「 いまどき青年 」


 長年使っていたヤカンの取っ手が取れそうになっているので、
6歳の長女と一緒に、新しいヤカンを買いに行った。

 今まで使っていたヤカンは、典型的な笛付きヤカンで、
もう5年以上前に、肝心な笛が壊れて取れてしまった。

 今や、笛無し笛ヤカンと化したそのヤカンは、
湯が湧くと、そのフナのような太い口元から、
「どぼぼ」「どぼぼぼ」と、音も無く熱いよだれを噴き出し、
熱くなったガスの五徳に掛かって
「ズチャ〜」「ズチャチャチャ〜」と、激しい湯気を巻き上げていたのだった。

 本来、笛の付いていたその注ぎ口は、
言うまでも無くまん丸でぶっとく、
レギュラーコーヒーをドリップさせるのには、
極めて不向きだった。

 しばらくは、湧いた湯を急須に移し、
その細い注ぎ口でドリップさせていたのだが、
忙しい朝や、ちょっとした空き時間でのドリップに、
いちいち「ヤカン→急須→ドリップ」という
ややこしい行程を踏むことがだんだんおっくうになってきて、
今では、ヤカンからダイレクトに、どぼどぼとドリップし、
いい豆を使っているにもかかわらず、
非常に大味なレギュラーコーヒーになってしまっていた。

 そうだ。

 今度ヤカンを買う時には、
多少高くついても、ドリップケトルを買おう、
そう心に強く誓っていたのだった。

 何軒かの雑貨屋を回り、
オリーブ色のドリップケトルを4200円で買った。

 若い頃は、フィーリングで雑貨を選んでいたので、
多少使い勝手は悪くても、
愛着のある愛すべき道具たちに囲まれて、
気持ちよく暮らしていたのだが、
結婚してからは、
好みでなくても「安い物」「合理的な物」ばかり買ってきた。

 だから、家じゅうのどの雑貨を見ても、
ちっとも、ときめかなかった。

 ただ、必要だからその道具を使い、
必要だから置いてあるだけだった。

 好きでも何でもない物たちに囲まれて暮らしていても、
ちっとも、ときめかない毎日だったし、
ときめかない毎日を20年過ごしているうちに、
自分自身に対しても、価値の無いような存在に思えてきていた。

 しかし、これでは、全然つまらないじゃないか、
と最近、強く思うようになってきた。

 物や金に自分を選んでもらうのではなく、
自分の意思でそれらを選び、使っていかなければ、
自分自身が「道具」に成り下がってしまうような気がするのだ。

 そんなわけで、金も無いのに、
迷わず4200円のドリップケトルを即決で買った。

 レンガ張りのうちのコンロ周りにぴったりだ。

 長女も、「これがいいんじゃない?」と、
私が見つけるのと同時に、そのケトルを指さしたのだった。

 やれやれ、気に入った物を買うと、
お金の損失感が不思議と無いものだ。

 いくら物が安く手に入っても、
イマイチ気に入らない物を買った時には、
後にイヤな損失感が胸の裏側にべったりと張りついていたりする。

 物を買うということは、金額の問題では無く、
やはり、ときめきの問題だと、つくづく思い知ったのだった。

 そんなわけで、
「いい買いものしたね〜」
と、長女とふたり、ほくそ笑みながら、
近くのマクドナルドに入ると、そこそこ混雑していた。

 ケバイ女子高生数人のたむろする席の隣?

 いやいやいやいや、怖い怖い怖い。
 というか、香水臭い。

 殺気立って受験勉強している男の人の隣?

 いやいやいやいや、怖い怖い怖い。
 殺気立ち過ぎ! 必死すぎ!
 至近距離では、絶対にくつろげないって!

 異常にベタベタしているカップルの隣?

 いやいやいやいや、怖い怖い怖い。
 よくぞこれらの面構えで、
見つめあってトロケ合えるな、
という、グロいルックスのおふた方。

 隣に座るの・・・・・・何かイヤ〜!

 ということは・・・・・・

 熟年夫婦と、おとなしそうな男子大学生二人の、
間の席しか無いだろう!

