「二世帯同居」



 夫のふるさとに帰省してきた。

 夫の父が亡くなった後、
夫の母と妹は、夫の弟の家に引き取られたので、
今回は、生家に帰ったのではなく、
新婚さんである、夫の弟の家にお邪魔することとなったのだった。

 そもそも、夫の家は、
末期がんの父と、脳出血の後遺症で左半身の不自由な母と、
20年前事故で障害者になった妹の3人で住んでいた。

 言語障害の残る母と妹だけでは、何かと暮らしも不自由だろうし、
男手の無い生活は、心配だ、ということで、
夫の弟は、生まれた家を売り払い、自分の家に引きとることにしたらしい。

 しかし、母は、左半身が不自由だが、
物につかまりながらとか、杖をつけば、結構普通に歩けるし、
聞き取りにくいけれども、しっかり会話もできる。
 トイレにも自分で行けるし、意外と元気なのだ。
 更に妹は、声が出にくいものの、
大きい会社の障害者枠で、
正社員として働き、きっちり収入もある。

 不自由ながらも、二人で暮らせないでもないのだが、
夫の弟が、母と妹を父から託されたか、
自分で「俺が面倒見よう」と思ったのか、
気の進まない母を説き伏せて、
半ば強引に自分の住む新築の家に呼び寄せたのだった。

 地デジ化になった日に、母と妹は、引っ越し、
私たち一家が訪ねたのは、同居10日目くらいだった。

 ところで、私は、以前、
母と妹が弟夫婦と同居することを聞き、
その家の間取り図を見せてもらった時から、
物凄くイヤな予感がしていた。

 母と妹には、ベッド二つ並べた6畳間があてがわれただけで、
二人用にミニキッチン等の設備は用意されていなかった。

 と、いうことは、
母と妹は、起きている間じゅう、
居間に座っているということになる。

 台所は、ひとつ。

 母と妹は、今まで、ずっと、
気ままに居間のソファーで居眠りしたり、
ご飯も食べたり食べなかったり、
甘いものを一日中だらだら食べ続けていたり、
だいぶ自由に暮らしていたので、
そういうふたりが居間にずっと居座っていたら、
弟の奥さんもたまったものじゃないだろうな、
と、思ったのだ。

 しかし、今回、その家に泊まりに行って驚いた。

 逆だったのだ。

 大家族が大勢で押し寄せて、食事の支度が大変だろうし、
いつものように私や子供たちが台所を借りて、
みんなの分の食事を作りましょうか? と聞くと、
台所は、弟の奥さんのルールがキッチリきまっているから、
触らないでくれ、頼むから遠慮してくれ、と、
弟から、きつく釘を刺されたのだ。

 良かれと思って申し出たのだが、
「ルールを守ってくれなければ迷惑だ」
というような調子だったので、
これは、だいぶ居心地の悪い家だろうな、と想像してはいたが、
行ってみたら、思った以上だった。

 着いた途端に、私と夫は、弟に呼び出され、
「夕飯はどうする」
と言われたので、
「街に出ていろいろ観光して来るついでに食べてくるから大丈夫」
と言うと、
「では、朝食は、どうする」
と聞かれ、
「自分たちの分は、買ってくるから用意しなくてもいいよ」
と言うと、
「兄貴たちに金を出させると俺が怒られる」
と弟は、言い、私が、
「一番安い食パンを1人2枚ぐらいと、牛乳とかを考えていたんだけど」
と言うと、
「いいから俺たちに任せてくれないか」
と、言う。

 「相談しよう」
と、持ちかけられたのに、
すでにもう、弟の段取りが出来ているようなので、
もう、逆らわずに、
「お願いします」
と言って、ニコニコ頭を下げた。

 悪い人ではないのだが、
夫の弟は、ワンマンだ。

 確かにいろいろ面倒見もいいのだが、
「俺が面倒を見てやるんだから」
と、何かにつけて言うので、何だか恩着せがましい。

 大体、こういうことは想像できていたので、
最低限の一泊二日で行こう、と決めていたが、
本当に、思った以上にお仕着せがましい。

 着いてすぐ、子供たちが水を飲みたがったので、
コップを借りて水を飲んだのだが、
飲み終わったコップを洗おうとすると、
「あ!!!」
と叫んで、
「そのまま置いておいてください!」
と、必死で止められたので、
やはり、奥さんは、台所を人に触られるのがイヤ、
というタイプのようだった。

