「 子供がハタチになった日 」

 長男が先日、ハタチの誕生日を迎えた。

 寮で暮らす長男に、
「おめでとう」とメールで打って、
下の息子たちにも「お祝いメール打ってあげな」と言った。

 春休みに彼が帰省していた時、
三男四男長女の入学祝いを兼ねて家族で外食をし、
二十歳の誕生日を祝ったが、
その時は「もうすぐハタチだね」「そうだねえ」という
ぼんやりとした意識だった。

 ところが、誕生日当日、
本人不在の誕生日に、
私は、ふと、
「あれから二十年か!」
と、突然、ハッとしてしまったのであった。

 初めてのお産で、
自分の中から自分じゃない人間が出てくる、
という、恐怖体験をしたのが、
ちょうど二十年前。

 自分のお腹から悪魔の子が飛び出してくる、
ホラー映画「ローズマリーの赤ちゃん」を思い浮かべながらのお産だった。

 確かに、悪魔のように毎晩夜泣きしまくり、
予防接種のたびに狂ったように泣き、暴れ、
病気がちで何度も入退院を繰り返し、
幼稚園や学校に入っても、
メンタルの弱さをフォローするのが大変だった。

 しかし、次々生まれる弟妹たちを、
私と一緒に世話してくれたし、
疲れ果てた私を励ましてもくれた。

 悪魔が天使になり、
お兄ちゃんになって、
そして、ハタチになった。

 この子を産むまでは、
子供というものがこんなにも信じられないくらい
愛を注げる存在なのだということを知らなかった。

 私自身、両親に雑に育てられたし、
しょっちゅう邪魔にされていたので、
子を産むまでは、
【子供=お荷物】なのだと思っていたが、
とんでもなかった。

 確かに、何人も乳幼児を抱えて仕事をしていると、
そうも言えない時期もあるが、
それを覆すほどの幸せややりがいを感じさせてくれるのだ、
子供ってヤツは。

 産むまでは、
子供が居なくても平気で生きられたのに、
産んだ途端に、
この子無しには生きていけないほど大事な存在になる。

 こんな、ちっぽけな存在である私のところへ来てくれて、
愛情を注ぐ対象になってくれた。

 愛情を注ぐ毎日は、それを求める日々よりも耽美な時間だ。

 親になる前の自分は、
両親やパートナーや友人や社会や時代に
一方的に激しく愛を求めてばかりいて、
虚しく、幼稚で、苦しいばかりだった。

 ところが、突如現れたわが子と言う存在は、
思いっきり【愛する対象】という役割を引き受けてくれる。

 虚しく人の愛を求めることよりも、
胸に湧きあがる自分の愛を人に注ぐことの方が、
どれだけエクスタシーを感じるか!

 世の中にたくさんいる「子より自分が大事」という親たちは、
実は、とても不幸な人たちなのかもしれない。

 この【無償の愛】と言う【エロス】を知らずに、
「自分」という個だけを見つめる日々を生きるのだから。


 ところで、私は、ずっと前から、
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」が好きで、
聴くたびに「子を想う親の愛」に泣いていたが、
最近は、泣かなくなった。

 わが子のために身を粉にして働き、
苦労苦労で死んでった母ちゃんは、
実は、物凄く幸せな人だったのだと、わかったからだ。

 自分の愛が、確かに子に通じ、
わが子に、生涯を通して生きる力を与えた。

 子は、「母ちゃん、見てくれ」と、
その愛に応えて一生懸命に生きて、
世の中のために一丁前に働いている。

 自分が死んだ後も、
子への愛は、子の中で生き続け、
また、母である自分に
愛と感謝の想いを注いでくれている。

 こんな幸せなことってあるだろうか。



 ああ、初めての子供がハタチになった。

 用事があって、突然帰省した彼と、 
風呂上がりに、黒ビールで乾杯した。

 ちょっと酔った私に、酔っていない息子が
「大丈夫?」と聞いた。


 こんな幸せなこと、あるだろうか!



  (了)



(子だくさん)2012.5.15.あかじそ作