「 学校は、無法地帯 」


 いじめ自殺を、マスコミに叩かれて、
初めて動く、
学校や教育委員会や市議会や警察。

 ニュースで見て驚いたのは、
中2の少年一人に対し、
複数の人間が公然と暴行恐喝窃盗を行い、
本人が担任や校長に訴えていたにも関わらず、
「ケンカという扱いにする」
という、隠ぺい処理をしたことだ。

 学校も、人殺しの片棒を担いでいたわけだ。

 これらの事象が明らかになれば、
校長や担任は、自身の査定が下がるし、
明らかに「事件」の域になる。
 ことが大ごとだからこそ、
学校は、無かったことにしたのかもしれない。

 学校は、人間関係をも教える場であるはずだ。
 人の痛みを自分のものとして考えようと、教えるべき場所だ。

 しかし、その学校の現場で、
生徒ひとりが生きる死ぬにかかわる犯罪にさらされていることを知りながら、
学校は、放置した。

 「相手の身になって考えよう」
が、できていないのは、教師の方じゃないか。

 あなたたちには、良心や共感の心は無いのか。

 自分のことしか考えていない教師たちに囲まれ、
子供たちは、そこから何を学べというのだ。

 犯罪者や神経症患者育成の場が学校なのか?


 私は、いじめられた子のなれの果てとして言う。

 私は、46歳にもなるが、いまだにトラウマから解かれない。

 まともな教師が袋叩きに遭い、
要領のいい自己中教師だけが生き残る。
 そんな、子供をないがしろにするだけの学校なら、
いっそ解体しろ、と。

 一年で「担任」という責任から逃れ、
数年ごとの異動で完全に過去の罪がクリアになるシステムで、
教師は、守られている。

 教師には、素晴らしい人たちも大勢いるが、
同じ数だけ「威張りたいだけ目立ちたいだけ」のクズもいる。


 モンスターペアレントの子供だけが、守られる。
 子供を育てることなど、
もうとっくにやめているのだ、教育現場は。
 
 教育に抗議する親は、
その内容に関わらず、
「要注意人物」として名簿に印が付けられ、
教師は、苦情処理にだけ神経を使う。

 それもこれも、自己評価を下げないための「処理の一環」だ。
 肝心な子供の心は、ほったらかしで、だ。

 また、現場の改善ということは、決してしない。
 「忙しい」という理由で、だ。

 忙しい、忙しい、と言って、
わけのわからない研修ばかりに時間をかけ、
肝心の「子供を育てる」という仕事は、やらない。

 「忙しい」から、「教育」をするひまが無いんだと言う。

 本末転倒の教育現場は、
完全に無法地帯になっていて、
世間には全然通用しない道理がまかり通っている。

 二十歳の長男が小学生のころは、
親にも教師にも、まだ少しは良心があった。

 「相手の身になって考える能力」が、少しは、残っていた。

 しかし、ここ10年ちょっとの間に、
学校も、親も、変わってしまった。

 今の学校に、そして、親たちにも、
残念ながら、それが「ある」とは、お世辞にも言えない。

 自己保身で、みんな必死だ。

 「自分の子だけは正しい。
 人の子なんて知ったこっちゃない。
 うちの子を傷つける事を言うヤツは、殺すぞ」

 「俺の受け持つクラスで問題を起こすな。
 俺の責任になるだろうが!」

 そういう考えの人間が、ごろごろいる。



 三男は、中学時代、
いじめをする子や、口汚く人をののしる子を、
「お前きたねえぞ」と、厳しくとがめた。

 すると、その親たちから、
三男にいじめられた、と学校に通報され、
言ってもいないこと、やってもいないことを、したことにされ、
要領のいいいじめっ子たちと、
自分の子の嘘をうのみにする親たちと、
その処理に追われる教師たちに迫害された。

 三男は、濡れ衣を着せられても、
それを脱がなかった。

 黙って、迫害を受け続けた。

 そして、毎日のように怪我をしてきた。

 「生意気だ」と、
不良たちに連日、ターゲットにされ、
首を鞭打ち症にされたり、指を逆に曲げられたり、
いきなり廊下で足を引っかけられ、
頭を床に強打させられたりしたが、
教師たちは、見て見ぬ振りを通した。

 さすがに私が担任に現状を話すと、
「お宅の子もトラブルメーカーでしょう。
 だから、お互い様なんじゃないですか?」
と、そのたび言われた。

 「お互い様」って・・・・・・?

