「 次男、オーストラリアに行く A 」


 次男の居ないわが家は、低血圧症の朝のようだった。

 静かで、そして、テンションが低い。
 淡々と時が過ぎ、そつ無く日々が流れて行く。

 ゆっくりしている。
 くつろげる。

 しかし・・・・・・。

 何か物足りない。
 つまらない。

 みんな聞き分けがよく、強く自己主張する者が、皆無。

 嗚呼、馬鹿が居ない。

 これでは、何だか、
毎日に引っかかりが無いじゃないか?

 つるっつるじゃないか!

 人生に摩擦無し。
 なんて、スマート。
 そして、何と退屈。

 あまりに平坦な毎日に耐えきれず、
思わず、三男四男長女を連れて、
普段行かない外食に出かけてみる。

 静かに食事を済ませ、
みんなおりこうに「お母さんごちそうさま」と言い、
何の事件もエピソードも無く帰宅した。

 なん〜〜〜〜〜〜〜だ、こりゃ?!

 つま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んね!

 オチが無いじゃねえか!
 オチが!!

 酒や、酒や、酒買うてこい!
 じゃなくって・・・・・・、
 次男や、次男や! 次男連れてこい!

 あいつ・・・・・・
とんだトラブルメーカーだと思っていたけれど、
いざ居なくなったら、つまんないじゃないか!

 あいつこそ、わが家のメインキャラクターなんじゃないのか?!

 身勝手で、
迷惑ばかりかけてきて、
凄くイライラするけれど、
居ないと、ホントに、つまんな〜〜〜い!!!

 長男は、大学の寮。
 次男は、オーストラリア。

 三男は、夏休みじゅう、塾の夏期講習に毎日詰めていて、留守。

 家には、大人しい四男と、しっかり者の長女。

 仕事で疲れ果て、居眠りする私に、
そっとタオルケットを掛ける四男と長女。
 私は、そのふわっとした風で目を覚まし、
薄眼を開けて様子を伺うと、
遠くからふたりの会話が聞こえてくる。


 「お母さん、疲れてるんだから、
『どこか行きたい』なんて、わがまま言っちゃダメだよ」

 「うん。・・・・・・でも、おともだちは、みんな、
なつやすみ、いろんなとこ、いってるの・・・・・・」

 「もう金沢行ったでしょ? おばあちゃんにも会ったじゃん。
 新幹線にも、特急はくたかにも乗ったよ。
 日本海も、富士山も、電車の中から見たよね」

 「うん・・・・・・」

 「面白かったよね?」

 「うん・・・・・・」

 「じゃあ、わがまま言ってお母さんを疲れさせないでね」

 「・・・・・・わかった」


 すまぬ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

 子らよ、すまなんだ〜〜〜〜〜〜!!!

 それにしても、なんて聞き分けのいい、
思いやりのある、我慢強い子たちなんだよ・・・・・・

 終始文句ばかり言う次男がちょっと席を外しているだけで、
母親の私は、まるでVIP待遇じゃないか。

 嬉しいけど・・・・・・これじゃ、あたしゃあ、女王様、
いや、わがままなダメ人間になっちゃいそうだよ!

 私が次男に口うるさくしつけしているようでいて、
実は、私が、次男にしつけされていたりして。

 というか、私と次男、似た者同士・・・・・・?!

 合わせ鏡?

 半身?

 え? 
 ちょっと待てよ!
 じゃあ、私もバカボンなのか?

 バカボンのパパじゃなく?
 バカボンが二人?

 いやだぁ〜〜〜!
 パパがいい〜〜〜!!!
 45歳の秋だからぁ〜〜〜!!!


 ・・・・・・などと、
いろいろ思うところの多い次男の居ない1週間が過ぎ、
いよいよ次男の帰ってくる日がやってきた。

 思いがけず、当日は、仕事がたてこんだ。
 配達量が非常に多く、
家を出る時間ギリギリまで、配達が終わらなかった。

 へとへとに疲れ果て、汗でずぶ濡れになった体に、
熱いシャワーでカツを入れ、
食事も食うや食わずで、最寄りのバス停まで走った。

 疲れているし、次男に内緒で高い特急料金を払って、
ひとりで楽して直行しようと思ったのに、
いざ切符を買う段になったら、
また京成本線経由のチンタラ行く電車を選んでしまった。

