「 怪我ウイーク 」



 家に男の子が大勢いれば、怪我も多い。

 長男は、頸椎捻挫、
次男は、胸部打撲、左手小指骨折、
三男は、頭部打撲と5針縫合、脛がY字に避けて数十針の縫合、鞭打ち、万年捻挫、
四男は、頭部5針縫合を2回やっている。

 これらは、彼らの【代表作】であって、
実際は、もっといろいろな怪我をあちこちに負っている。

 救急車出動も一度や二度じゃない。
 どういうわけか、大抵、怪我をするのは、
医者の外来がやっていない土日祝日の夜間だったりする。
 
 市の救急問い合わせに電話しても、
大抵、近くの病院は受け入れ拒否で、
自力では行けないような遠い病院を指定されるので、
結局、救急車を呼ぶように指示され、
いつもの大騒ぎになるのであった。

 特に中3の三男は、1秒もじっとしていられない気質で、
病的なまでに、常にばたばたばたばた動き回っている。

 おそらく、精神科に掛かれば、
「多動」と診断されることは必須だ。

 そういうわけで、その日も三男は、
「学校で友達とふざけていて首痛めた」
と言いだした。

 前にやった鞭打ちほどではない、ということで、
近所の接骨院に行き、
電気をかけられ、湿布をもらってきた。

 それでも、しばらくは、
接骨院で借りてきた氷嚢で、
首の後ろ側を冷やし続けていないと、
痛くてじっとしていられなかった。

 「首は大事だから、気をつけてよ〜」
と、言っていたら、翌日、小6の四男が、
「友だちの家でホッピングで1000回跳んで、ひざ痛いよ〜」
と言いながら帰ってきて、
その晩、その痛い膝を風呂場のドアに強打し、
右のひざ小僧を横にスパッと切った。

 四男と一緒に入浴していた三男の悲鳴を聞きつけ、
風呂場に駆けつけると、
四男の右ひざからタラタラと血が流れていてた。

 「とりあえず、体を拭いて、服を着なさい」
と言い、救急箱を用意して待っていると、
四男が、ふるえながら出てきた。

 「消毒するから、ちょっとここに座って」
と私が言うと、四男は、ひざを曲げて座ろうとした。

 ところが、ひざを曲げると、
切り口がぱっかり口を開き、真っ白なひざの骨がのぞいたではないか。

 「こりゃあかん。立って、ひざ伸ばして」

 私は、急いでそのまま消毒し、
ガーゼを貼って、包帯を巻いた。

 救急問い合わせに電話をすると、
珍しく、近所の公立病院が診てくれるという。

 聞けば、当直は、消化器科の先生で、
外科専門ではないが、それでもいいなら、縫います、
ということだった。

 命に関わる大手術でもないし、
女の子の顔面、というわけでもない。
 運よく、男の子のひざ小僧みたいなところなのだから、
とりあえず縫ってくれるのであれば、文句は、ない。

 「お願いします」
と言って電話を切り、急いでその病院の診察券を財布に入れた。

 四男は、自分のひざの骨を見て、
ふるえが止まらなくなった。

 「だいじょぶ、だいじょぶ。これくらい、すぐ治るから」
と、笑いながら肩を抱き、
夫の運転する車で、夜間救急に向かった。

 前回、ここに四男を担ぎこんだ時は、6年前で、
急性胃腸炎をこじらせまくって、昏睡状態になり、
面会謝絶になるほどの状態で入院した。
 今回は、ちょっと縫えばいだけだから、親も落ち着いたものだ。

 この子らは、みんな、持病持ちで、
怪我だけでなく、病気でもたびたび担ぎ込まれるのだった。

 「夜間にすみませ〜ん。よろしくお願いしま〜す」
と、慣れた調子で頭を下げ、3針ほど縫ってもらった。

 「やれやれ、まあ、とりあえず、よかったね」
と、家に帰ると、
茶の間で寝てしまった5歳の長女と、三男とが待っていた。

 「あれ、寝ちゃったんだ」

 四男が運ばれて行ってから、
長女は、ずっと泣き通しで、
小さい兄ちゃんに手紙を書くんだ、と言い、
しばらく号泣しながら何か書いていたらしいが、
日付が変わる頃には、力尽きて眠ってしまった、
と、三男が教えてくれた。

