「 丸一日のような一カ月 」 |
12月29日(土) 駅前全体のエリアを配達している同僚が、 年末年始の1週間、休暇を取った。 病気の母親が夏に亡くなり、 病弱な父親の世話をするのだと言う。 そんな事情を知らされた私は、 いつもの自分の配達エリアの他に、 彼女のエリアも配達することを断ることなどできなかった。 私のエリアは、一軒家中心の住宅街で、 分厚いカタログを、一戸一戸郵便受けに投かんする。 一方、彼女の担当する駅前は、 オフィスやマンションや、店舗や雑居ビルが中心となる。 マンションやビルのエントランスで、 一か所で大量にドサッドサッと配達し、 割がいいと言えば割がいいけれど、 とにかく広範囲だし、数が多い。 だから、いつもの自分のエリアの配達を 1時間半から2時間で配り終えるとしたら、 駅前エリアは、2時間半から3時間は掛かってしまう。 そして、彼女の分まで配達するとなると、 朝から昼まで仕分け作業、 昼から夕方、あるいは夜まで配達することになる。 雨や雪ともなると、もっと大変で、 一通一通雨濡れ対策のビニールに入れる作業が加わるので、 もう、一日中働きづめとなる。 そんなハードな日課が、 年末年始の1週間つづく。 まあ、毎年のことだから、 今更びっくりすることではないのだが、 子供たちまで毎年「正月の雰囲気抜き」となるので、 可哀想でもあり、 季節感を経験させられないのが悔しくもある。 そんなこんなで、本日、 なんとかかんとか、 無事、二人分の仕事を終了。 夕方まで掛かって、やっと配り終えたが、 もうヘトヘト。 正月の煮物やおせちや雑煮のしたくを夜な夜なするのだが、 疲れているので、眠くて眠くてかなわない。 がんばれ! あと6日だ! 12月31日(月) 夜まで掛かって、今年分の配達終了。 物凄く大量のカタログが来たので、もう、ヘロヘロ。 助けて〜。 1月1日(火) やはり駅前エリアは、数が多くて大変。 正月も何もあったもんじゃない。 一日中仕分けと配達で終わった。 足が棒のようだ。 あ〜あ、何だ、この元日の過ごし方! 1月3日(木) ああ、もう限界だ・・・・・・。 腰も首も足も、グキグキだ。 しんどい! 疲れる〜〜〜! 湿布貼ろう、湿布。 1月4日(金) 終わった・・・・・・ やったな、わたし! もう寝る! あたしゃ〜〜〜、もう寝る! 明日は、やっと、お休みデスッ!!! 1月10日(木) 今週やばい・・・・・・ 配達量多すぎ! 通販雑誌、厚過ぎ! 重すぎ! 何社も同じ日に発送しすぎ! 手首折れる! 片手でポストに投函できないよ! 自転車で配達してるから、 カーブする時、荷台の重さでチャリ倒れるし! バッキャロ〜〜〜! 1月12日(土) 長男が成人式のため、帰省してくる。 「昔の仲間と会うの緊張する〜!」 と、おどおどしながらスーツ姿で出かけて行ったが、 夜中に酔っ払って御帰還した長男は、ご機嫌。 カラオケして、写真撮って、居酒屋で盛り上がって、 人生で一番楽しい一日だったのだとか。 良かったねえ。 青春。青春。 1月14日(月) 朝から予想外の大雪。 長男が大学の寮に戻ろうにも、電車が止まって帰れなくなった。 関東は、この雪で交通も何も、大混乱。 雪に慣れていない首都圏では、 何百人も転んで怪我しているという報道がされていた。 うちの周りでも、ひっきりなしに救急車のサイレンが聞こえている。 雪国北陸出身の夫は、 「これくらいの雪で!」 と、小馬鹿にした笑いを浮かべていたが、 何を勝ち誇っているんだか・・・・・・ バイクで新聞配達している人が、 配達中、転倒して亡くなったとか。 震災後の地割れの中でも、 配達を続けるように言ってきたわが職場からも、 さすがに、「配達中止」の連絡が来る。 1月15日(火) 自転車での配達は不能。 しかし、カタログが結構あるので、 チャリの荷台に積んで、押して歩くことに。 雪用の靴を履いているので、自分の足は滑らないが、 チャリがツルツル横滑りして危ない。 いつもなら1時間も掛からないような量なのに、 徒歩で2時間半。 ああ、チャリは、もはや邪魔になる。 ソリが欲しい。 ソリとトナカイでしょ! こんな日は! 1月16日(水) 今日は、届いた荷物が少なかったので、チャリを置いて、 肩に荷を担いで徒歩で配達。 路面の凍結、ハンパ無し! 道路状況が悪いせいか、荷物が滞っているのか、 荷物が少なくて、返って助かった。 小1の長女の担任は、 千葉から車で通勤しているのだが、 自分は、ちゃんとタイヤにチェーンをつけてきたのに、 そうじゃない車が滑って事故って、各所で大渋滞が起き、 学校に着いたのが昼過ぎだったという。 配達の途中でも、 そこここで車が滑ったり脱輪したりしているのを見た。 