした」

 何度謝っても、
「すみませんじゃないでしょ!」
と言い、余計に怒る。

 (「すみません」じゃなかったら、何て言えばいいの)
と困惑するしかなかった。

 思ったことがありありと顔に出るタイプの私は、
きっと
「は〜? な〜にが〜?」
と言う、憎ったらしいうすら笑いを浮かべて続けていたのだろう。

 おばさんは、ますます怒り心頭に達し、
「番号を教えなさいよ!!!」
と叫んでいる。
 「大体、そこは、私たちが停めるところなんだからね!
 何無理矢理割り込んで来てんの?!」

 本当に厄介なことになってきたと思い、
「本当にすみませんでした」
と、学生時代演劇部で培った「作り表情」で言うと、
やっとおばさんは怒りを吐きだし切ったのか、
体を半分に折り、うちの車のナンバーに顔を近づけて、

 「はい、テメエの身元、チェックしたからな!」
というアクションと、目力で去っていった。

 車の窓を閉め、
おばさんとおじさんが見えなくなるのを確認すると、
後部座席の長女に
「怖かったね〜!」
と言うと、長女は、凍りついていた表情をやっと融かして、笑った。

 「変な人に攻撃されちゃったねえ! 気持ち悪いね〜!」
私が言うと、長女も、
「お母さん、何も悪いことしてないのにねえ」
と言う。

 そうなのだ。

 私は、いつも通り
空きスペースにお尻から駐車しようと、
切り返ししていただけだ。

 そこへ、おじさんおばさんの車は、後ろにぴったりくっついてきて、
私が車を切り返している間に、無理矢理、
そのスペースに頭から突っ込もうとしてきたのだった。

 「大体、そこは、私たちが停めるところなんだからね!」

 もう、これがおかしいのだ。

 狭い立体駐車場で、前の車が切り返すのは前提なのに、
その切り返している途中に、そこへ突っ込む方が危ないではないか?

 現に、運転していたおじさんの方は、
サッと、先に歩いて行ってしまっていて、
運転をしないおばさんの方が
「あたしが文句言ってきてやる!」
と、こっちに向かってきたのだ。

 免許を持っていないから、
自分側の過失に気付いていない。
 立体駐車場のルールも知らない。

 ただ、自分たちの停めたい所に
他のヤツがバックで突っ込んで来て、けしからん!
 ・・・・・・とだけしか感じていないので、
自分が間違っていることに気付いていないのだ。

 初めから、相手が馬鹿野郎なんだ、と思いこんでいるので、
もう、迷いなく、正義を振りかざして怒鳴りつけてくる。

 もう、「処置無し」なのだった。

 私は、突然の攻撃に打ちのめされ、
とても短冊をほのぼのと見る気持ちにはなれず、
「今度、あの怖いおばさんがいない時にゆっくり見に来ようよ」
と言って、そのまま発車し、
近所のスーパーに寄ってから帰宅した。

 「おかあさん悪くないのに、ひどい!」
 「何回あやまってもしつこく怒ってきてさ!」
と、母の受けたダメージに気付いた長女が、
家に着くまでずっと大きな声で叫んでくれた。