 四男に、
「手洗いうがいをして、痛み止めを飲んで、もう寝ようね」
と言い、四男の脇を支えて一緒に洗面所に行くと、
次男が、体じゅうから湯気をもわもわ立ちのぼらせながら、
風呂から出てきた。

 「なになに? 怪我したって?」

 四男が怪我した時、次男は、子供部屋で寝ていたので、
ことの次第を知らなかったが、
長女の号泣で目を覚まし、三男に事情を聞いたという。

 でも、全然驚いていない。

 本当に、年がら年中なのだ。
 こんなことが。


 翌日、なぜか長女が、幼稚園を欠席した。

 寝不足と、泣き疲れで、ぐったりしてしまっていたし、
今日は、半日保育なので、行ってもすぐ帰る。
 ここは、無理せず、休ませることにした。

 「お兄ちゃんが怪我をして足を縫ったりして、
ちょっとばたばたしているので、今日は、休ませます」
と幼稚園に連絡すると、
幼稚園の先生方が、
「え? え? え? どのお兄ちゃん? 何番目?」
と、みんなで大騒ぎになり、
翌日、夫がバスの先生に物凄く質問攻めにされたらしい。

 うちの5兄弟は、みんな同じ幼稚園に行っていたので、
ベテランの先生たちの間では、わが家は、有名なのだ。

 あの、大人しくて痩せてる○○君か?
 はたまた、あのひょうきんな△△君?
 それとも、あの落ち着きの無い▲▲君?
 いやいや、あの図工の得意な●●君じゃないのか?

 喧嘩か?
 交通事故か?
 まさか虐待ではないだろうけど、
一体どうしたんだ?
 大丈夫なのか?

 ・・・・・・と、大騒ぎになっていたという。

 事情を話すと、先生方にももれなく連絡が回ったらしく、
バスのお迎えで会うたびに、
いろんな先生に
「●●君(四男)大丈夫ですか?」
と声を掛けてもらった。

 ありがたいことだ。
 卒園してもずっと、可愛がってもらっているとは。

 こう思うと、幼稚園の先生というのは、
本当にかけがえの無い存在だ。

 まだバブバブしている年端も行かない赤ちゃんたちを預かり、
下の世話あり、お勉強あり、しつけもありで、
無事に学校に上がるまでに、
愛情かけて育ててくれるのだから。

 そして、卒園後も、子供たちの身を案じてくれる。

 もう、本当に頭が上がらない。

 ・・・・・・などと、感傷にひたっていた昼下がり、
いきなり、三男の通う中学から電話が掛かってきた。

 「あのぉ・・・・・・お子さんがお友達の★★君に足を掛けられて、
廊下で後頭部を強く打ちまして、意識がもうろうとしているので、
救急病院に運ぼうと思うのですが、
お母さん、お迎えに来られますでしょうか?」