そして、あちこちで馬鹿みたいに渋滞していた。 雪かきしてある道路もあるが、 雪かき自体に慣れていないのか、 水を撒いている人もいて、 道路がスケートリンクのように凍ってしまっている道もあった。 危ないなあ・・・・・・ 日に日に、雪が解けるどころか、 路面の状態が悪くなってきている。 そんな中、タイミング悪く、中1の四男のクラスの 下校パトロール当番に当たっているので、 夕方5時半に中学に行く。 下校中の中学生に、 「危ないから気をつけて」 「暗いから、おしゃべりを切り上げて、もう帰りなさい」 などと声を掛けながら学校周辺を歩きまわる。 帰宅する四男とその友だちにも会った。 「気をつけてね〜」と言ってすれ違ったが、 午後6時、私がパトロールを終えて帰宅すると、 とんでもないことになっていた。 玄関先に三男が飛び出してきて、 「お母さん、大変」 と言う。 聞けば、四男が、帰宅途中、家の近くの路上で滑って転び、 後頭部を打ったらしい。 ふらふらで帰ってきて、 「気持ち悪い、吐きそう」 「痛くて死にそう」 と泣いているが、何だか、様子がおかしいのだという。 四男のいる居間に駆けつけると、 こたつで横たわり、泣いている。 「どこ打った? 吐きそうか?」 と聞くと、 「吐きそう。痛い。うう、うう・・・・・」 と途切れ途切れに言いながら、 なんだか、目つきがおかしい。 やばい。 救急病院に電話をしたが、 子供の年齢を言った途端に、 なんだかんだと理由を付けて断られた。 何軒掛けても同じことで、 時間だけがいたずらに過ぎていった。 こりゃあかん。 四男に声をかけると、うつらうつらしている。 声を掛ければ、やっと反応するが、 ほとんど意識を失いかけている。 「ダメだ! 救急車呼ぼう!」 119番を掛けて事情を話すと、5分後には救急車が来た。 「救急車に乗るよ」 と話しかけると、 「はぁ? え? 何が? 何だよ?!」 と、いつもの四男らしくない言動をし、 放っておくと、また眠ってしまう。 とりあえず救急車に運び込み、 救急隊員が二人がかりであちこちの病院に電話を掛けたが、 どこからも断られた。 この地区では、夜間に子供を診てくれない。 一応、夜間子供救急の電話番号は市の広報に載っているが、 通じないし、通じたところで、 なじみのない他市の病院を紹介されるだけ。 その病院に電話しても、 事情を話すだけ話させて、結局断られる。 どこもだ! 病院に症状を説明する隊員は、 四男の状態を、「ケイミン状態」と言っていた。 「ケイミン」とは、「傾眠」ということなのか? とにかく、隊員の問いかけにも、 「気持ち悪い」と一瞬答えるだけで、 また、眠ってしまう。 しばらくそのままにしていると、 深く眠って、意識を失ってしまうのだ。 救急車に運び込まれてから30分以上経った。 まるで行くあてが見つからない。 いつもこうだ! このあたりは、夜間救急の体制が形骸化していて、 実質、機能していない。 予算の関係だか、医師の確保の困難さとか、 いろいろ言い訳はできるかもしれないが、 言い訳は、もういいから、何とかしてほしい。 何十軒目でやっと見つかった受け入れ先は、 ここから車で30分以上かかる、 だいぶ田舎の方の知らない病院だった。 救急車は、サイレンを鳴らして走り、 「通してください」 とマイクで呼びかけているのだが、 路肩には、延延雪が積み上げてあるので、 車も横に避けられない。 仕方なく、反対車線をまたいで、 中央線上を走るのだが、 昼間の渋滞で余裕を失っている車も多く、 横切る車は、救急車のために止まることもせず、 サイレンを無視してどんどん前を横切っていく。 救急車なのに、全然走れず、停まってばかりで、 普通に渋滞に巻き込まれていた。 さて、30分で着くところを30分以上掛かって、 何とか病院に到着した。 すぐに点滴を打ち、CTを撮って調べると、 今のところの脳の中に出血は見られず、 また、骨折もなく、 一応、頭部打撲による脳振とう、という診断が下った。 ただ、頭部外傷による意識障害があり、 今後24時間で少しづつ出血する危険もあるので、 今晩一晩入院して、経過観察をすることになった。 「お母さんには、付き添いで入院してもらいます」 と言われ、簡単な入院の説明を受けたが、 大部屋との差額が日額1万円の個室で、 入院時に仮支払いとして5万円おねがいします、 と言われた。 「高っ!」 と思ったが、子の命には代えられない。 あらためて周囲を見回すと、 めちゃめちゃ新しい病院で、 「この病院は、地域の第一次救急病院として指定されています」 という張り紙があった。 なるほど。 高いけど、ちゃんと診てくれる。 