 ほんの2〜30分早く着くために、
1200円も払うなんて、やっぱり何だか勿体無い気がした。

 それならば、その1200円を使って、
今、家で心細い想いで留守番しているチビたちに、
お土産を買って帰りたい。

 そうなのだ。
 私が次男を迎えに成田空港まで往復する間、 
小6の四男と幼稚園年長の長女だけで、
夜の数時間、留守番しているのだ。

 次男は、もう高校2年生だし、第一、男なのだから、
自分ひとりで帰って来ようと思えばできるだろう。
 しかし、学校で、親の送迎が義務付けられているため、
家の方がはるかに心配なのに、
私は、成田にひとり、向かうことになったのだ。

 夫が、早めに仕事を切り上げて、
家に帰ってくれると言っては、いたが、
個人事業のため、急にお客さんが来たら、断れない。

 だから、夫を、あてにしては、いけない。
 
 とっとと次男を空港で拾い、早く家に帰らなくちゃ。


 ひとりで空港へ向かう行程は、
とてもとても長く感じた。

 知らない駅。知らない街。
 知らない土地を、知らない電車で、
どこまでもどこまでも進む。

 車窓は、夕景から夜景に移ろいでゆく。

 空港の駅に着けば、
入り口で身分証明書を見せろと言われ、
数年前に更新した免許証を提示する。
 写真の私は、
厚化粧で白目をむいて薄笑いを浮かべている。
 いかに素敵に写ろうか、と考えすぎて、
必要以上に緊張し、
無理やり「いい人そうな顔」を作ってみたら、
凄くやばい表情になっていた。
 怖すぎる。

 「やばそうな人だけど、まあギリギリオッケー」
と、許されたのか、
何とか到着ロビーに行きつく。

 電光掲示板には、次男の乗った飛行機が
今まさに着陸したことを示したところだった。

 入国手続きに1時間ほど掛かると聞いていたので、
私は、出口近くのドリンクショップで
アイスカフェラテを買った。

 出口の見渡せるベンチに座って、
ちびちびお茶しながら次男を待つつもりだったのだが、
朝からの仕事の忙しさで、
体内リズムが猛烈にアップテンポになっていたため、
座った途端、キンキンに冷えたカフェラテを、
味も分からぬほど速く、一気飲みしてしまった。

 「お腹痛〜い・・・・・・」

 便意をもよおし、急ぎ、トイレにて脱糞。
 成田空港にて、我、テリトリーの証たる匂いを残したり。

 ・・・・・・って、さっきから何やってんだ、私は?

 次男が帰ってくるのを、どぎまぎしながら待っている。
 また騒がしい毎日が戻ってくるというのに!

 最後の静かなひとときを楽しんだらいいじゃん、私ってば!


 今か今かと待っていたのに、
次男の高校の一行は、待てど暮らせど、
全然出てこない。

 途方に暮れていると、
いきなり、向こうの方が賑やかになっている。

 まさか?

 そのまさかだった。

 私の待っていたところと反対の出口から、
次男たち一行が出てきていたのだった。

 「うそ〜〜〜〜〜」
と、言いながら小走りでその集団のところまで行くと、
引率していた次男の担任の先生と目が合った。

 「あ、どうもどうも」

 何だかいい加減な挨拶をしてしまった。
 本来ならば、
「息子がお世話になりまして〜」
と、頭を深々と下げるべきところだったが、
普段お堅い背広姿の先生が、
アロハに、ビーサンに、サングラス、という、
見たこともないようなカジュアルなイデタチだったので、
調子が狂った。

 先生も、引率とは言え、
オーストラリア帰りなのだ。
 ゴールドコーストのビーチの風を、まだ引きずっている。
 生徒たちと同様に。

 生徒たちは、一様に、行きの時とは違い、
何か落ち着いた、やりきったようないい表情だった。

 そこで、目が悪いながらも一生懸命次男を探すと、
思いっきり胸に大きく【AUSTRALIA】と書かれたTシャツを着た、
ニコニコ顔の青年を見つけた。

 次男だ。

 コアラの模様が、これでもかこれでもか、と、
みっちりプリントされたトートバッグを肩から下げている。

 そのバッグの中からは、
明らかにカンガルーのぬいぐるみの尻尾らしきものが飛び出し、
頭には、オーストラリアの国旗の付いたキャップをかぶっている。

 嗚呼、恥ずかしいくらいわかりやすい、
絵に描いたような【オーストラリア観光客】。

 解散の声が掛かり、
私が次男のそばに寄って行くと、
今まで友だちと一緒にニコニコしていた次男の表情が一変し、
突然、不機嫌な顔になって、私に「蒸し暑い!」と、言った。