 先生の恐縮しまくった連絡が入った。

 あ〜〜〜〜、来たか。

 こういう怪我は、なぜか連鎖する。
 とりあえず、三男が、誰かを怪我させたのではなく、
怪我した方だ、というので、正直、気が軽かった。

 あの先生のもじもじ加減で、
三男が加害者かと思ったので、一瞬、肝が冷えた。

 余裕たっぷり、コーヒーをゆっくりと飲み干し、
「さてと」
と言って、家を出た。

 たぶん、大丈夫だと思う。

 家族に何か大変なことがあるときは、
私は、必ず、ひどい胸騒ぎがする。
 
 今日は、全然胸が騒がないので、大丈夫だと思う。

 病院に行くと、入口ロビーで
三男と、中学の保健の先生にばったり会った。

 ちょうど、受付の人に案内されて、
救急処置室に向かう途中だったようだ。

 「あ、お母さん、どうもすみませんでした!」
 保健の先生は、恐縮して、頭を深々と下げた。

 「いえいえいえいえ、こちらこそ、先生、
またまたお手数おかけして、申しわけありません!」

 前回、学校で脛をY字に裂いた時、
救急車を呼び、この病院に三男を連れてきた、同じ先生だった。

 三男が、学校で喘息発作を起こし、
呼吸困難になった時も、お世話になった。

 もう、毎度毎度おなじみなのであった。

 「もう、いつもいつも、本当にすみません、先生!」
 と、また頭を下げると、
「いえいえいえいえ」
と、先生も、頭を下げる。

 なぜ、こんなに先生の腰が低いのかというと、
学校で我が子が怪我をした、となると、
多くの親が発狂したようになり、
「学校では、先生は、何を見ていたのだ!」
「大事な我が子を預けているのに、なんてことをしてくれたのだ!」
「管理不行き届きだ!」
「責任を取れ!」
「教育委員会に訴える!」
「ネットで社会に公表する!」
・・・・・・という流れになるのが、
もはや、当たり前になっているご時世だ。

 そこまでエキセントリックにならないまでも、
親が、先生や、怪我をさせた相手の子供と、その親を呼びつけて、
謝罪を要求するのが、一般的になっているのだ。

 下手をすれば、治療費だけでなく、
慰謝料だ、何だ、と、
お金がらがらみの要求をしてくる親もあり、
先生方も、生徒の怪我には、
とても神経質になっているように見える。

 救急外来の待合室に行くと、
今度は、学年主任の先生が駆けつけてきた。

 「あ、先生まで、すみません! 忙しいのに!」
 「いえいえいえ、本当に、お母様、申し訳ございませんでした」

 学年主任も、真っ蒼な顔で土下座せんばかりに頭を下げる。

 「いえいえ、こちらこそ、本当にいつもすみません」

 と、しばらく頭下げ合戦が続いた。

 その間、もうろうとしている三男が、
椅子に座って、ボ〜ッ、と宙を見つめていた。

 「大丈夫?」
 と、声を掛けると、三男は、
「お母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」
と、申し訳なさそうに何度も言った。

 「え? 何で?」
と聞くと、
「お母さん、弟の消毒に毎日病院通って疲れてるし、
『イヤな予感するから、みんな気をつけな』
って、僕、朝言われたばかりなのに」
と言う。

 ああ・・・・・・
 そうだったっけ。

 やっぱり、今週は、怪我ウイークだったんだ。

 そう言えば、今朝、私も、配達の仕事中、
普段ならありえないような場所で、
高校生の自転車と正面衝突したのだ。

 危ない危ない。

 もはや、怪我注意報ではなく、
怪我警報に変更しなければならない。

 そうこうするうちに、医者が駆けつけてきて、
問診が始まった。

 三男に怪我の経緯を説明させていたが、
次に意識レベルを確認するために、いろいろな質問を始めた。

 「君、生年月日は?」
 「・・・・・・セイネンガッピって、なんですか?」
 「え? 大丈夫か? 誕生日のことだよ」
 「ああ、8月2日です」
 「何年の?」
 「え? わかりません」
 「わかんないの? まずいなあ・・・・・・平成何年?」
 「知りません」

 若い医者の男の先生は、脳の損傷を疑い、
神妙な顔になった。

 「じゃあ、西暦なら何年かな?」
 「セイレキって、何ですか?」
 「ええええええ〜?!」

 これには、医者だけでなく、
親も、付き添いの先生たちも言葉を失った。 

 「えっと・・・・・・じゃあ、今から言う数字を逆から言って。3652」
 「6352」
 「ん? もう一回。3652」
 「63・・・・・・52」 
 「ええ? そうかぁ?」

 医者は、頭をひねり始め、
三男の頭や肩を入念に触って調べ、
「じゃあね、CT撮りましょうね」
と言って、検査室に行くことになった。

 私と、三男と、付添いの先生ふたり、計4人が、
CT検査室に行く間、私が、
「脳の損傷を調べるつもりが、馬鹿がばれたな!」
と三男に言うと、

「もう、お母さんてば・・・・・・」
と、保健の先生がまず苦笑いし、

「息子のあまりの馬鹿さが露呈して、
ショックで私の方が脳の損傷負いそうですよ!」 
と私が笑うと、
今まで神妙な顔をしていた学年主任の先生も吹き出し、
少しほっとしたような表情になった。