そういう病院なのだろう。 それは、確かに、需要のある施設だ。 そういえば、医者も看護師も皆、生き生きと働き、 きちんと誠実に仕事をしている。 仕事は、きついが、それなりの報酬をもらえるから、 この仕事に従事しようという人も多いのだろう。 うちの市も、こういう施設を作ればいいのに。 多少金額が高くても、 もしもの時に確実に受け入れてくれる総合病院なら、 みんな、税金をそこに掛けても文句は言わないと思うのだが。 「あ! そうだ!」 私は、はた、と思い出し、 運び込まれた病院名と経過を、自宅にいる三男にメールして、 これをジイに連絡してくれ、と伝えた。 同じ内容を職場の夫へメールし、 次男には、四男と一緒に登校している友だちに連絡してくれ、と頼んだ。 続いて、四男の通う中学に電話し、 事情を話して、明日の欠席を連絡した。 さらに、自分の職場に電話したが、忙しいのか誰も出ない。 仕方なく同僚に電話をして、今の状況を言うと、 「あたしが配っとくから、大丈夫! お大事にね!」 と、言ってくれた。 小1の長女は、私と一緒じゃないと寝られないが、 大丈夫だろうか? 夫と、高校生の次男三男にメールで 「ちゃんと学校の支度手伝ってあげて。お兄ちゃんなんだから、頼むよ!」 と言うと、 「りょーかい!」 と、返信してきた。 よし。この際、あてにならない兄たちをあてにして、 これを機会に、彼らにちょっとしっかりしてもらおうではないか。 次男三男は、図体ばかりでかい、 典型的な「カーチャン頼み」の何もできないアンちゃんで、 一方、小1の長女は、体は小さく、幼いけれども、 家族一しっかりしている、抜け目ない人間だ。 力を合わせて留守を乗り切れよ! ん? 何だろう? ふらふらするぞ。 あ。 夕飯食べてない。 あんなに働いたのに? 水も飲んでない。 喉、カラカラじゃん。 夜10時過ぎに 付き添いの人向けの簡易ベッドを持ってきてくれた看護師さんに、 「飲み物の自販機ありますか?」 と聞いて、水を一本買って飲むまで、 ずっと飲まず食わずだった。 やれやれ・・・・・・ 今夜は、夕飯抜きだな・・・・・・ ・・・・・・なんて日だっ! でも、四男の脳内に出血しないように願を掛けるってことで、 ま、いっか。 1月17日(木) 「おかあさん、オシッコ」 と言う四男の声で目が覚めた。 一晩中、四男のことを見守りながらの仮眠だったので、 あまり眠れなかったが、 朝の4時頃に看護師さんが点滴をはずしに来たのは知っている。 「トイレ、行ってきな。ここ個室だから、そこにあるよ」 「は〜い」 急に元気になった四男は、ひょい、とベッドから飛び降り、 トイレを済ますと、またベッドに戻って横になった。 「頭痛くない?」 と聞くと、 「ちょっと痛い」 と言う。 「気持ち悪くない?」 と聞くと、 「大丈夫」 と言う。 「それより、昨日、ぼく、目が変だったんだよ。 救急隊員の人の目は見えるんだけど、 鼻から下がぼやけて見えなかったし、 動いているものが全然見えなくて、怖かった」 「ええ〜〜! 今は?」 「こうやって、振ってる手を見ると、ちゃんと目で追えないっていうか、 まあ、昨日よりはマシになってるけど」 と、言うので、 「それ、先生に言わなくちゃ!」 と叫んで、 朝8時ころ回診に来た主治医の先生に言うと、 先生は、自分の人差し指を一本立てて四男に目で追うように言ったり、 四男の首を両手で持ってゆっくり動かしたり、 四男に、2、3特殊な動きをさせてみて、 「うん、今は大丈夫そうだね」 と言った。 ところで、急に元気になった四男と私は、 静かで物凄くきれいなホテルのような個室にいる。 四男は、急に「腹減った」「暇だ」と言い出し、 テレビを見たいと言うので、 廊下の専用自販機でテレビカード1000円を買ってやった。 この最新設備、高級感あふれる個室。 一体いくらかかるのだろう? 今、私の財布の中には、7万円ほど入っている。 いつもは、無駄遣いしないために、 常に数千円しか入れないようにしているのだが、 数日前に、何か予感がして、 通帳から多めに下ろして財布に入れてあった。 偶然では無いような気がする。 虫が知らせるのだ。 いつも、何かの前に、胸騒ぎがするのだ。 思えば、雪の後、私は、 「誰かが転んで怪我をする気がする」と思っていて、 登校する子供たちに、 「ゆっくり歩いて! 小股でね!」 と、うるさいほど注意していた。 案の定、四男が転んで怪我をしたし、 多めに引き出したお金も役立った。 しかし、この微々たる予知能力は、 事前に悪い予感がするだけで、 何も防げていないではないか。 中には、注意することで防げた事故もあったかもしれないが、 この能力、もうチョイ鍛えて【予防】まで持って行けたらいいのに。 