子だくさん 「サンタの気持ち」



 サンタクロースの絵が描いてあるクッキー缶を買った。

 サンタが、夜中に子供たちにプレゼントするおもちゃを
ひとつひとつ丁寧に袋に詰めている絵だ。

 店でこの絵を見た時、なぜか泣きそうになってしまい、
クッキーが苦手なのに、つい買ってしまった。

 子供の頃もそうだったが、
大人になり、親になってからも、私は、
誰かに何かを与えようという気持ちより、
何かを得たい、という気持ちの方が強かったように思う。

 子育てをしていても、
子供が可愛いと思う気持ちがあっても、
「子供たちに無償の愛を!」なんて、思ったこともなかった。

 自分が生んだんだし、
可愛いと思うし、
しなきゃいけないことだから、
一生懸命に育ててきた。

 しかし、子供たちが大きくなってきて、
少しづつ心身ともに余裕が出てきた今、
自分が今までしてきた子育ては、
「与える」というような崇高なものではなく、
義務感とか、責任感とか、使命感とか、
そういう、何だか悲壮な気持ちが伴うものだったように思えてならない。

 ただただ子供がいとおしく、
心から何かを与えたいと願う気持ちが、
子育て20年目にして、初めて芽生えたような気がする。

 それほど、毎日が修羅場だった。
 大の大人が、泣きながら必死に
小さな子供たちを追いかけまわしていたのだ。

 私は、この絵のサンタのように、
愛しているよ、大好きだよ、という幸せな気持ちに包まれながら、
子供ひとりひとりに何か、プレゼントを用意したくてたまらくなった。

 毎年、それぞれの子にプレゼントを用意するときは、
それなりに幸せな気持ちになるのだが、
今年は、何かが大きく違う気がする。

 クリスマスの朝、
子供たちが、包みを見つけて喜んだり、
箱を開けて嬌声をあげるのを、
部屋の隅から笑いをこらえながら見ていた。

 それはそれで、幸せなものだが、
今年は、それだけではない。

 プレゼントを用意している今の自分が、
プレゼントをもらう子供たちよりも何倍も、
幸福感を感じているのだ。

 子供に何かを与える幸せではない。
 子供から、この幸福感を与えられる幸せに、震えている。

 
 今年の年末年始は、
カラオケ屋のバイトが忙しくて、長男は、帰省できないらしい。 

 ただでさえ、忙しくて、ろくなものも食べていないのに、
クリスマスも正月も、カップめんじゃ、可哀想だ。

 そこで、私は思いついた。

 段ボールを真っ赤にラッピングし、
その中に、クリスマス用のごちそうや、正月用のごちそう、
それに、長男の好きなお菓子を山盛りに詰め込んで、
【埼玉のサンタクロースより】と書いて送ってやろう。

 いつも、「何か栄養のあるものを食べなさいよ」と言って、
お金を渡したり送ったりしていたが、
忙しい長男には、スーパーに買い物に行く暇もなく、
そのお金を洗剤や肌着を買うことに回してしまうことも多い。

 送料がかかっても、
やはり、現物を支給した方が、いいのかもしれない。

 仕事の休みの日、
朝から遠くの激安スーパーに走り、
予算を1万円に設定して、
真空パックに入った焼き豚のカタマリやら、
餅やら煮物のレトルトやら、
フリーズドライのスープやら、高級焼き菓子やらを、
何十種類も選んでいった。

 ふたかご山盛りに買いこみ、
家に帰ってから、すぐに荷造りを始めた。
 長男が何度も声をあげて喜ぶ姿を想像しながら、
段ボールにひとつひとつ詰めた。

 どんどん詰めていくうちに、
胸の中にも、何かがいっぱい詰まってきた。

 それは、喉元までぎっしり詰まり、熱いかたまりになった。

 子供の頃からずっと淋しくて、
憂鬱と共に生きてきたけれど・・・・・・

 今、私・・・・・・、幸せじゃん。
 自分のことなどホン投げてまで、
 愛する相手がたくさんいるんだ。

 自分は、幸せな人間なんだ、と、
急に痛感させられて、
泣けて泣けて、
何だかすごく泣けてきたのだ。



  (了)



 (子だくさん)2012.12.18.あかじそ作