「 できてるようで できてない 」

 子供のころ、
「自分は、何もかもわかっている」
という気がしていた。

 周りの大人に厳しいツッコミを入れて、
【大人の面目】を丸つぶしにし、
「憎たらしい子だね」
と、よく言われていた。

 自分が誰よりも世の中の事をいろいろ気づいていて、
「みんな馬鹿なんじゃないの?」
と、思っていたし、
「指摘してやってるんだよ」
と、いい気になっていた。

 ところが、大人になるにつれ、
自分の知らないことが次から次へと現れて、
生きれば生きるほど、
全然わからなくなっていった。

 物事を知れば知るほど、
知らないことの多さにおののき、
のうのうと生きていることが恥ずかしくなってきた。

 これを、
「自分がいかに物を知らないか」ということに気付く
【無知の知】だということを知り、
何も知らずに知ったような気でいた子供時代よりは、
一歩成長したのだ、ということも知った。

 しかし、困ったことに、
私は、年々臆病になっていった。

 経験を積めば積むほど、
「次の経験」が怖くなっていくのだ。

 怖いもの知らずだった子供時代よりも、
これも一歩前進なのだろうが、
今まで無意識にできていたことが
心身ともに固まってしまって、
「今までどうやってできていたのだろう」
と思い悩んでしまうのだ。

 
 ところで、子供時代、思う存分甘えられた人は、
安心して自立した大人になれるらしい。

 その点、親にあまり甘えられずに育ってきた私は、
40歳過ぎても、まだ「甘え足りない気持ち」が残っていて、
何か思うようにいかないと、すぐに機嫌が悪くなり、
駄々っ子のようにぐずってしまうのだ。

 幼児期に十分甘えを満喫できた人は、
ここでパニックにならずに、
「この場合、こういう風に行動して打開しましょう」
と冷静に考えられるのだろうが、
甘え不足児は、そうはいかない。

 「みんな使えねえな! なにやってやがるんだ!」
と、心底イライラし、
周囲の人間の不備不手際を責め立てるが、
それを心理分析して翻訳すれば、
「なぜみんな、もっとワタシを甘えさせてくれないの! プンプン!」
ということなのだ。

 大の大人が、依存心残存しまくりなのである!

 それを自覚している人は、意外と少なく、たいてい、
「自分は、できる人間である」
「周りの人間は、しょうもない」
と思っている。

 「周りの人間に何とかしてもらおう」
と思っていること自体が、すでに甘えであり、
「自分こそが環境を変えるのだ」
と、自発的に思えないところが、甘ったれたるゆえんなのだ。

 
 私は、その点、
だいぶ甘ったれが改善されてきているつもりでいた。

 【無知の知】で、自分の「依存心の強さ」に気付けたし、
それを克服しようと、ずっともがき続けてきたつもりだった。

 しかし、先日、
仕事先の女性の上司が突然退職し、
崖から突き落とされたような気持ちになった。

 何かと仕事上の相談をし、
働く上での憂鬱な気持ちも
いろいろ聞いてもらっていた。

 時には、会社に対する文句をぶつけてきたし、
彼女の仕切りの悪さを指摘したりもした。

 でも、このきつい仕事を何年も続けてこられたのは、
彼女がいつも明るく励ましてくれて、
私の仕事を認めてくれていたからだった。

 彼女は、いつも繰り返し言っていた。

 「会社も仕事も大事だけど、
一番大事なのは、あなたたち自身なんですよ」

 「難しい仕事こそ、基本をしっかり守って、
ひとつひとつ、大切に扱うことが大事なのよ」

 「あなたたちが大好きですよ」

 「いつもありがとう。本当に感謝しています」


 尊敬するその上司は、
仕事ができる上、人望も厚かったのに、
家庭の事情で、大好きな仕事をスパッと辞めた。

 なんてカッコいいのだろう。

 女性は、自分の事情でなく、
家庭の事情で仕事を辞めざるを得ない状況が、
今だに日本では続いている。

 でも、そのことを彼女は、どうこう言わない。
 自分が家族の犠牲になっているとは、思っていない。

 自分が家族のために生きたいから、
仕事を辞めるのだ、と、きっぱりと言いきった。


 私は、彼女が自分の日常から離れていくことが恐ろしく、
しばらく憂鬱だった。

 私は、知らぬ間に、彼女に甘えていたのだ。

 しかし、彼女が目の前から去ることにより、
「彼女の考え」を私の心の中に住ませることを思いついた。

 自分自身を大切にし、
自分の仕事を認め、
周りの人たちに、いつも
「ありがとうありがとう」と言う。

 そうしていれば、
尊敬する彼女のように、自分も変わってゆくのではないか。

 自立している彼女に近づいて、
依存心を自分から追い出せるんじゃないか、と。


 私は、できているようで、できていなかった。
 わかっているようで、わかっていなかった。

 そのことが、またわかって、
【無知の知】にも一層拍車がかかってきた気がする。

 臆病が少し治まってきた。

 何かひとつ、山を越えたのだろうか?
 出産で言ったら、
赤ちゃんの頭がお股にムギュ〜〜〜ッとハマっている状況、
そう、【発露】を過ぎたのか?



  (了)




 【追記】

 「お母さん、物事をすぐ【出産】に例えて言うよね(ー_ー)」
と、子供たちにいつも言われている・・・・・・


(しその草いきれ)2012.5.1.あかじそ作