 居間の奥のテレビの前で、
母と妹が、微動だにせず、
じっと固まってテレビを見るともなく座っていた。

 好きでそこに居座り、くつろいでいるようには、
決して見えなかった。

 その場所で、そうしていることしか許されていないので、
そうしている、という状態だった。

 私は、ついてすぐにそれがわかったので、
弟と弟の奥さんが買いものに出ている時、
「お母さん、大丈夫ですか?」
と、そっと聞くと、母は、泣きそうな表情をした。

 「女の人は、家が変わると体調を崩しやすいって言うし、
お母さん、気をつけてくださいね」
と言い、更に、
「あんまり遠慮しすぎないで、10年くらい住んでる気持ちで、
リラックスして暮らさないと」
と言うと、また、泣きそうな顔になった。

 ことあるごとに、
まるで、水戸黄門の印篭のように、
「あんたらの面倒を見てやってるんやから」
と、口に出す弟に、
母と妹は、そのたび肩をすくめて固まっていた。

 「面倒をみてやっているんだから、贅沢言うな」
 「面倒をみてやっているんだから、俺たち夫婦のルールに従え」

 と言い、ちょっとでも台所に入ろうものなら
妹は、弟にこっぴどくたしなめられ、けなされる。

 「もう、私しんどい」
と嘆く母にも、弟は、
「お母さんは暗いんや! 迷惑や!」
と、きつく戒める。

 そして、
「俺らが面倒見てやってるんだから、感謝しろや」
というようなことを、何度も言う。

 これじゃあ、たまったものじゃない。
 パワハラにもほどがある。

 立場の弱い母と妹は、
小さくなってソファーに肩寄せ合って座り、
口数少なく、じっとテレビを見ているような体勢で固まっているしかない。


 買い物から帰ってきた奥さんに、 
「私、何か手伝おうか?」
と持ちかけると、
「いえ! 何も! 自分らの食べるものだけですから!」
と、ピシャッ、と断られた。

 世間話を持ちかけると、感じよく会話するし、
とてもいい人なのだが、
台所のそこここに貼り紙があり、
「朝一番の浄水は10秒出してから」
「猫の餌は、一回50gです」
などと注意書きがあって、
思わず、(うわ〜〜〜っ)とひいてしまった。

 新築ということもあるし、新婚ということもあるのだろうが、
ともかく、水回りから何から、
「きち〜〜〜〜〜〜〜っ」っと、片付いていて、
まったく隙が無い。

 トイレや洗面所を使用するのにも、気が引ける。
 風呂には、なぜか謝りながら入った。

 とにかく、オシャレで、きちっとしていて、
全てに家主の厳しいルールが張り巡らされていて、
物凄く、物凄く、居心地が悪い家だった。

 朝起きると、
弟夫婦は、まだ寝ていたので、
あらかじめ用意されていた総菜パンを、
我々一家と妹とで食べた。

 大勢で牛乳やジュースを飲んで、
たくさんのグラスを使ったので、
怒られるのを覚悟で、ガンガン洗って干した。
 そして、布巾が無いので、キッチンペーパーで拭いて、
食器棚にちゃっちゃと戻してしまった。

 すると、それを見た妹が、
「怒られるよ・・・・・・食器洗い機で洗うルールだから」
と立ちすくんでいた。

 私は、言った。

 「だって、もう洗っちゃったもん。しょうが無いじゃん。
 あのさ、お兄ちゃんに怒られてもいいから、
『ごめ〜ん! えへへへへ〜!』って、馬鹿のふりして、
ガンガンルールなんてぶっ壊しちゃうんだよ!
 だって、これからここに住むんだよ。
 遠慮なんてしてたら、針のむしろじゃない?
 私、今、いろいろぶっ壊して怒られて帰ってあげるから、
これから少しづつ、自分たちのやり方を浸透させていくんだよ」