四男と、ぼんやりと部屋のテレビを見ていると、 長男から私の携帯に電話が掛かってきた。 「今、こういうわけで、救急車で運ばれて入院してるのよ」 と長男に説明すると、 「あのぅ・・・・・・こんな時に言いづらいんだけど・・・・・・、 またやっちゃったんだよ・・・・・・」 と、もぞもぞ言っている。 「どうしたの?」 と聞くと、 「実は、前に僕財布落としたじゃん。 で、今度は失くしちゃいけないと思って、 免許証と銀行のキャッシュカードと保険証を カード入れに入れてたんだけど、 そのカード入れを・・・・・・失くしちゃったんだよ・・・・・・」 と言う。 「え〜〜〜〜〜〜〜!!!」 「で、すぐ警察にも銀行にも届けたんだけど、 警察の人が、『保険証は、すぐに再発行した方がいい』って言うんだよ。 また市役所に行ってもらっていいかな? ホントにゴメン!」 「まあ、それはお父さんにやってもらうけど、 免許センター行く暇あるの?」 「学校忙しいから、しばらく無理かも」 「銀行には、いくら入ってたの?」 「3月末までの仕送り、6万円くらい」 「え? じゃあ、今、お金全然手元に無いんじゃないの?」 「うんまあ。でも先月のバイト代が少し残ってる」 「すぐに他の口座に振り込んであげるよ。 バイト用の口座ないの?」 「あるよ」 「じゃあ、口座番号教えて。そっちにすぐ6万振り込み直してあげる」 「あ、でも、今大変だろうから、急がなくていいよ。何とかするから」 「だめだめ。友だちとお金の貸し借りをしちゃダメだよ。 友情が壊れる原因になるから、それは、ダメだよ。 銀行のキャッシュカードの再発行は、ちょっと時間がかかるから、 追々手続きするから、ちょっと待っててね」 「うん。ごめん、お母さん・・・・・・」 「いいけど・・・・・・もう、不注意過ぎるよ。前にも言ったけど、 カッコ悪くても何でも、財布に紐つけて、ズボンにくくり付けときな」 「うん・・・・・。ごめん・・・・・・」 やれやれ。 どんどん来るな。災難が。 というか、これみんな、全部、 自分で防ごうと思えば防げることだよなあ。 みんな、もっと落ち着いて、ちゃんとしよう! 私も含めて、うちの子たちみんな、 心ここにあらずなんだよ、いつも。 ぼんやり歩いてないで、 しっかり魂を持ち歩こうよ、ホントに! さて、さっき回診のときに先生が 「後でMRIの検査をして、大丈夫だったら退院です」 って言ってたけど、全然「検査です」って迎えにこないぞ。 もうすぐ昼になっちゃうけど・・・・・・ 看護師さんに問い合わせると、 MRI室が、まだ空かないのだと言う。 四男は、暇だ、腹減った、と言うし、 私もお腹ペコペコだ。 血糖値が下がって、ふらふらしてきている。 売店に行って何か食べるものを買おうにも、 この病院は、最新の防犯システムで管理されており、 売店どころか、エレベーターホールにすら出られない。 入院時に発行されるセキュリティーカードを 各出入り口にある機械にかざさないと、通り抜けられないのだが、 緊急入院をしたのでまだカードをもらっていなかった。 午前中に退院だと思いこんでいたので、 ちょっとの我慢だと思ってひもじさを耐えていたが、 昼になっても音沙汰なしじゃ、もう耐えられん。 ナースステーションに行って事情を話すと、 「今、こちらで操作しますので、そのまま通ってください。 そして、一階の受付でカードを発行してもらってください。 私の方から、受付の方に連絡を入れておきますから」 と言ってくれた。 言われるままに一階の受付に行き、 受付のお姉さんに 「昨晩緊急入院した◎◎の付き添いの者ですけど」 と言うと、 「はい、承っております」 と、気持ちよく応対してくれ、 用紙に名前と部屋番号と電話番号を記入したら、 すぐにセキュリティカードをもらえた。 とても行き届いている。まるでホテルだ。 そこで私は、受付のお姉さんにもう一言伝えた。 「あの・・・・・・、後で、父が退院の迎えに来るんですけど、 その時にカードをもう1枚発行してもらえるでしょうか?」 と、聞くと、 「はい、おひと家族2枚まで大丈夫です」 と言うので、 「じゃあ、お願いします。あの・・・・・父は、ちょっと、あの・・・・・・ ヘラヘラしてて、身も心も高田純次そっくりで、ちょっと怪しいんですけど、 一応、身内ですから・・・・・・お願いします・・・・・・」 と、念のため伝えておくと、 「え? あ、はい、わかりました・・・・・・」 と、吹きだすのをちょっとこらえながらも、気持ちよく了解してくれた。 売店で、私の朝食と昼食用のおにぎりと、 四男のリクエストのお菓子数点、 二人分の歯磨きセットや、缶コーヒーやジュース、 コロコロコミック、スタミナドリンクなどを買い込んだ。 