「 屋根のあるとこ 」


 今年は、バイトで休みが取れないから帰省できない、
と言っていた長男が、元旦の朝に急に帰ってきた。

 みんなで喜んで迎えたが、
2日の夕方からまたバイトが入っているので、
一泊したらすぐにまた行ってしまうのだという。

 私の実家でおせち料理を食べ、
普段食べない御馳走を一通り食べた後、
家を出る間際、急に心細い声を出した。

 「もう、アパート借りようかなあ」

 聞き捨てならないセリフだったので、
「え?」と聞き返すと、
「寮は、年末年始閉鎖しちゃうから」
と言う。

 「え? え? そうなの? じゃあ、今までどこにいたの?」
と聞くと、
冬休みの間は、友だちのアパートに寝泊まりしていたのだという。

 しかし、その友だちが、急に帰省することになり、
そこに寝泊まりできなくなったとかで、
年末の30日、31日と、街をさまよっていたのだと言う。

 さまよう、と言っても、表ではなく、
夕方6時から深夜1時までは、カラオケ屋のバイトで、
深夜から朝までは、漫画喫茶の個室で夜明かしし、
朝から夕方のバイトが始まるまでは、
健康ランドの仮眠室で過ごしたらしい。

 それを二日間続けていたが、
たった二日間でも、身のまわりの物を大きなバッグに入れ、
夜中に居場所を探し求める、ということは、
みじめでみじめで、友だちを恨んだりもしたらしい。

 決まった居場所が無いこと、
帰る場所が無いこと、
身のまわりの物を置く場所も無く、持ち歩くこと、
お金を払わないと、どこにも受け入れてもらえないことなど、
学生の長男には、初めての体験ばかりで、
身も心もクタクタになってしまったらしい。

 それを聞いて、夫も私も、
街中で夜を明かした学生時代を思い出した。

 夫は、大学の近くのアパートに住んでいたが、
毎年留年を繰り返し、ついに7年生にもなると、
帰省することもおっくうになって、
結局、いつも一人暮らしの仲間とつるんでばかりいた。

 その仲間も仲間で、
親とうまくいかず、音信不通になっている者、
自宅が遠くて終電に間に合わず、帰れなくなった者などが、
連日、池袋の街に繰り出し、ファミレスや深夜喫茶で、
店員に「ここで寝ないでください」と
何度も叱られながら夜を明かしていた。

 私も、その中の一人で、
自宅が学校から物凄く遠い上、
両親ともに、連日、夜中も飲み歩いていて、
誰も家に居ないような状態だったので、
友人の部屋を渡り歩くようになっていた。

 いつも一人ではなかったが、
部屋に帰れば、誰もいなかった。

 みんな、とっくに成人しているが、
ひとりぼっちで生きるには、幼すぎた。

 群れて、騒いで、飲んで、暴れて、
くっついて離れて、
喧嘩して、またくっついて、
みんなでだましだまし、淋しい夜をやり過ごしていた。

 あれはあれで、大変だったけれど、
何とかなっていたし、
今から思えば、楽しかった。

 人生の中で、一瞬きらりと光る、
馬鹿で素敵な季節だった。


 長男も、今年は、新成人。

 そういう季節が、彼にも訪れている。

 深刻に「みじめだ」と言う長男に、
私も、夫も、ニコニコしながら、
「頑張れよ」と言うだけで、
引き続きあと二日、
漫画喫茶と健康ランドとバイトの繰り返しを続けるように言った。

 終電も終わった深夜1時に、車を出せば、
自宅から往復3時間でバイト先まで迎えに行くこともできるが、
そこはあえてやらないことにした。

 昔は、漫画喫茶も無かったし、
ましてや個室なんて無かった。

 カプセルホテルに泊まる金も無ければ、
風呂に入って仮眠もできて、
食事もできちゃう健康ランドなども無かった。

 今は、いろんな居場所があるのだから、
工夫して、頑張って、
寮が再開されるまでのあと二日間、
自分で何とか乗り切ってみせなさい、と言った。

 私は、心配性で過保護な親だ。
 夫に内緒でへそくりの1万円を渡し、

 「何か困ったことがあったら、この金に物言わせて乗り切りなさい」
と言った。

 「その代わり、急にアパートから追い出した友だちを
恨むのだけは、やめなさい。
 お前を友だちだと思って、二日も寝床を提供してくれたんだし、
急に帰省したのも、おうちの人の都合でしょ?
 むしろ、この経験をさせてくれた友だちに
感謝してもいいくらいだよ。

 今回の事で、お前は、
居場所、寝場所、帰る場所のあることが、
あたりまえじゃないことに気付けたでしょ?

 屋根のある場所、壁のある部屋、
暖かい室内のありがたさを痛感できただろ?

 この4、5日で、お前は、凄く大事なことを勉強できたんだよ。

 この体験をしなかったら、
自分が守られている幸せを実感できないまま、
周りに恨みつらみばかり言って終わる人生になるよ。

 それはそれで、哀しいことでしょ?

 親としては、その友だちに、
返って「ありがたいな」とさえ思うよ。

 だから、まあ、心配だけど、あえてお前を街に送りだすよ。

 頑張って乗り切れ。

 楽しみな!」


 泣きそうな顔で家を出る長男を、
私は、茶の間で見送った。

 いつもは、玄関先に出て、
夫が長男を駅まで送る車を、見えなくなるまで見送るのだが、
今日は、茶の間で「気をつけてね」とだけ言って、
見送らなかった。

 大人になるんだ。息子よ。

 親から離れるんだ。

 ずっとそばにいて、
お前を命がけで守ってやりたいこの私を振り切って、
どこか遠くで大人になるんだよ。

 そうじゃないと、私は、お前を守ってしまう。
 お前の育つ力を奪ってしまう。

 だから、とっとと、行ってくれ。

 淋しくなっちゃうから、見てないうちに、早く行って。

 愛しているよ、息子よ。

 私たち親が死んでも、自分の力で生きていけるように、
自分の手で幸せを掴めるように、育ってくれ。

 育ってくれよ!



  (了)


(子だくさん)2013.1.15.あかじそ作