 すると、妹は、目を潤ませて、深くうなづき、
「お姉さん、相変わらず面白〜い!」
と言って、笑った。

 すると、そこへ、弟夫婦が
「おはよう」
と言って起きてきた。

 そこで私は、すかさず、大きな声で、 
「ごめ〜ん! コップいっぱい使ったから、勝手に洗ってしまっちゃった。」
と、笑いながら言うと、勢いに押されて、弟も、
「ああ、返って悪いね」
と、笑った。

 そして、更に、屈託無く笑いながら、
弟の奥さんに、
「台所のルールがちゃんとあるだろうに、ごめんね〜!
 やり方が違って気持ち悪いよね。ホントごめ〜ん!」
と言うと、
「いいんです、いいんです。すみません」
と、笑って言ってくれた。

 内心、(やめてよ〜)と思っているに違いない。
 でも、それは、感じないふりだ。

 ガサツで大雑把なオッカサンのふりを通して、
八方うまくまとめようじゃないか。

 妹の方をちらっと見ると、
(そうやるんやね?)という顔で私を見ていた。

 帰りしな、
心細そうにポツンと座る母にササッと近寄って、
背中をさすりながら、
「お母さん、マイペースですよ。もっと楽に楽に。体に気をつけて」
と言うと、母は、泣いてしまった。

 甘えん坊の母は、優しさに飢えている。
 厳しすぎる2番目の息子のことばに傷ついている。
 それでも愛している息子のことばに。

 甘えて、甘えられて、
そういうずぶずぶに依存しあう関係でしか
幸せを感じられない人だ。


 母は、もうすぐ50歳にもなろうとする最初の子供、
つまり、私の夫の頭を、
幼な子のようになでて、
「こんなに頭、真っ白になってしまって・・・・・・」
と、また泣いた。

 夫は、なされるがまま、
母の前でぺちゃんと正座し、
これまた幼な子のようになでられていた。

 溺愛親子は、いくつになっても溺愛親子だ。

 私は、いつもこの関係を、
馬鹿にしたり、軽蔑したり、怨んでいたりしたが、
この母の溺愛と、溺愛に甘んじる夫の関係を、
今回は、見て見ぬふりをした。

 この母の溺愛のオツリで、
私は、夫に溺愛されているのだ。
 ありがたいことに。

 愛すべき、バカげた溺愛親子では、ないか。

 半身不随のおばあちゃんに、
頭なでられてチュンとしている、白髪頭のとっちゃん坊やの図。

 ああ、あまりに滑稽で、泣けてくるわ。


 壁につかまりながら、玄関先まで送りに出てくる母と妹。

 バス停まで、暑い中、
汗をダラダラ流しながら送ってくれた、
弟と、その奥さん。

 みんないい人なのだ。
 悪い人など、この家には、1人もいない。

 ちょっと口が悪かったり、
ちょっと神経質だっかり、
ちょっと男気が過ぎたり、
ちょっと甘ったれすぎるだけだ。

 しかし、その、ちょっとが複雑に絡み合って、
あの家を、窮屈な家にしている。

 新築で、ピカピカで、息苦しい家に。

 帰りの新幹線の中で、私は、夫に言った。

 「あの夫婦に、
手のかかる双子の男の子が生まれればいいのに。
 そうすれば、あまりに大変すぎて、
みんなで台所しなくちゃいけなくなるし、
あちこちきれいに維持できなくなってくるし、
一家総出で子育てしなくちゃいけないから、
お母さんも妹も、居場所ができるよ。
 赤ちゃんや小さい子がいれば、
きっと、あの、大人だらけのシンとした息苦しさは消える。
 それが一番いいのに」

 子は、カスガイなんだ、マジで。

 新幹線の座席の、
横にも前にも座っている5人の我が子たちを見やり、
「子に過ぎたる宝なし」
と、あらためて思い直すのだった。

  

 (了)

 
(話の駄菓子屋)2011.8.9.あかじそ作