テレビカードも1000円で買ったし、 ちょっと食べるものや洗面用具を買うのに、 もう、数千円使ってしまった。 残り六万円強だが、足りるのか? ちょっと心配だ。 部屋に帰ると、四男に昼食が運ばれてきていた。 完全に長丁場となりつつある。 私も、半日ぶりの食事をとり、 やっと人心地がついた。 そのうち、父が病室にやってきた。 午前中に私の携帯に電話が掛かってきて、 部屋番号を聞かれていたのだった。 「あ、ジイ、迎えにきてくれたの。ありがとう。 でも、検査室が空かなくて、まだまだ掛かりそうなんだよ」 と言うと、 「まあ、そうだろうな。今も救急車バンバン来てたからな」 と言う。 「受付で、すぐカードもらえた?」 と聞くと、 「おう。俺がまだ名乗ってる途中なのに、 『◎◎さんのお身内の方ですね』ってねえちゃんが言ってきて、 何だか、すげえ話が早かったぞ」 と言う。 そりゃそうだろう。 受付のお姉さんは、向こうから高田純次そっくりの人がきて、 「おねえちゃん、おねえちゃん、おれよお・・・・・・」 と言ってきたら、間違いなく、 (さっき言ってた、あの? わ! ホント、激似! どうぞどうぞ!) ってなるわ。 さて、それから3時間ほど待ちぼうけ、 父は、簡易ベッドで寝始めるし、 四男は、ベッドでスナック菓子をボリボリかじりながら コロコロコミックを読みふけるし、 もう、しょ〜〜〜もなく、ただ待つだけの時間が過ぎていった。 しかし、午後3時ごろ、 いきなり看護師さんが車いすを押して入ってきて、 「はい、お待たせしました〜! 検査行きますよ〜」 と言った。 そして、20分ほどで検査を終え、帰ってきた。 3時半。 会計は午後5時までで、 それ以降は、後日、 支払いのためにもう一度来院しなければならない。 これからの日程も忙しすぎるのはわかりきっているので、 それはなるべく避けたいと思い、 一刻も早く先生からのお話を聞いて退院手続きをしたいのだが、 全然呼びに来ない。 まさか、良くない検査結果が出ているのか? ・・・・・・と思えるほど、また待たされ、 先生に呼ばれたのは、5時15分前だった。 上着を着こみ、手荷物をまとめて、 今か今かと待っていたところだったので、 父と私と四男とで、ちゃっちゃとナースステーションに向かい、 先生の話を聞いた。 一応、今のところ、脳の中の出血は無さそうなので、 無事退院、ということだが、 週末は、出かけたり騒いだりせず、ゆっくり安静に過ごすように、 とのことだった。 深々と頭を下げ、救急で診ていただいたお礼を述べた後、 速攻で退院手続きをしに会計に向かった。 かくして、会計は、59000円だった。 検査もいっぱいしたし、夜間救急だったし、 個室で部屋の差額一万円×二日なので、 こんなものだろうとは思っていたが、 やはり、結構なお値段であった。 でも、まあ、いいか。 四男は、最高の医療サービスを受けられたし、 この病院は、まるでホテルのようなもてなしで、 ちょっと四男と二人旅でもしたとでも思えば、 安いものだ。 看護師さんたちは、 問診票の家族構成欄を読んだのだろう。 「今日は、お母さんを独り占めできてよかったね」 と四男に声を掛けていた。 さて、父の車で実家に戻ると、 すでに学校から帰ってきていた小1の長女と高1の三男が、 母の作ったカレーライスをほおばっていた。 四男が部屋に入ると、みんなで、 「大丈夫だった〜?」 「何ともなくてよかったね〜!」 と駆け寄ってきて、 四男も、照れくさそうに小さく両手を振って笑って応えた。 ああ、やれやれ。 もうすっかり元気そうだが、 学校には、乱暴な子もいるし、 登校したら最後、「安静に」なんて、無理だろう。 もう一日、休ませよう。 私は、また明日から、凍結した路上で配達だ! いっぱいお金使っちゃったんだから、 また、がんばって稼がなくっちゃ! 1月19日(土) 入院した日、 配達するものがセンターに入ってこなかったらしい。 渋滞やらなんやらで、配送に滞りが生じ、 結局、私が仕事を休んだ日は、全員休みになってしまったという。 会社的には大変だっただろうが、 私個人がだれかに迷惑を掛けずに済んで、ちょっと安心した。 その分、遅れて入ってきたカタログが、たんまり来た。 まだ路面の凍結が残る道で、 数日分の大量の配達をすることになった。 きつい! きついぞ! 滑るし、重いし、疲れてるし〜〜〜! 時間掛かり過ぎるし、足の筋肉痛が尋常じゃないってば〜! 1月20日(日) うそだろ・・・・・・ 朝から胃が痛い、気持ち悪い、と言って、 四男は起き上がれず。 