「 逃亡者 」


 連日、指名手配犯の情報がニュースで流れているが、
見るたび、う〜む、と腕組みして考えてしまう。

 居場所寝場所の確保。
 就業。
 食糧確保。
 衣服、道具(バッグ等)の調達。
 
 これ・・・・・・我々の生活と何が違うというのだろう?

 逃亡者は、
誰にも見つからないように、
細心の注意をしながら生きなければいけないが、
我々一般市民は、それ以外、
生きていく条件は、一緒じゃないか?

 居場所寝場所の確保。
 食べるものの購入。
 着るもの持ち物の手配。
 そのために必要な現金のために、働くこと。

 前々からずっと思っていたことではあった。

 みんな、ほのぼのと生活しているように見えるけれど、
そんな普通の暮らしを保つためには、
居場所寝場所を借りたり買ったりし、
食べ物を連日調達し、
それらに必要な金を稼いでいるのだ。
 みんな、平然と。

 仕事ができなくなって、
自分の労働報酬を得られなくなったら、
生活保護とか年金とか、
家族に扶養してもらうとかの手もあるだろうが、
そういう保護も受けられない人は、
路上生活者になっていくしかないではないか?

 路上生活者と、自分との違いなんて、
ちょっとした違いだ。

 たまたま仕事ができている、とか、
家族がいて、その人が今のところ働いている、とか、
もともと家がある、とか、
それっぽっちの違いじゃないか。

 そのどれかが、
ほんのちょっとのきっかけで無くなったら、
我々は、とたんに
「食う寝るところに住むところ」を失うわけだ。

 逃亡者の切羽詰まった生活と、
何が違うというのだろうか?
 後ろめたさを持たぬ、楽観的な逃亡者という者がいるとしたら、
彼よりも切迫した気持ちで生きねばならないではないか?

 こういうことは、今に始まったことではなく。
古代から、世界のどこに生まれても変らない。

 雨露をしのげる場所を確保し、
食べ物を買う金があり、
それらを可能にする収入源があること。

 生きるためには、
まず、いの一番に、
いやがおうにも、
金が要る!

 金を得るには、
しのごの言わずに、労働!

 生きるために、働くのだ。

 労働と消費を繰り返す、
社会という「流れるプール」に身を投じて、
自らの意志とは関係無く、
みんなと同じ流れでぐるぐる回されなければならない。

 そのことが嫌で、
自給自足の生活をしたり、
スローライフにシフトしていく人たちがいる。

 でも、それができずに、しぶしぶ街で暮らす人、
自分なりに楽しみを見つけて、そこそこ楽しく暮らす人、
自分が流れるプールで回されていることすら気づいていない人、
そういう人たちが、ほとんどなのだ。

 親元で扶養されている子供たち、
家族に食わせてもらっている人、
もともと資産があって、金の心配なんてしたことない人、
そういう人たちが持つ、安心しきった心もちで
死ぬまで安穏と暮らすのも、
ある意味うらやましいとは思う。

 でも、所帯を持ち、子供を育てているとなったら、
この、「オイラが食わせて行くんだぜい!」という
【気負い】を楽しまなくちゃ、やっていられないじゃないか。

 生活に追われる「逃亡者」じゃいけない。
 生活を、人生を、追いかけまわす「追跡者」じゃなくっちゃ、と。

 そうだ!
 逃げちゃいかん!
 追うんだ!

 たとえ、どんな過酷な環境にあっても、
今自分にできる最善を尽くして、
成りたい自分、生きたい人生を追うんだ!

 そう思えば、
しんどい今を、
鬼ごっこの鬼の気持ちで、
遊び心で乗り切れるってもんよ!

 だあ〜っ!



 (了)

 

(しその草いきれ)2012.6.12.あかじそ作