「 献立たぬ! 」


 冬は、3日おきに鍋で、
その合い間に、煮物焼き物中心の和食や、
育ち盛りの息子たち寄りのチキンソテーやら、
餃子200個やらをするが、
疲れて、もう一切何も作れない、
外食に行く金も気力も体力も無い、という時、
うちは、カレー南蛮のうどんを作る。

 玉ねぎか、長ネギを炒め、
豚肉、あるいは、鶏もも肉を炒めて、
そこに水、つゆの素(あるいは、ダシ+酒+みりん+しょうゆ+塩)を加え、
最後にカレールーをぶち込む。

 買い置きしておいたうどんを湯がいて、
どんぶりに各人の食べられる量を入れ、
カレーの汁を注ぎ、細かく刻んだ長ネギを散らす。

 終わり!

 もうろうとしながら、焦点の合わぬ目で、
お茶と箸とどんぶりを配膳し、
最後にタンッ、と七味トウガラシをちゃぶ台に置いて、
母は、畳に突っ伏す。

 うちの限界飯(疲れ果てている時に最後の力で作ったご飯)は、
大抵、カレー南蛮のうどんなのだ。

 レトルト食品では、食べざかりの青年たちの腹は満たせない。

 だから、力を振り絞って限界飯を作る。


 しかしながら、限界飯すら作れない時がある。
 献立が全然、思いつかなくなった時である。

 この、献立思いつかぬ日=「献立たぬ日」が、
月に一回は、訪れるのだ。

 材料が有り余っている時は、
材料を見まわして、これとこれを組み合わせて、これだっ、
という風に、苦労も無しにさっさと作ってしまうが、
材料のストックが全然無くなり、
食欲も無く、体力も気力も無い時、
まったくもって、献立たなくなる。

 「あれ? 今まで、私、毎日、何作ってたんだろう?」
と、ここ数日の献立も思い出すことすらできなくなる。

 脳が縮んできているのだろうか?
 それとも、自分自身、無意識下で、
「もう、献立のことなんて考えたくない!」と拒否しているのか?

 ともかく、ぜんっぜん、ぜんっっっぜん、
料理の種類が思いつかないのだ。

 何を食べたい、ということも思わず、
材料の組み合わせもまったく思いつかず、
頭の中が、真っ白になってしまう。

 今日も、私は、この、「献立ノープラン」の穴の底に落ちている。

 とりあえず御飯だけは炊いてみる。

 でも、おかずは、一切、思いつかない。

 残酷なことに、みな、数時間ごとにお腹はすく。
 毎夕、お腹ペコペコの青年たちが次から次へと帰ってくる。

 「おなか減った〜! 今日のご飯何〜?!」
と、おのおの叫びながら。

 お願い! 
 今日は、そのセリフ、言わないで〜!
 ニコニコ笑いながら
「今日は、◎◎だよ〜! おいしいぞ〜!」
と言えない日もあるんだよ〜〜〜〜!

 献立たんのだよ〜〜〜!!!



  (了)


(しその草いきれ)2012.12.4.あかじそ作