「 全とっかえ 」 |
朝、目を覚ますと、 見知らぬ部屋のベッドの上にいた。 都心のホテルの一室のようだ。 確か、昨晩は、 自分の家の自分の布団に入ったはずなのに。 こんな妙な状況でありながら、 私は、とりあえずテーブルの上のお茶セットを使って緑茶を淹れ、 窓の外の景色をゆったりと眺めてみた。 少なくとも、この部屋は、20階以上の高さだ。 遠くまで街が見下ろせ、富士山も遠くに見える。 一口お茶を飲んで、 その湯呑をテーブルに置こうとしたとき、 テーブルの端に小さなメモがあるのに気が付いた。 その紙切れには、金色の縁飾りが印刷してあり、 また、文字も飾り文字で、何か御大層にいろいろ書かれている。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 【クリスマス特別企画! 大人のプレゼントキャンペーン】 ご当選おめでとうございます。 いつも当社の【もちもちほわ〜り食パン】をご愛顧いただき、 ありがとうございます。 シール10000枚コースにご応募いただき、 厳正なる抽選をした結果、あなた様が当選いたしました。 今回は、プレゼント内容を【サプライズ】とさせていただいておりましたが、 次のような内容のプレゼントをお贈りする運びとなりましたので、 ぜひ、お受け取りいただければ幸いです。 ★プレゼント内容 次のいずれかを「お取り換え」できます。 どれかひとつを選択し、一階ロビー受付までお知らせください。 コース@:家族 コースA:仕事 コースB:過去 コースC:能力 コースD:思考 ※ただし、一度選択されたものは、変更できませんので、ご了承ください。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 なにこれ? 一瞬、意味がよくわからなかったが、 この部屋で焚かれている心地よいアロマの香りが、 「ま、いっか」 という気持ちにさせてしまう。 さて、どれを「お取り換え」しようか? 家族? 仕事? 過去? 能力? 思考? これは、・・・・・・一週間限定、みたいなことだよねえ? どこかに、【期限】とか、書いてないのかしら? ん? ちょっと待てよ? 「家族」や「仕事」なら、 期限付きで、交換体験みたいなことをするのは、わかる。 でも、「過去」とか、「能力」とかは、どうするんだろう? それに・・・・・「思考」って、どうやって交換するのだ? こんなもの、人からどうこうされて変えられるものじゃないのに。 私は、メモを手にとって、よく見てみた。 すると、先程は気付かなかったが、 裏側に、物凄く小さく【注意書き】が書いてある。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 【注意】 ※一度「お取り換え」した後は、二度と元には戻れません。 また、「お取り換え」以前のものは、自動的に消去されますので、 ご了承ください。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ちょっと待てよ。 何だ、これ? マジのヤツか? 確かに、夫も子供も、私に多大なストレスを与えてくるし、 「もっと理想の夫と理想の子供たちだったら、どんなにいいだろう」 と、日々思っていたが、 実際、交換して、違う夫や子供に替わってしまったら、 もう二度と会えないというのか? 夫はともかく、子供ともう会えなくなるのは、絶対にイヤだ。 「家族」のとっかえは、無しだな。 「仕事」の交換か・・・・・・。 今の仕事は、かなりキツイが、自分には、合っている。 人が思うよりも、自分にとっては、「いい仕事」だと思う。 他にもっと素敵で、聞こえのいい仕事もあるけれど、 私は、今の仕事が気に入っているし、このままでいいわ。 「仕事」のとっかえは、無し。 それから、「過去」の取りかえか。 ううん・・・・・・。 消したい過去は、山ほどある。 ずいぶん、恥の多い人生を生きていると思う。 しかし、今まで生きてきた道のりは、 それなりに愛着がある。 あんなことも、こんなことも、 「これからやれ」と言われたら、まっぴらごめんだけれど、 もう、自分は、その経験を済ませてきた。 我ながら、よく頑張ったと思っている。 だから、この勲章を手放したくはない。 だから、「過去」のとっかえは、無し。 次は、「能力」。 