「 救急当番医院にて 」 |
連休を利用して帰省した長男が、 38度2分の熱を出した。 「まさか、インフルエンザじゃ?!」 半月後に三男の受験を控えたわが家は、 体温計を持って立ちすくむ長男を囲んで色めきだった。 「や〜ば〜い〜ぞ〜!」 私は、号令を掛けた。 「みんなマスクして!」 「加湿器かけて! 加湿器! アロマオイル垂らしてよ!」 「祝日にやってる病院見つかるまで、あんたは、部屋で寝てて!」 「換気換気!」 市の広報誌で調べて、本日(祝日)の当番医に電話を掛けると、 すぐ来てください、とのことなので、急いで支度をする。 その日、夫は、いつも通り、仕事、 次男は、東京の専門学校のオープンキャンパスに出掛けていて、 三男は、塾に行って留守だった。 四男と長女を留守番させて、私が車で当番医まで連れていくことにした。 昨夜の鍋の残りで雑炊が作ってあったので、 それを長男に食べさせて、解熱剤のロキソニンを飲ませてから出発。 医者に着くと、もう駐車場は、満車で、 待合室に入りきれない人たちが、入口からあふれ出ていた。 マスクの人間が、そのせまい内科医院におしくらまんじゅう状態で、 待合室のソファーでうずくまっていたり、 「冷えピタ」をおでこに貼った人たちや、 ひッきりなしに咳きこんだりウンウン唸ったりしている、 いかにも具合が悪そうな人たちが、 大勢、ぎゅうぎゅうに座ったり立ったりしていた。 「こりゃあ、大変だ」 奇跡的にひと席開いたので、そこに長男を座らせ、 私は、受付で診察を申し込もうとしたが、 受付も会計も薬の処方も、 すべておばちゃんがたった1人でやっていて、 物凄く一生懸命に働いているのに、 あまりの患者の多さに、全然うまく回っていないのだった。 かくして、受付を済ますのに1時間。 診察の順番が来るまで3時間。 薬が処方され、清算が済むまで、また1時間かかった。 合計、5時間。 付添いの私は、立ちっぱなしだった。 長男は、診察時に熱を測ったら、36度7分で、 喉が腫れてはいるものの、インフルエンザの所見ではなさそうだ、 ということだった。 抗生物質を飲んで、それでもまだ高熱が続いたら、 また明日、別の救急当番医にでも行ってくれ、とのことだった。 「せっかく待ったので、せめてインフルエンザの検査だけでも」 と頼むと、 「今、熱無いし、検査してもまだタイミングが早すぎて数値が出ないだろう」 とのことだった。 結局、散々待たされて、抗生物質と風邪薬をもらって、帰宅。 とりあえず、インフルエンザではなさそうでよかったが、 5時間、この待合室にいたことで、 人のインフルエンザがうつった可能性もある。 まあ、その後、軽い胃痛と下痢があったが、 インフルエンザの症状が出なかったので、おそらくセーフだろうが、 月曜日に大学の寮に帰すために、 家にいる間じゅう、入院中のような生活をさせた。 何のために帰省したのか・・・・・・ ところで、当番医で5時間待っている間、 数人が子供を連れて来ていたが、 その医者は、小児科をやっていないらしく、 「お願いします、インフルエンザの検査だけでも」 と粘って頼んでいる親が何人もいた。 そりゃあ、そうだろう。 祝日で、どこも医者が開いていなくて、 うんうん苦しむ子供を連れて、 車やタクシーで、遠くからやってきているのだ。 しかし、15歳未満は、どうしても診られない、ということで、 かたくなに断られ、みな帰って行った。 その中で、ひとりだけ、なかなか帰らない人がいた。 黒人の若いお父さんが、 幼稚園くらいの女の子と3歳くらいの男の子を連れて、 一生懸命、子供の診察を頼んでいた。 受付のおばちゃんが、 「どうしてもお子さんは診られないんです」 と何度言っても、 泣きそうな顔で 「オネガイシマス、オネガイシマス」 と、ひたすら懇願しているのだ。 ぎゅうぎゅうに混雑している待合室の中は、 「いい加減あきらめて帰れよ」 というキリキリした一派と、 「外国から来て困ってるんだから、 小児科の当番医くらい調べて教えてあげればいいのに」 という同情派とに分かれた。 結局、医者が奥の診察室から出てきて、 (たぶん、おばちゃんのダンナさんだろう) 「うちは、子供診ないの!」 と、強めに言ったので、黒人のお父さんは、 しょんぼりしながら、出ていこうとしていた。 黒人の小さい息子に、 優しく声を掛けながら靴を履かせてやり、 髪を細かく編み込んだお姉ちゃんが、 それを手伝ってあげていた。 他には、騒いでいた子供もいたのに、 彼の子供たちは、本当にお行儀がよく、 本当に好感のもてる親子だった。 私は、急いでメモ紙に 市民病院の電話番号と簡単な地図を描いて渡した。 「ここなら子供診てくれるかもしれないよ」 地図を指さしながら場所を説明していると、 そばにいた、恐らく家族の付きそいで来ていたおじさんが、 「今日、市民病院やってないよ」 と言い、他の病院の名前を出した。 すると、そばにいた、他の若いお母さんが、 「○○町のヤマダ医院なら、今日、子供診てくれますよ」 と教えてくれた。 みんなで話し合って、そこの医院の名前と電話番号、 大体の場所をメモ紙に書いて、黒人のお父さんに渡した。 彼は、ぺこぺこと我々に頭を下げ、 病院を出て行ったが、 私の書いたメモが若干心細いものだったので、 心配したおじさんが、後を追いかけ、 当番医が載っている市の広報誌を手渡した。 タクシーでここまで来たらしいが、 ここからどうやってタクシーを呼ぶのだろう、と心配していると、 さっきの若いお母さんが後を追いかけ、 携帯で調べたタクシーの会社の電話番号を教えていた。 ああ、彼が無事、子供たちを医者に診てもらえますように。 そして、子供の病状もたいしたことありませんように。 言葉の通じない外国に来て、子供が病気になって、どんなに心細いか、 思い遣るだけでも、泣きたくなってくるが、 そういう気持ちを共有できる大人たちが、ちゃんと何人かいたことが、 私は、嬉しかった。 (了) |
(話の駄菓子屋)2012.2.14.あかじそ作 |