 「このままじゃ、お母さん警察に訴えられて犯人になっちゃうから、
ちょっと警察に言って、相談してくる」

 そう言って、長女を家にいる夫に託し、
すぐに車で地元の警察に向かった。

 夫には、簡単に事情を説明したが、
うんでもなけりゃ、すんでもない。
 返事もしないし、共感の声もあげない。
 ただ、「はあ」とだけ言って、ほぼ無反応だ。

 ああ、いつもこいつはこうだ。

 私が大きなダメージを受けた時、
めんどくさがって、かかわらないように、と、逃げる。

 若い頃、浅草でチンピラに難癖をつけられて、
私が背中を思い切り殴られた時も、夫は、
「すみませんすみません」
と、卑屈に頭を下げ続けたのだった。

 ああ、本当に私の配偶者は、
私のピンチの時に絶対守ってくれない。
 ピンチの時ほど無視をする。

 私は、おばさんに無実の罪でなじられたことよりも、
この世でたった1人の夫に、
無視という冷たい仕打ちを受けている方が、よっぽどショックだった。


 警察署は、日曜のため、
当直のおじさんがのん気に座っていた。

 私が青い顔で受け付けに立つと、
「どうしたの?」
と少し神妙な顔で聞いてきた。

 「さっき、駅前のショッピングセンターの駐車場でトラブルに巻き込まれて、
番号教えろ、とか、私たちが怪我したらどうしてくれるんだ、
とか、結構執拗に怒鳴られたり脅されたりしたんです。
 うちの車のナンバー覚えていたみたいなんですけど、
警察に問い合わせてきて、
うちの住所とか名前とか知られないでしょうか?
 ちょっと異常なテンションで、怖かったので、相談にきたんですけど」

と言うと、
「ああ、警察は、そんなこと教えないよ。
 大丈夫、大丈夫。
 連絡先教えて、それで向こうが脅迫してきたら、
こっちが共犯で捕まっちゃうもん。
 そういう時はねえ、すぐに警察に通報するか、
そこの警備員に連絡しな。
 当事者同士だと、絶対こじれるから」

 と優しく微笑みながら答えてくれた。

 「じゃあ、大丈夫なんですね」
と、私が震えながら聞くと、
「大丈夫大丈夫。
今度からは、困った時は、その場で警察呼ぶんだよ」
と教えてくれた。

 やれやれ。

 若干話を盛った感はあるが、
まあ、相手の息子とか知り合いがその筋の人とかだったら怖いから、
念のため、事前に相談をしておいてよかった。

 ただ、書類にしてくれるでもなく、
単に、口頭でアドバイス、というのがちょっと心配だが。

 そんなわけで、とりあえず家に帰り、
一息つこうとお茶を飲んだのだが、
カラカラに乾いた喉は、飲んでも飲んでも、
ちっとも潤わなかった。

 手を洗おうと洗面所に行くと、
鏡には、顔面蒼白の私の顔が映る。

 ああ、ただ、駐車場でおばはんに難癖をつけられただけなのに、
なぜこんなにも私は、寿命が縮むほどダメージを受けているのだ?

 子供の頃から、「頑張って優等生をしていた」私は、
ほめられるのが標準モードで、
叱られるなんてことは、もう、生死に関わる非常事態なのだった。

 もう、食事を作る気力も起きず、
夫にお願いしてカレーライスを作ってもらった。

 ああ、「あてにならない」とばかり嘆いてばかりいないで、
使えるところでは使わないと・・・・・・
 そうじゃないと、もう、
一緒に居ることが生理的に耐えられなくなってくる。
 夫を上手に使う、このことだけを考えて、しのいで行こう。

 誰もいない2階の和室で横になって目を閉じた。

 もう、疲れた・・・・・・

 一生懸命やっても、うまくいかない。
 我慢我慢で頑張っても、突然理不尽な仕打ちを受ける。

 もう、イヤだ。
 夫と出会ってからずっと、沈んだ気持ちが晴れない。
 結婚してから、笑うことがぐっと減った。

 私は、疫病神と結婚してしまった。
 何をやってもカラ回り。
 もうイヤ。
 もう、本当に、イヤ!


 突然、ふわっと、体に風が掛かった。

 目をあけると、長女が、タオルケットを掛けてくれていた。

 「おかあさん、きょうは、つかれたね。ゆっくりねてね」
 長女は、私の背中をそっとなでた。

 「ありがとう。今日、七夕の短冊見られなくてごめんね」
と言うと、
「たんざくみられるの、はずかしかったから、いかなくてホッとしたよ」
などと言う。

 「ありがとう・・・・・・」

 私は、幸せなのか?
 たぶん幸せの真っただ中なのだろう。

 そのことを、今の今、実感できない私が馬鹿野郎なのだ。
 夫がいたから、この子たちが生まれたんだろう?
 夫が稼いでくるから、この子たちは、ご飯が食べられるんだろう?

