「 素材が気に障る 」


 以前から気には、なっていたのだが、
最近、ことに気に障るものがある。

 【素材】だ。

 【物の素材】が気になって仕方ないのだ。

 特に、プラスティックや、ビニール、合板、化学繊維などが、
な〜〜〜んか、イヤで仕方ない。

 これらは、加工しやすいし、腐食しにくく、非常に便利な素材であり、
現代の社会の中では、中心的素材になっている。

 したがって、どの方向に視線を向けても、
必ず視界の中にいくつも入りこんでいるはずだ。

 しかし、このつるっとしていて、半永久的に腐らず、
自ら体温という物を持たぬこの物質たちに、
どうも私は、ストレスを感じてしまう。

 同じようにつるっとしていても、
陶器には、この不快感は抱かない。

 陶器には、土の体温というものを感じることができるからだ。

 あっちを見てもこっちを見てもイライラしてしまう毎日の中で、
時々、「ふ〜〜〜〜〜〜っ」と、
長い息を吐きだせるような場面に出会えたと思うと、
そこにあるのは、いつも、
木だったり、草だったり、木製製品だったりするので、
きっとこれは、人工的な物質に対しての、
一種のアレルギーのようなものなのだろう。

 木、紙、綿、麻、籐のツル、たたみいぐさなどは、
見ても、触っても、使っても、
知らず知らずのうちに心を慰めてくれる。

 自然素材というやつは、
人工的な生活にどっぷり浸かった我々人間に、
一瞬、自らの自然を思い出させてくれるのだ。

 しかしながら、自然素材というものは、
放っておけばすぐ腐るし、
腐らないようにするためには、
手間暇かけて手入れをしないといけないし、
めんどくさいと言えば、めんどくさい。

 しかし、腐ること、朽ちること、というのは、
すなわち【生きている】ということの証拠で、
つまり、腐っていない限りは、
生命力を放っている、ということなのだ。

 人工的な素材=便利な生活であり、
忙しいこの時代には、必要なことだし、
電気やガスに頼った現代にとっては、
不可欠な素材には違いない。

 これらの素材無しには、我々は、今を生きていけない。

 しかし、今の時代のような、
複雑で気難しく、ヒステリックで、
みんな自己防衛に必死になっている世の中において、
我々は、日々、命を削りながら生きているようなもので、
気の休まる時が無いのは、確かだ。

 気が休まることが無いから、また、
気難しく、ヒステリックになり、人を責めまくり、
その責めから逃れるために、
自己防衛に必死にならざるを得ないのだ。

 こういう時代だからこそ、
命に直接触れる【衣食住】の道具は、
生きているもの、つまり、木や紙や土などを、
自然破壊しないように、ちょっとだけ分けてもらって、
使うべきなんじゃないだろうか?

 自然素材を使うことによって、
気付かぬうちに、日々の心の細かい傷を治し、
人間らしい生き方に修正されるのではないか?

 素朴で温かい物に対して、「田舎くさいと」感じ、
それが逆にストレスに感じる人も大勢いるだろう。

 しかし、やっぱり、今の今、必要なことは、
このギスギスした世の中を、
血の通った温かいものに変えてゆくことであり、
それができるのは、
これからの世の中を作っていく人間、つまり、
今、そこでテレビを見ながら、
ひっくり返ってゲラゲラ笑っている子供たちなのだ。

 この懐の中にあり、
互いに体温が伝わり合うこの子供たちを、
強く温かい生命力の塊に育て上げられるのは、
私たちオカーチャンだけなんじゃないのか?

 偉い政治家でも大企業でもなく、
オカーチャンにしかできないことなんじゃないのか?

 おむすびを握ってあげたり、
子供の顔を覗き込んで笑ったり、
ふわっ、と肩を抱いたり、
そういうちょっとした小さいことの積み重ねが、
世の中を変えていくんじゃないか?

 畳を上げて陰干ししたり、
障子紙を貼り替えたり、
布団を干したり、シーツを敷いたり、
上履きを洗って干したり、
洗濯物を干したり取り込んだりたたんだり、
そういうことの繰り返しが、
自然素材に呼吸をさせ、
子供たちに生命力を吹き込み、
幸福な明日を作っていくのではないか?

 日々のオカーチャンのパタパタした働き、
一見不毛な、非生産的な仕事の繰り返しが、
実は、一足飛びに未来を明るくしていく
一大事業なんじゃないだろうか?



 今日、私は、
プラスティックのケースを捨てた。
 便利で、長く使っていたものだ。

 ちょっと押したら、すぐに角が折れて、
「あ〜あ!」と叫んだら、
子供たちは、すぐに「捨てれば」と言った。

 「安いからまた買えば」と。

 しかし、私は、
もう同じものを買わないだろう。

 長く使っても愛着を持てなかった、
哀しい素材の命を惜しむ。

 哀しき人工物との、生まれなかった絆を惜しむ。

 このままだと、人と人も、
生まれない絆の中で生きてくことになる。

 そういう時代を惜しむ時が来ぬように、
さっきまではダメ母だった自分に喝を入れる。

 お日さまがまだ高いうちに、
布団を干してみることから
始めようと思う。
  
 インスタントな幸福など、無いのだから。


 (了)

(しその草いきれ)2011.11.29.あかじそ作