いつもの胃痛だと思って、 朝昼と胃薬を飲ませて寝かせておいたが、 夜になって、様子がおかしくなってきた。 無理矢理おかゆを一口だけ食べさせ、 胃薬を飲ませると、 急に寒い寒いと、震えが止まらなくなった。 すぐに脳内出血を疑い、 入院していた病院に電話をして問い合わせたが、 「それは脳から来るものではないと思います。 お近くの内科か小児科に掛かってみてください」 と言われた。 そこで、市内の救急病院に電話しまくったが、 どこも電話に出ない。 市内の救急病院は、すべてアウト。 紹介されたのは、隣の市の夜間小児救急病院だった。 我が家には、カーナビが無い。 病院の場所を地図でいろいろ調べているうちに、 四男の震えが止まり、症状が落ち着いてきた。 先ほど、夜間小児救急の看護師さんと話したら、 「はいはいはい、きっとそのうち高熱出てきますからね」 と、言っていたから、 四男のこれは、今この辺で大流行しているものなのかもしれない。 熱を測ると、38.6度。 解熱剤を飲ませると、四男は、徐々に落ち着いてきて、 静かに自分のベッドで眠った。 ところが夜中、 2階の子供部屋から物凄い音がして、 四男が階段をドカドカドカドカ踏み鳴らして駆け降りてきた。 四男の顔を見ると、目を見開き、血走って、 表情が尋常じゃなかった。 「うわ〜〜〜! あ〜〜〜〜〜〜〜!!!!! 犬が! 犬が! ああ、ああ、お母さん! 犬が、犬が飛んでる! 犬が! 怖い怖い怖い怖い! お母さん、怖いよ〜〜〜! あ〜〜〜〜〜〜〜! あ〜〜! あ〜〜! 怖い怖いよ〜〜〜〜!!!」 四男は、私に抱きついてきた。 あ、これ・・・・・・。 四男が、数年前にインフルエンザになって、 40度近く熱が出た時にも、 こんな風に半狂乱になって叫んでいた。 その時、医者に診せたら、 「高熱が出ると、こういう症状が出る子もいる」 ということだった。 また、高熱が出て、こうなったのだろう。 私は、慌てず騒がず、四男を抱きしめて、 「犬飛んでない飛んでない。大丈夫大丈夫。怖い夢見たんだよ。もう大丈夫だよ」 と言うと、 「うわあ! うわああ! ごめん! 大丈夫? 僕のせいで! ごめんなさい〜〜〜!!!」 と、三男に向かって叫んでいる。 それまで、 「おいおい、また寝ぼけてるのかよ〜?」 と、笑っていた三男と次男も、 四男が発狂状態で自分に向かって襲いかからんばかりに 「ごめんなさい〜〜! ぼくのせいで〜〜〜!うお〜〜!!」 と叫んでいるので、怖くなってしまったらしい。 男子高校生二人が、 こたつ布団を頭からかぶって震えている。 「お前たち、どうしたの?」 と、私が聞くと、 「こええよ・・・・・・目がイッちゃってるし! やばいって!」 と、二人で寄り添って怯えているのだ。 熱を測ると、39度6分。 やはり、高熱だ。 さきほど解熱剤を飲ませてから6時間以上経っているので、 また解熱剤を飲ませた。 すると、しばらくして、やっと落ち着き、 眠ってくれた。 1月21日(月) 早朝、また四男が吠えた。 みんなが登校の準備をしている茶の間に 2階から駆け降りてきて、 「うわ〜〜〜〜! うわ〜〜〜〜〜〜〜! 手に! 手にティッシュが! ティッシュがくっついて取れない! お母さん! 取って! 取って取って! お母さん! 怖い! 怖いよ〜!」 と叫ぶ。 長女がびっくりして固まって見ている。 私は、四男を抱きしめて、 「ティッシュなんて付いてないよ。また夢見たんだよ。大丈夫だって」 と言うと、 「違うんだよ! 僕には、見えるんだよ! 僕だけ見えるんだ! ・・・・・・違う! 僕の頭がおかしくなっちゃったんだ! 僕は、もう、ダメなんだ! もうダメだ〜〜〜! 僕は、頭がおかしくなっちゃたんだ〜〜〜!」 と、泣いている。 おい、四男よ。 お前は、どんな前世だったんだい? どんな哀しい記憶を背負って生まれてきたの? 私も、かつて、 見たことも無い場所だけれど、なぜか懐かしい場所で、 追いかけられたり、閉じ込められたり、 なじられたり、殺されたりする夢を何度も見て、 子供のころから最近まで、ずっとうなされていたんだよ。 お前はもう、新しい世界に生まれ変わったんだ。 安心して、もう、 過去の哀しくて怖い想い出を捨てちまいな。 私は、四男を強く抱きしめた。 「わかった。ティッシュ、取ってやったぞ! もう大丈夫だ! お母さんがついててちゃんと守ってあげる。 いつもいつも、何があっても、必ず味方でいてあげるから、 だから、安心して、目を開けてごらん。 怖いものは、もう何も無いよ」 四男は、静かに目を開くと、 いつもの穏やかでおとなしい表情に戻っていた。 かかりつけの医院で、昼12時半の予約が取れた。 