 「『ただいま』でしょうが〜」
と言うと、
「何だよ、ここ! あ〜〜〜、暑い! 蒸し暑いんだよ! あ〜!!!」
と、ひっきりなしに叫んでいる。

 「あっちは冬だろうけど、こっちは夏真っ盛りなんだから、当たり前でしょうが」
と言うと、
「あ〜〜〜、やっだっ、やっだっ。日本は、ヤダ!」
と、大声で言う。

 「何だよ、それ〜。面白かったんでしょ?」
と聞くと、
「サイコーだよ、オーストラリアは。・・・・・・それに比べて、日本は、何だよ!」


と、もう、憎たらしい顔で何度も言う。

 「ゴミゴミしてるし、人は多いし、暗いし、狭いし、暑いし、最悪!」

 「京成は、ゴミゴミしてるのがいい所でしょうが〜。
バーバのふるさとでしょう? 下町は。
 それにねえ、暗いのは夜だからだし、暑いのは、夏だから!
 狭いのは、日本だからしょうがないでしょ!
 お母さんのせいじゃないっつーの!」

 「あ〜〜〜、イヤだイヤだ! 帰りたくなかった!」

 「何なんだよ、さっきから! 機嫌悪!」

 「だって、こんな国、うんざりだよ。オーストラリアの方が好き!」

 「おいおいおいおい、ゴールドコーストと京成を比べるのは酷だろ!
 誰だって、ビーチで何日ものんびりしてたら、そっちの方がいいわい」

 「も〜〜〜〜お! 帰りたくない!!!」

 「だだっ子か!」

 次男は、電車に乗っている間、終始、仏頂面で文句ばかりだった。

 私が、
「ホストファミリーとちゃんと英語で会話できた?」
とか、
「向こうで風邪治ったの?」
とか聞いても、一切返事もせず、
「あ〜〜〜、イヤだイヤだ」
とばかり言っている。

 (昨晩から仕事を前倒しして、
迎えの時間に間に合うように必死に頑張ったのに、
何なんだ、お前のこの態度は・・・・・・)
と、内心腹が立ったが、ここは、ぐっと我慢して、
「楽しかった?」
と聞くと、
「さっきまでは、ね」
と、これまた、にくったらしい顔で言う。

 (こんのやろ〜〜〜)

 保護者説明会では、先生たちが、
「帰ってきたら、子供たち、変わりますよ〜」
とか、
「『こんな貴重な体験をさせてくれてありがとう』って言われますよ」
とか、言ってたけれど、
ど〜こ〜が〜〜〜〜?

 ますますわがままになって帰ってきたんですけど・・・・・・


 そうこうするうちに、
電車は、ラッシュ時間帯のターミナル駅に滑り込んだ。

 4人掛けの向かい合わせの席に、
次男と私は、二人で座っていたのだが、
ホームに人が大勢並んで待っているのが見えたので、
スーツケースに寄り掛かって大股広げて座っていた次男に
「人いっぱい乗ってくるから、詰めなさい」
と言うと、
「詰める、ってなに!」
と言って、全然動かない。

 「詰めて、他の人が乗れるように、
もっと、窓寄りにスーツケース寄せて、
ひとり分席開けなさいよ」
と言うと、
「荷物多いから無理!」
と言って、言うことを聞かない。

 やがて、ドアが開き、
大勢の人が、車内になだれ込んできた。

 このご時世だ。
 キツイ仕事に精魂尽き果てて、
ぐったり疲れたお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんたちが、
どどどど〜っ、と、こちらの席の方にも押されてきた。

 「ほれ! 詰めなっ!」
 私は、次男の足をスーツケースごと、ひざでグイッ、端に寄せた。
 次男は、よろけながら窓の方に寄った。


 そこへ、ひとりの痩せたサラリーマンのおじさんが、
「いいですか?」
と聞いてから、申し訳なさそうに、そっと座った。

 「どうぞどうぞ」

家族のために、今日も一日頑張ったお父さん。
見たところ、虚弱体質、胃腸も弱そう。
 疲れもいっぱいたまっているでしょうに、
朝から晩まで、一生懸命働いて、
ああ、ああ、お疲れ様、お疲れ様。

 座って、座って。
 どうぞ座って。

 しばしの間、腰をおろして、
その体をお休めくださいな。


 よおよお、次男よ!
 見ろや! よく見ろって。
 さあ!