 長女を、ソファーの方の席に座らせ、
二人でハッピーセットを食べていると、
男子大学生の方から、聞き捨てならない言葉が次々聞こえてきた。

 「『人間としては、いいと思うけど、恋人としては、無理』とかさ、
『あなたとの未来が描けない』とかさあ、
もう、ありふれた別れ話の捨て台詞のオンパレードでさあ、
もう、黙って聞き続けるしかない状況でさあ」

 「うん・・・・・・」

 「俺としても、言いたいことは、あったけど、
もう、それを言いだす雰囲気でもないからさあ、
もう言うなりに別れたということなんだよね、ははははは」

 「ふ〜ん・・・・・・」

 話している方の男の子は、あくまでライトタッチで語り、
聞き手の彼との間の、
今の雰囲気を重くしないように気を使っているのがわかった。

 しかし、結構、重症の心の折れ方だということは、
初対面の私にも見て取れた。

 一方、聞き手の彼も、
そういう深手を負った友人に対し、
どうなぐさめていいものか、どう触れていいものか迷い、
結局、小さくうなづくことしかできない、
という状況だった。

 この二人の大学生、
きっと関係は、浅く、
さぐりさぐりで付き合っているのだろう。

 「俺、つらいんだよぉ〜」
と、泣きつく事もできなければ、
その友人の方も、
「よしよし! 今夜は付き合うぞ! トコトン飲もう!」
とは、言わないのだ。

 聞き手の友人のリアクションがイマイチなのを
素早く察知したフラレ青年は、
『最近携帯機種変してさあ』と、
差し障りの無い話題に移った。

 すると、聞き手の青年も、
ほっとしたように、だんだん口数が増え、
二人に軽く明るい笑い声が上がり始めた。

 さぐりさぐりの、空気読み読みの、
傷つけ合わない、関わり合わない、
ただ一緒につるむだけの関係。

 これが、いまどきの若者の付き合い方なのだろうか?

 私は、一抹の淋しさを感じ、
同時に、自分の青春時代を振り返った。


 結婚前、今の夫と同棲していたアパートに、
共通の後輩のW君が泥酔状態で訪ねてきた。

 夫は仕事で留守だったが、
「あかじそさ〜〜〜ん、俺、もう、死にたいっす〜〜〜!!!」
と、号泣しながら部屋になだれ込んだW君は、
そのまま、居間の真ん中に大の字で寝転がり、
「あの子がいなくちゃ、俺、生きていられないっす〜〜〜!!!」
と、幼児のように泣きじゃくっている。

 「おうおう、泣け泣け。つらいよなあ。あんなに惚れてたんだもんな」
と、私も、苦笑しながらも、背中をさすってやり、
白湯を飲ませたりしてやった。

 そのうち、W君は、大いびきをかきながら寝始めたので、
「しょうがないなあ」
と、布団を掛けてやると、
突然、ヤツは、
「ぼえ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
と寝ゲロを吐きやがり、
買ったばかりのカーペットと新品布団などに、
大々的に大量の臭い嘔吐物をぶちまけた。

 「おい〜〜〜〜〜!!!」

 私は、それらを新聞紙やトイレットペーパーで片づけ、
きれいなタオルでW君の顔や首を拭いてやり、
爆睡するW君の汚れた服を脱がせて、洗濯してやった。  

 深夜、仕事から帰ってきた夫は、
その様子を見て、呆れ、
しかし、
「あんなに惚れてた彼女に捨てられたんだから、しょうがないよな」
と言って、笑っていた。

 朝になって、それまでのいきさつを一切覚えていないW君は、
キョトンとした顔で
「何か、すみませんでした」
と言って、ぼさぼさ頭で帰って行った。

 「また来いよ!」
 「今度は、寝ゲロはダメよ!」

 そう言って笑って送り出した私たち。


 いい時代だったなあ・・・・・・

 仲間同士、みんな、心、むきだしだった。
 何のヨロイも飾りも付けないで付き合ってた。

 傷つけ合ったし、助け合いもした。

 暑苦しくて、めんどくさかったけど、
いまどきの若者たちみたいに、
さぐりさぐりの付き合いなんかじゃなかった。

 自分をさらけ出して人にぶつかっていったし、
それで拒否されたら、その人とは、付き合えないし、
受け入れられたら、とことん付き合った。

 それだけのことだった。

 いまどきの若者たちは、
繊細な自分の心を無傷なままに保つことに必死なんだ。

 幼い心を、槌打つように鍛え上げ、
傷つきながらピカピカの大人になっていくこと、
そういう一番大事な仕事を避けている。

 人と本当に関わり合いたかったら、
傷つくこと前提じゃないか。

 人生を、真剣に生きたかったら、
つまづくこと前提なんじゃないの?

 傷ついて、からの〜〜〜

 つまづいて、からの〜〜〜

 ・・・・・・じゃないのか?!


 ライトな談笑を終え、
男子大学生ふたりは、
ささっと店を出ていった。

 ちらっと二人の顔を見ると、
うちの大学生の長男と同じくらいの歳の子たちだった。


 (もっと交われ〜!)
 (もっと生きろ〜〜〜!!!)
 (ハンバーガーとコーラじゃなくて、酒酌み交わすんだよ!)

 私は、心の中で大きな声で応援せずには、いられなかった。



   (了)

(こんなヤツがいた!)2011.12.20.あかじそ作