12時に医院に着いたが、大混雑で、診察室に入ったのは、 午後2時過ぎだった。 インフルエンザとノロウィルスの患者が、ぞろぞろいた。 問診では、先日の入院騒ぎと経過を説明し、 血液検査、大腸の検査をして、 抗生物質などの点滴も2本打った。 時間がかかったので、 帰宅は、夕方4時過ぎになってしまった。 午後3時に帰宅する小学生の長女を、 父に家で迎えてもらい、 実家で預かってもらった。 検査の結果、 インフルエンザでも、ノロウィルスでもなかったが、 白血球とCRP定量というものが異常に多く、 何らかの食中毒の可能性も考えられる、とのことだった。 抗生物質と胃薬、解熱剤とを処方され、 明日、もう一度点滴をすることになった。 1月22日(火) 今日も、朝9時半から、点滴。 先生に、ここ数日の、半狂乱の状態を説明すると、 頭を打ったことなども加味し、 いろいろ疑わしいものを全部挙げて、 消去法で考えてくれた。 「やっぱり、前にもあったやつだろうね。 高熱が原因だと思うよ。 インフルエンザの時は、 タミフル飲んでておかしくなって、 タミフルやめても、まだおかしくなってたんだもんね。 高熱になると、薬のせいとかじゃなくても、 こんな風に異常行動が起こることもあるらしいからね。 こういう癖なのかもしれない」 この先生は、このあたりじゃ名医で通っている。 しかし、ここは、入院施設がない医院なのだ。 先生のいる昼間は、我々は安心してここで暮らせるが、 先生が多摩の自宅に帰ってしまうと、 この辺は、たちまち無医村みたいになってしまうのだ。 この先生は、この子が私のお腹の中にいた頃から、 この子を知っている。 バブバブの1カ月健診も、予防接種も、全部、 この先生がしてくれた。 酷いアレルギー体質だということも、 胃弱だったり、5人兄弟の真ん中辺で、 ギュウギュウ挟まれて暮らしていることも、 初めから全部説明しなくても、 全部知ってくれている。 本当に信頼できる先生なのだ。 点滴が終わり、 帰宅したが、 この、いつ半狂乱になるともしれぬ子をひとり置いて、 仕事に出かけていいものか・・・・・・ 今日も大量の配達があるのだ。 少なくとも、1時間半の配達を2回しなければならない。 この3時間の間に、四男が半狂乱になり、 一人で外に飛び出して、 車にひかれたり、行方不明になったりしたら、どうしよう? いや、待てよ。 高熱が出ていて、寝起きに半狂乱になるのだから、 熱が落ち着いていて、起きていれば大丈夫なんじゃないか? 幸い、四男の熱は、今、落ち着いている。 四男に相談すると、 「大丈夫だよ。僕起きてるから。お母さん、配達頑張って」 と言ってくれた。 怖いなあ、と想いながらも、 「ごめん、悪いけど、テレビでもビデオでも見て、起きてて。ごめんね。 何かあったら、すぐ電話してね」 と言うと、 「僕は大丈夫だよ。お母さんこそ、転ばないように気をつけてね」 と、声を掛けてくれた。 私は、ひやひやしながらも、1時間半の配達をこなした。 大丈夫だよね、起きてるんだもんね、 と心に言い聞かせながら家に帰ると、 四男が、ストーブの前でくの字になって丸まり、 「胃が痛い・・・・・・。寒くて寒くてたまらない・・・・・・」 と言うので、 「こたつに入って、横になってていいんだよ」 と言うと、 「それじゃ、寝ちゃうよ。僕、寝たらダメなんでしょ?」 と言う。 こりゃ可哀想だ。 私は、実家に電話して、父に来てもらうことにした。 父は、すぐに飛んできて、 「馬鹿! 何で早く呼ばないんだ! こいつを一人で置いておくなよ!」 と、こっぴどく私を叱った。 かくして、私は、安心して本日2回目の配達に出た。 1時間半後、仕事を終えて帰宅すると、 居間の隅と隅で四男と父が眠っていた。 「じい、ありがと。終わったよ」 と言うと、 「お、お、お、寝ちまった。もういいんだな? じゃあ、俺は、けえるぞ」 と、言って、とっとと帰ってしまった。 「ありがとう、じい!」 私は、父を玄関先まで送り、帰る父の背中に大きな声を掛けた。 私の子供のころは、 気分次第でガンガン虐待してきたけれど、 今じゃ、孫にやさしく、 子育てする娘の手伝いを進んでしてくれる、いいジイさんだ。 父よ、やっと大人になってきたんだね。 マジで、ありがと! 1月23日(水) 今日も本当は、二人分の配達があったのだが、 上司に、四男の一連の症状を説明したら、 自分の分だけやればいい、と言ってくれた。 子供の健康によって、仕事を休んだり減らしたりすると、 「だから子育て中の奥さんはダメなんだよ」 と言われそうなのに、 そのおじさんの上司は、 「仕事中、一人にして大丈夫なの? 大人の事情で、お子さんに我慢させてない?」 