 モンスターペアレントの、意地悪な子供に注意をしたことは、
教師にとっては、モンスターに襲われる原因を作った、という、
「トラブル」でしかなかった。

 三男の言動によって救われた気の弱い子たちのことなど、
気にも留めていない。

 自分たちがすべき教育を、三男に押しつけておきながら、
三男ひとりを悪者として、三男の背中に隠れて
モンスターの前に彼を押し出した。

 三男は、モンスター(小柄な三男を見下ろす大柄な大人)に
思いっきり胸倉を掴まれても、
モンスターの子供が、弱い者いじめをしていたことを言わなかった。

 自分ひとりで全部かぶってしまった。

 教師は、三男を「トラブルメーカー」と言った。
 モンスターペアレントの子供ばかりにちょっかいを出す「厄介者」だと。

 そんな「トラブルメーカー」なんだから、
不良に大けがをさせられても「当然の報い」だと言い放った。

  
 私も、今まで仲よくしていたお母さん友だちを、
ことごとく失った。

 街を歩けば、こそこそと後ろ指を指された。

 その当時は、うつ状態になるほど落ち込んだが、
今は、もう、立ち直った。


 三男には、三男の行動をすべて理解してくれる、
仲のいい友だちが大勢いる、ということを知ったからだ。

 いじめを止めてくれた三男を尊敬している子たちも大勢いた。

 だから、私も、丸めた背中をシャンと伸ばして、
この子の親だ、と、胸を張って生きて行こうと決めた。

 中3になった三男の担任の先生は、
私と同年代のお母さん先生だった。

 三男を理解し、可愛がってくれて、
怪我をさせられた三男を医者にかつぎ込んだり、
モンスターのもとに三男と一緒に出向き、
私の監督不行き届きです、と、
三男の前に立って謝ってくれた。

 学校と言う無法地帯の中にも、
今でも確かに良心が残っていた。

 心ある人も、大勢いた。

 そういう「心ある人」が生きにくいシステムが、
貴重な彼らの存在を、奥へと押しやってしまうのだ。

 
 小学校で教わった、あの、
リトマス試験紙があればいいな、と思う。

 子供の事を一番に考えられない教師や保護者を、
一発で色分けできるリトマス試験紙が。

 教師も、親も、基本的には、同じ人間だ。

 立場を越えて、
人間として、
「お前、どうなんだ」
と問い続ける明確なシステムが欲しい。

 でも、本当は、システムなんかで強制されるんじゃなく、
何も意気込まなくても、
自然と、人の事も自分のこととして考えられる人間になろうじゃないか。

 そういう人間を、我々カーチャンは、
各家庭で、各茶の間で、作っていこうじゃないか。

 だから、教育現場の人たちは、
心ある学校を作ってください。

 親がモンスターになる隙を与えないような、
明るい、いじめの無い学校を作ろうとしてください。
 最初から「そんなの無理」と投げ出さず、
そうなろうと、実際に動いてください。

 「自分の評価」を後回しにして仕事をしてください。
 生まれてこの方、ずっと優等生でやってきて、
「評価」を自分の存在意義として生きてきた人たちにとって、
それは、結構つらいことだと思うけど、
あなたの仕事は、「子供を育てること」なのだ、と、
ちゃんと自覚して下さい。

 教育は、あなたのためにあるんじゃない。
 子供のためにあるんです。
 あなたは、裏方なんです。


 そして、それができない現場には、
警察がどんどん入ってください。

 そこでは、人殺しが公然と行われています。 
 犯行を犯した子供たちだけでなく、
見殺しにした教師たちをも、
殺人罪で逮捕してほしいのです。

 教育現場も、そろそろ本気で毒出ししないと、
この国が足元から崩壊してしまいます。

 人の心を持つ人が、
まだ現存する間に、
急いでやりましょうよ!

 みんなで!


 (了)



(しその草いきれ)2012.7.17.あかじそ作