能力か。 才能があれば、好きな道に進めるだろう。 少なくとも、今より華々しく、 今より経済的に豊かなことは確かだ。 しかし、これには、執着は無い。 自分は、自分の分に合ったものを持って生まれてきているのだし、 才能は、ポンとひとから渡されるものではなく、 自分の中にあるものを見つけ、磨くことで育つものだ。 だから、私にも、まだ、未開、未磨の能力があるはずだから、 これを交換したいとは、思わない。 だから、「能力」は、違う。 では、「思考」? 「思考」って・・・・・・どういうことなのだろう? 考え方をガラッと変えられる、ということなのか? 他人の力で? 自分の思考を? 交換? って、なにそれ? う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん。 いいかも・・・・・・ 私、最近、疲れすぎていて、思考がこう着状態かもしれない。 小さいこだわりに縛られて、息苦しくなっていたり、 細かいストレスに追いまくられて、 大事なことをすっ飛ばしていたりしている。 夫にも、不満たらたら。 子供たちの一挙手一投足にもイライラ。 仕事の責任もかなりプレッシャーだし、 過去の失敗に、今でもくよくよしている時もある。 もっと才能があれば、こんな毎日じゃなかったのに、 なんて、自分の無能を呪ったりすることもある。 でも、今、私は、 そのどれをも、交換したくない、手放したくはない、 と思っている。 今の自分を幸福だとは、胸を張って言えないけれど、 今までの自分の足跡を全肯定するほど、 不幸でもない。 今までの自分は、今までの自分の思考が作ってきたものだ。 生きてきた道のりで、何度も何度もわかれ道の前に立ち、 選択を繰り返してきた結果、今の自分の生活がある。 誰かが強制的に「こう生きろ」と決めつけてきたわけではない。 今までだって、ずっと、自分の選択だった。 岐路に立つたび、いつもこうやって、 後戻りできない「コース選択」を繰り返してきたではないか。 だから、今、このサプライズプレゼントだって、 決して、突飛なことではないんだ。 もう、過ぎてしまったことは、どうしょうもないから、もう振り返らない。 問題は、これからのことだ。 これからをもっと面白く生きるには、 やっぱり、ここは、「思考」の交換しかない。 思いつめる性格、悲観的で非行動的な性質を交換し、 新しい「思考」で、 明るく、前向きに生きていこうじゃないか。 私は、メモの【コースD:思考】に大きく丸を付け、 メモを強く握って、部屋を勢いよく出た。 《3年後》 私は、高層ビルの最上階のオフィスで、 濃いコーヒーを飲みながらリラックスしていた。 あれから私は、自分の生きたいように生きることにし、 明るく、前向きにずんずん突き進んできた。 今までの地道な生活の経験から、 女性がイキイキと生きられるようなシステムを考案し、 あちこち銀行を回って必死に提案して、理解を得、資金を調達した。 そして、社会に斬新な機構を構築して、事業が成功したのだ。 子供に暴力をふるい、働かない夫と別れ、 志を同じうする仕事のパートナーと再婚した。 ああ、あの時、「思考」を選択してよかった。 目の前の何かを一個一個を交換するよりも、 自分のこれからの考え方を換えれば、全てが換えられるのだ。 自分の望むような、自分の進みたい道へ進めるのだ。 ==================== 朝、目を覚ますと、 いつもの家のいつもの布団の中にいた。 台所に行くと、まだシールは、375枚しか集まっていなかった。 夢だったのか? いや、夢じゃない。 私は、今自分で自分の「思考」を交換する。 そして、これからの人生を交換するのだ。 《3年後》 私は、いつもの茶の間で、 濃いコーヒーを飲みながらリラックスしていた。 夫は、地道に働くようになり、子供たちとも仲良くやっている。 私と言えば、 今までの地道な生活の経験から、 女性がイキイキと生きられるようなシステムを考案し、 あちこち銀行を回って必死に提案して、理解を得、資金を調達した。 そして、社会に斬新な機構を構築して、 事業は成功した。 古い一軒家を立て替え、 犬を飼い始めた。 3年前と、何も変わっていないように見えるわが家だが、 何もかもが換わったようなわが家でもある。 (了) |
(話の駄菓子屋)2011.12.6.あかじそ作 |