と、私の息子の事を真剣に考えてくれているので、 びっくりしてしまった。 私は、今まで、前の上司を尊敬していて、 今の、このおじさんの上司には、まだ心を開いてなかったのだが、 この人も、本当は、すごくいい人なのかもしれない。 世間に対して、「冷たい人間ばかりだ」と、 ここのところ、ちょっとやさぐれていた私は、 これを機会に、もうちょっと肩の力を抜いて、 心を開いて生きてみようかな、と思ったりもした。 今日は、午前中、夫が仕事を休んで四男を見ていてくれた。 その間、私は、安心して仕事に集中できた。 ああ、そうなんだ。 私ひとりで子育てして苦しんできたような気でいたけれど、 みんなで子供を育てているんだ。 夫も、父も、母も、職場の人たちも、 力を合わせて、みんなで子供たちを育てているんだ。 台所には、四男が唯一口にできる「飲むゼリー」が、 山ほど積んである。 夫が買ってきたものだ。 何日も買い物に出られない私に代わって、 米も灯油も食料も、みんな、 夫が凍結した路上に自転車を走らせて、買ってきてくれた。 玄関にいつの間にか積み上げられた野菜は、 父が、黙って置いていってくれたものだろう。 四男が入院中に、 子供たちにご飯を食べさせてくれたのも、 毎日のようにおかずを作って運んでくれるのも、母なのだ。 1月25日(金) 昨日おとといあたりから、急に四男に食欲が戻ってきて、 熱も完全に下がった。 おかずやパンなど、少しづつ何か食べるたび、 みるみる元気になり、歩きまわれるほど回復した。 もう、顔つきも、いつも通りだし、半狂乱にもならなくなった。 私は、安心して配達に出かけ、 昼前に帰宅すると、四男は、数学の教科書を開いて、 勉強していた。 学校は、結局、1週間休んでしまった。 先週の入院を含めたら、合計7日の欠席だ。 受験に不利になるのは心配だが、 これは、いたしかたない。 大腸の検査の結果を聞きに、 今日も掛かりつけの医院に行くと、 何と、細菌性大腸菌18番という、食中毒の一種だったという。 家族みな同じものを食べているのになぜひとりだけ?! 原因はわからないが、 ともかく、四男は、治癒している。 抵抗力が落ちていたから、 いつもは平気な菌に負けてしまったというのか? ともかく、月曜からは、普通に学校に行くんだよ。 頭打って、救急車で運ばれ、入院して、 退院したかと思えば、食中毒で1週間寝込んで・・・・・・ 学校に行ったら、クラスや部活で、 いっぱいからかわれるだろうけど、 負けるなよ、四男。 中学から電話があった。 知らない名前の先生からで、 「いかがですか?」と聞かれたので、 症状を伝えると、 「あせらないで、ゆっくり治してくださいね」 と、優しく言ってくれた。 そして、驚くことに、その先生が言うには、 四男が休んでいる間に、四男のクラスの担任が、 病気で長期休養に入った、というのだ。 「どこがお悪いのですか?」 と聞くと、急に先生は言い淀んで、 「ちょっと難しいもので、長くかかるので、私が3学期から担任になりました」 と言う。 あの、穏やかで、優しい、 四男の良き理解者であった担任の先生が、大病? 私と同年代で、 生徒たちには、「お父さん」みたいな存在だったのに。 まさか、今、話題の、 公立学校の教諭の早期退職とかじゃないよね? 休んでいたので、情報がまるで無く、 何が何だか、全然わからない。 この間、一緒に雪道をパトロールした時は、 元気そうだったのになあ・・・・・・ 複雑だ。 病気なんて、全然人ごとじゃないよ、まったく。 さて、一息つくと、思い出した。 長男、お金全然無いんじゃないの?! 急いで銀行に行き、 長男のバイト代の振込先銀行に、 仕送りのお金を振り込み直し、 失くした銀行カードの再発行の手続きをしてきた。 やれやれ、と家に帰ると、 すぐに簡易書留が届いた。 たった今、振り込んできた先の銀行のカードだった。 長男よ。 バイト代の振り込み用に口座を開設したものの、 カード送付先を実家にしちゃったのね? これじゃあ、ATMでお金お下ろせないじゃん。 長男に電話をすると、 住民票がまだ実家にあるため、 カードをこちらに送ったとか。 急いで長男の大学の寮に、 カードを簡易書留で送る手続きをした。 ハ〜〜〜〜〜〜ッ。 一難去って、また一難。 問題山積。 ファイアー、アフター、ファイアー。 まいった、まいった! ・・・・・・と、いうか・・・・・・ 私、去年の12月29日から、一息もついていない気がする。 私には、まだ、ちゃんと、 正月が来ていないじゃないか・・・・・・ え? もうすぐ2月だって? 1月は、どこ? どこ〜〜〜〜〜〜〜!!!!! (了) |
(子だくさん)2013.1.29.あかじそ作 |