 先生たちは、脳の損傷も心配だったが、
親のご機嫌も同じくらい心配だったのだろう。

 気の毒に・・・・・・

 検査の結果、脳にも、頭蓋骨にも異常は無かった。
 ただし、後からじわじわ出血することもあるので、
しばらくは、気をつけて、経過を観察するように、とのことだった。

 この説明、何度聞いたことだろう。
 もう5回目くらいかもしれない。

 まあ、とりあえずは、良かった。
 先生たちも、心底、ホッとしているようだった。

 何かあったら、もう、大問題に発展するところだったのだ。

 医者は、CTの写真を指し示しながら、
今のところ異常が無いことを説明したのだが、
三男本人が、浮かない顔をしているので、
もう一回、生年月日を聞いてきた。

 「生年月日は、もうわかった?」
 「8月2日です」
 「平成何年の?」
 「わかりません」
 「う〜〜〜ん」

 医者が困っているので、思わず私がフォローした。

 「あのぅ・・・・・・頭打つ前から、こんな感じです」
 「あ、そうなんですかぁ?」 

 医者も、ホッとしていた。

 「西暦の意味は、わかった?」
 「【誕生日】のことですか?」
 「えええええ?」

 「先生、すみません、元からです、元から!」
 「ああ、そうなんですかぁ・・・・・・」

 診察室は、笑いに包まれた。
 しかし、三男本人は、全然笑っていなかった。

 おそらく、心配症の三男は、
『僕、死ぬんじゃないか』と思っている。

 「先生、本人、死ぬと思ってます」
 「ええ? そうなの?」
 「だって、テレビで、頭打って時間経ってから死んだ、ってやってたし」
 「テレビは、面白いことしかやらないんだって。実際は、そういう確率は低いんだよ」

 「でも・・・・・・」
 「確率は、ゼロじゃないけど、ゼロに凄く近い数値だよ」
 「でも、僕・・・・・・」
 「まず心配いらないと思うよ。赤ちゃんや年配の人なら確率高くなるけど、
15歳じゃ、まず後から何か起こるってことは、無いんじゃないかな」
 「う〜ん・・・・・・」

 延々、医者になぐさめられている三男。
 脳外科の先生も、救急で呼び出されて、
よくもまあ、このおバカさんにつき合ってくれているではないか。
 いい人だなあ!

 「先生、ホントに何と言うか、ありがとうございます〜!」

 私たちは、深々と頭を下げて、診察室を出た。

 三男は、足を引っ掛けた友だちの心配をしていた。
 きっと、友だちは、物凄く叱られるだろう。

 いつも自分が叱られる立場だから、よくわかるようだった。

 それを聞いて、私が先生に、
「足を掛けた子をあまり叱らないであげてください」
と言うと、先生は、
「いえ、これは、しっかり指導しないといけないので、
お気持ちはありがたいのですが、きつく叱るつもりです」
と、神妙な顔で言う。

 「今度、立場が逆になった時には、
お子さんをきつくしからなければなりませんし」
とも言う。

 「そうですね。
いつも怪我したり、怪我させたり、
という雰囲気の中に居る、
ということが、一番の問題ですよね」
と私が言うと、先生も深くうなづいた。


 さて、一件落着したところで、先生にもお引き取りいただき、
ふたりで会計に行こうとすると、
中学生と、そのおばあちゃんらしき二人組に前を立ちふさがれた。

 足を引っ掛けた子と、そのおばあちゃんだった。

 「このたびは、本当に大変なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
小柄なおばあちゃんは、私の胸元に飛び込み、
何度も何度も謝ってきた。

 中学生も、三男と私に気まずそうに、謝った。

 「いえいえ、いいんですよ。何でもなかったんですから」
と言うと、
「ああ、よかった。でも、お支払いをさせて下さいね」
と、詰め寄ってきた。

 「いえいえ、いいんですよ。ちゃんと保険も出ますし、心配ありませんから」
と、お断りしても、全然、後に引かない。

 私と三男が、ソファーに座って会計係に呼び出されるのを待っていると、
出口付近で、まるで刑事が張り込みでもするように、
こちらをじ〜〜〜〜〜〜っと見つめて待ち構えている。