 疫病神は私の方じゃないか。
 幸せなのに、いつも薄幸ぶって、イヤな女だよ・・・・・・

 気は、晴れなかった。
 何を読んでも、何を観ても、
全然気が晴れなかった。

 ひとりでお風呂に入り、
静かに湯船に浸かって目を閉じた。

 すると、どこからか、声が聞こえてきた。
 いや、これは、自分の声か?
 自分の口から、思いもしない言葉が出てきた。

 「感情を排除し、この事項の要点をまとめよ」

 え?
 何、これ?

 「この経験から、ふたつの得るところを述べよ」

 は?
 ふたつって?

 私は、なぜか、スッと、今までの憂鬱な気分が晴れて、
まるで台本があるかのように、
何かを話しだした。

 「ひとつ。
 最近運転に慢心し、乱暴になってきていただろう。
 このままでは、取り返しのつかない事故を起こすところであった。
 これは、それを事前に防ぐための忠告である」

 え? 
 なになに?
 何言ってんの、私?

 「ふたつ。
 相手に逃げ道を作らないで、正論をまくしたてるのをやめよ。
 自分のしていることを、自分がされたらどうであったか?
 自分は常に正しいと盲信し、相手をやりこめることは、やめよ」

 え〜〜〜〜〜!!!

 私、何話しちゃってるの?
 怖い〜〜〜〜〜!!

 「傷つく者は、同時に、気づく者である。
 理不尽な仕打ちに、ただ傷ついて終わるなかれ。
 そこには必ず、いくつもの宝が含まれている。
 泣いてもよし。叫んでもよし。
 しかし、必ずその宝に気付き、つかみとり、己の物とせよ。
 それこそが、大人への工程である」

 はあ〜〜〜〜〜〜〜?!
 はあ〜〜〜〜〜〜〜?!

 ・・・・・・・・・・・・

 はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜?!

 何だ、これ〜〜〜〜〜?!


 いいこと言ってる!
 私、無意識に、物凄くいいこと言ってる!

 誰?
 誰が言わせてる?!

 何だよ、これ〜〜〜?!

 何かが私に降りてきて、文語調で何か、いいこと言った〜!!!

 不可思議・・・・・・

 しかし、何だ、この気持ちの晴れようは・・・・・・

 窓の外の厚い雲がみるみる強い風に吹き飛ばされて、
澄んだ月夜が見えてきた。

 ふかしぎ〜〜〜〜〜!!!


 でも、本当にそうだよ・・・・・・

 最近、運転に慣れてきて、雑だったよな・・・・・・
 ひやっとすることも何度かあった。

 誰かを轢き殺してからじゃ、もう遅いんだよ。
 よかったんだ、これで・・・・・・

 自分の運転を省みることができて。

 それから、私・・・・・・、
夫や子供に機関銃のように小言を言ってた。
 自分が間違ってるときもあったかもしれない。
それなのに、自信満々、正義を振りかざして、
しつこく責め立てていたけど、それ、もうやめよう。
 相手に良かれと思って注意してるつもりだったけど、
言われた方は、自己否定感しか残らないもの。

 あの怖いおばさんは、
誰の言うことも聞かない私に、
ダイレクトに忠告する使命を帯びて、
私の目の前に現れたのだ。

 そういうことにしておこう。

 それにしても、誰だったんだ、
私の口を使って、「いいこと」言ったの。



 【追記】

 「お父さん、若い頃浅草でお母さんが殴られてるとき、
へこへこ謝ってばかりで、全然守ってくれなかったんだよ!」

 と、昼間、中3の三男に愚痴った時、三男は、
「それは違うよ」
と、言った。

 「お父さんは、『あやまる』という攻撃をしたんだよ、お母さん。
お母さんがこれ以上殴られないように、下げたくもない頭下げたんだ。
 それがお父さんの戦い方なんじゃないの?」

 「うん・・・・・・」

 うちの子供たち・・・・・・
 私より大人なんだよなあ・・・・・・




  (了)

(話の駄菓子屋)2011.6.28.あかじそ作