「大切にするということ」

 今年に入って、私がいつも考えているのは、
「大切にする、って、どういうことなのだろう」
と、いうことだ。

 子供の頃から貧乏性で、何から何まで捨てずに取って置き、
それが自分の棲家を占領して、自分や家族の暮らしを脅かすほどになっても、
「モノを大切にしている」と思っていた。

 しかし、それらは実際、使われることもなく、
生きている家族を圧迫するのみで、
百害あって一利なし、なのだった。

 それって、モノを大切にするどころか、
モノの役割を奪って、使わないモノだけでなく、
使うモノまでも、使いずらくしている。
 モノを粗末にしていることになるのだ。

 そもそも、
「私は、貧乏性で」
って、何いばっているのだ、私は。

 貧乏性は、清貧とは違う。

 「清貧」というのは、無駄遣いしないこと、
必要なモノだけを、必要なだけ消費する、
きわめて贅肉をこそげ落とした、スーパーモデルのような経済生活だ。
 
 その点、私の生活は、
「あれ安いわ〜!」
と、安物に食らいついて、結局要らないモノを買い込んだり、
添加物の山盛り入った安い食材を、
大量に子供たちに摂取させ、アトピーやら喘息やらを促して、
結局医療費で月数万円支払うことになる。

 無駄無駄無駄無駄!!
 大悪循環大会だ!

 貧乏性は、貧乏の元!

 貧乏性の悪いところは、まだある。

 自分が我慢すれば、何か貯金をしたような気になってしまうところだ。
我慢すればするほど、幸せを温存できると思っているところなのだ。

「それは、違うんじゃん?」
と最近気づいた。

 我慢我慢で、自分を閉じ込めてばかりいると、
結局、爆発して、自分や家族を大ヤケドさせてしまう。
 ストレスで心も体もおかしくなって、結局自分を無駄遣いしているのだ。 
 自分を、使い捨てているのだ。

 ちょっと違うかもしれないが、
「紙オムツは、ダメですわ」と言って、アカンボに布オムツを使いつつ、
ウンチのついた布オムツを、1回1回洗わずに、
重ねて何度も脱糞させているようなものなのだ。
  
 1回脱糞された布オムツは、そのたび洗うように、
1回受けたストレスは、そのたび洗わなきゃ、なのだ。

 でなきゃ、布オムツも、アカンボも、自分も、家族も、
結局ダメになってしまうのだ。


 夫は、母親に、何でも「いいよいいよ」と育てられたせいか、
善悪の仕切り線や、常識の感覚がずれている。
「なんでもやっていい」と思っているふしがある。
 一方、私は、両親に何でも「ダメダメダメ」と育てられ、
これまた、いろんな仕切り線や常識観が危ない。
「なにをしてもいけない」と、どこかで思っている。

 結局このふたつは、同じことで、
社会の中で小突き倒されて、潰されていくのだ。
 あるいは、自爆も時間の問題だ。

 親が子供を可愛いと思うのだったら、
やっぱり、エゴは控えて、子供の未来を大切にしなくては。
 
 人を大切にすること、
 モノを大切にすること、

 そのどちらも、きわめて客観性が必要なのだ。

「そのモノは、本当に必要か!」
「その一言は、本当に必要か!」

 怒らないで、泣かないで、イライラしないで、
ちゃんと冷静に見極めないと、また粗末にしてしまう。
 
 大切なモノを、大切な人を、
使い捨ててしまうのだ。

 落ち着いて、心を整理し、大切にしよう。
大切なことを、大切にしよう。
 2002.02.12 作:あかじそ