 「お母さん、凄い勢いでおばあちゃんがこっち見てる」
 「払うつもりだな」
 「お金なんて要らないよ〜」
 「そうだよねえ。なんか、イヤだよねえ、お金もらうのなんて」
 「だって、あっちは、けっこうお金持ちだよ。
 親が共働きで、いつもいなくて、
 おばあちゃんが子供の世話してるの」
 「ああ、そうなの? じゃあ、余計にお金受け取りたくないな。
 貧乏だけど、うちにもプライドあるもんね」
 「うん」
 「お母さん、受け取らないよ、いいね」
 「うん!」

 会計で番号を呼ばれ、5760円払った。

 CTを撮ったせいか、結構高かった。
 おととい四男が救急で縫合処置を受けて、
その時も7千円ほどかかったので、ダブルで痛い。
 今月、大ピンチなのに、医療費すごいよ・・・・・・

 会計を済ませ、三男のいる椅子のところに戻ると、
突然、私の右手は、後ろ手にひねられた。

 「え? え? え?」
 びっくりして周りを見回すと、
あの、小柄なおばあちゃんが、領収証を持つ私の右手を、
ひねり上げるように掴み、数枚の紙を取り上げていた。

 「おいくら?」

 「いえいえいえいえ、受け取れませんから」

 私は、椅子に戻るまえに、
領収証だけは、無意識に財布に入れていたようだった。

 点数計算などの紙を見たおばあちゃんは、
「無い! 無い! 領収証が無い! いくらですか?! 教えて! 教えてよ!」
と、私の腕を両手でつかんで、離さない。

 三男が、「頭がふらふらする」と言っているので、
早く帰って横にさせたいのに、
「払うまで帰りません!」
と、おばあちゃんは、私の腕を強く掴み続け、
一歩も動こうとしない。

 「いやいやいや、お金なんて要らないですって。これから仲良くしてもらえれば」
と、相手の中学生の方を見て、
「ね? 仲良くしてね」
と言っても、
「絶対に払いますから!」
と、本当に、全然譲らない。

 「いやいや、お金なんて受け取ったら主人に叱られますから〜」
などと、ちょっと昭和っぽいことを言ってみたくなって、
実際言ってみたが、
おばあちゃんも負けていない。

 「叱らないわよ! 主人なんて関係ない!」
と、言う。

 「お金の問題じゃないんです」
と、三男が言うと、
「あんたは、関係ないでしょ! 黙ってて!!」
と、おばあちゃんは、三男を目で強く制した。

 「えええええ〜〜〜〜〜」

 ちっとも三男の心配などしていないようで、
とっとと弁償して、
一刻も早く、自分の孫の負い目を無くそうと必死なのだ。
 
 そこで私は、少し真顔で、
 「お金じゃなくて、私も息子も、お孫さんに仲良くしていただきたいだけなんです」

と言った。
 そのことばの裏には、
「もう怪我させないでね」
という意味が含まれていることに、おばあちゃんは、やっと気付いたのか、
「ほら、あやまりなさい!」
と、初めて怖い顔で孫に言った。

 孫は、小さい声で、「もうしません」と言ったが、
「そっぽ向いて言わないの! ちゃんとお顔見て!」
とおばあちゃんは、厳しく言った。

 孫が、「もうしません。すみませんでした」と言うと、
おばあちゃんは、また急に私の腕を捕まえて、
「ですから払わせてください〜〜〜!」
と、だんだんイラつきながら食い下がるのであった。

 「おばあちゃんの気持ち、私、わかるんです。
 私が逆の立場だったら、きっと、払った方が気が楽だと思うんです。
 でも・・・・・・受け取りたくないし・・・・・・ねえ、どうする?」

 私が、三男の顔を見ると、首を横に振っているので、
「やっぱり受け取れません」
と言うと、
「それじゃあ、この後、何度も謝りに伺わなきゃならないじゃないですか?!
 あらためてお詫びに、いくばくか包まなくちゃいけなくなるんですよ!」
と、おばあちゃんは、【笑いながら怒る人】になっている。

 (怖い〜〜〜〜〜)