 これが、ニッポンのラッシュアワーなんじゃ、コラッ!
 ザッツ、ジャ〜パ二〜ズ、キタセンジュだっちゅうの!

 いつまでもゴールドゴーストやブリスベンじゃないぞ!

 お前の生まれた国は、ここなんだぜ!!!
 目をそらすんじゃないよ!!!


 夫からメールが来た。
 最寄り駅に車で迎えに来てくれているらしい。

 次男が無事到着したかどうか心配しているので、
無事どころか、終始 「ジャパンが気にくわねぇ」とほざいている、
と返信すると、苦笑の絵文字が返されてきた。

 かくして、駅に着き、夫の車にて自宅に到着すると、
遅くまで起きて次男の帰りを待っていた三男四男に、
次男は、やっと笑顔になり、
「お土産だぞ〜!」
と、例のコアラのトートバッグを広げ始めた。

 「はい、ふたりには、これだ!」
 次男が、そのお土産を差し出すと、
今まで「わ〜いわ〜い」と言っていた三男、四男が、
ピタッ、と静まった。

 どう見ても、
どこの100円ショップでも売っているようなキーホルダーだった。

 「あ、ありが・・・・・とう・・・・・・」

 「なんだよ、リアクション、薄いぞ! はい、次は、お母さん!」
 手渡された物は、
コアラの着ぐるみを着たキューピーのキーホルダーだった。
 裏には、メイドインタイランドと書いてある。

 「あ・・・・・・ありがとね・・・・・・」

 「はい、これはお父さんに」
 これも、日本の観光地でよく見る、ご当地キューピーだった。

 「これ・・・・・・、どこで買ったの?」
聞けば、主に日本人向けの土産物を売る、
某有名土産店だった。

 どうりで、日本人受けしそうな、
日本の観光地で売っていそうな、
どこかで見たことあるような、
どこでも買えそうなものばかりだった。

 「あ、そうなんだ・・・・・・ふ〜ん・・・・・・」

 まあ、現地人も行かないような危ないマーケットとかで
トラブルに巻き込まれながら
何か珍しい物を仕入れて来られても困るが、
それにしても、残念であった。

 しかも、
「マカダミアナッツだけは勘弁してよ、大っ嫌いだから」
と、言っておいたのに、
マカダミアナッツを大量に買ってきやがった。

 こ、こやつは・・・・・・!
 人の話を一切聞いていないな!

 広々していて、のびのびしていて、
美しい景色で、ルッキンググ〜な人々に囲まれていた日々から、
いきなり蒸し暑くてゴミゴミしてて胴長短足人間たちの国に戻り、
わざわざお土産を買い与えてやっているというのに、
どうにもリアクションの悪い日本の家族に対して、
ついに次男は、キレた。

 「あ〜あ! 最悪! もうオーストラリアに帰りたいよ!!!」


 言うまでもないが、次男の帰る家は、日本のこの家しかなく、
「オーストラリアに帰りたいよ!」
というのは、文法的にも、常識的にも、明らかに間違っている。

 したがって、家族全員、そのセリフに「ぽか〜ん」としていたが、
次男本人は、全然違和感を感じていないようであった。

 それからしばらくの間、わが家では、
「あ〜あ、もうやんなっちゃったなあ!」
という場合には、
「あ〜あ! オーストラリアに帰りたい!」
と言う慣用句が使われるようになったのだった。

 帰国後、
なぜか、ぷんぷんぷんぷん怒ってばかりいる次男に、
私は、嘆かずにはいられない。

 こんなにお前に気をもんで、
お前のために身を粉にし、
お前の幸せを望んでいるというのに、
何なんだ、お前のその態度!

 あ〜あ! 
 あたしゃあ、オーストラリアに帰りたい!!!



 (つづく)

(子だくさん)2011.9.20.あかじそ作