 もう、早く帰りたかった。
 三男も、痛い頭を抱えて苦笑している。

 「じゃあ、わかりました。今回だけは、受け取ることにします。
 でも、もう、これっきりにしてくだいね。お友達同士なんですから」
と言い、領収証を財布から取り出すと、
おばあちゃんは、それを目にも留まらぬ速さで奪い取り、
「えっ!」
 と、短く叫び、(思ったより高額だったのだろう)
急いで自分の財布をガサガサやり出したのだが、
「5千円札無いわ! 万札と千円札しか無い!」
と、パ二クッている。

 そして、「ええい! いいわ!」と言って、万札を私に掴ませてきた。

 「いやいや、これはダメですよ。本当にもう、いいんですって」
と、返すと、
「じゃあ、オツリ・・・・・・オツリもらうのも変ね。えっとえっと・・・・・・」
と、慌てまくっている。

 そうかと思うと、何を思ったか、
会計窓口に凄まじいスピードで突進し、
苦笑する職員に詰め寄って、無理矢理両替してきた。

 「じゃあ、これで! これで!!!」
と、5千円札と1千円札を渡してきた。

 「おつりは、いらないです」
と言うおばあちゃん。
 それは、「おつりください」に聞こえた。

 運良く、私の財布の小銭入れの中に、240円ぴったり入っていた。

 「はい、ぴったりおつりあります。これでいいですよね」
と言うと、おばあちゃんは、素早くおつりをしまい、
「じゃあ、どうも!」
と、きびすを返し、こちらに背中を向けて、
私がまだ1メートルの距離にいるというのに、
孫に向かって、「相手のお母さんいい人でよかったね」
と言いながら、とっとと歩いてゆく。

 「へ?」

 いやいやいやいやいやいや。
 ばあちゃん、詫びる気ねえな・・・・・・

 私は、おばあちゃんに聞こえるように、
「孫を思う愛に負けました」
と言ったが、おばあちゃんは、知らん顔で、
とっとと歩いて病院を出て行った。

 それを小走りで追う孫は、何度かこちらを振り返り、
気まずそうに、頭を下げた。

 
 「お母さん、疲れたよ。甘いものでも食べたい」
 病院のロビーにあるコンビニの前で、めずらしく三男が甘えてきた。

 「いいよ。ロールケーキでも買おうか」
 「うん!」

 帰りの車の中で、私が、
「すげえばあちゃんだったなあ!」
と言うと、三男は、
「僕の怪我なのに、逆にキレられてさあ、何か、もやもやするなあ!」
と言うので、
「そういうのを【釈然としない】と言うんだよ」
と言ってやった。

 「生きているとねえ、釈然としないことの連続だよ。
 でもねえ、いちいちイラついて、もやもやしてさあ、
人を憎んだり、責めたりしてたら、前に進めないからさあ、
そういうときは、大きな声で
『釈然としねえな〜〜〜〜〜〜!!!』
って、叫んで、それっきり、そのことは忘れちまいな!
 これは、入試には出ないけどさ、覚えておいて損は無いよ」

 そう私が言うと、三男は、だまってうなづいた。

 そして、車の窓を大きく開け、
広い田んぼに向かって、
「釈然としねえぞ〜〜〜〜〜!!!」
と叫んだ。

 「すっきりした?!」
と聞くと、
「頭いてえ」
と言った。


 翌日、学校から帰ってきた三男に、
「学校で本人と話した?」
と聞いて見ると、
「うん」
と言う。

 そして、こうも言った。

 「『おめえのカーチャン、アンジェラアキに似てんな!』って言われた」


 なん〜〜〜〜〜〜〜じゃ、そりゃ!

 ほめてんのか、なめてんのか?

 あの、一連の押し問答の間、
当事者の孫は、
「この人アンジェラアキに似てんな〜」
と、そればかり思ってたわけだ。

 確かに、その日は、メガネかけて、
ボーイッシュな格好してたけどさあ・・・・・・。


 は〜〜〜〜〜〜ん。
 は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。


 なんか、釈然としないよ〜〜〜〜〜〜〜〜う!!!!!



  (了)

(子だくさん)2011.10.11.あかじそ作